トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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ブログ翻訳

地中海の島へ

この旅の計画は、思わぬことからはじまった。
旅行会社から送られてきたダイレクトメールで、
シーズンオフの格安ツアーが偶然目に留まったのだ。
いくつかある海岸の町の中で、マルタ島というものにピンときた。
以前、旦那からマルタに石器時代の古代文明があったことを聞いていたからだ。

この鬱蒼とした灰色の風景から抜け出したい。
そう思ったのは、11年前ちょうど息子がお腹にいるときで、
新婚旅行としてチュニジアのツアーに参加するのを決めたのと同じ思いだった。
ひとつ新しいことを始めて、自分を変えてみたいという思いもあった。
そうして、結婚11年の記念と名をうって家族旅行をすることにした。

ヨーロッパ各地へ、ここ数年は格安飛行機が普及してきている。
「木製ベンチ」という異名をもつその飛行機は、
無料で運べる荷物が制限されていること、機内サービスが有料のこと、
頻繁に飛行機が遅延すること意外は申し分ないものだった。
ブカレストからマルタへ二時間半の飛行が、
日本円にして片道3000円程度で可能ということは驚くべきことだ。

私たちの乗った飛行機が、緑の草原と黄色い野の花のちらばる大地を踏むと、
機内からは一斉に拍手が巻き起こった。
パイロットは聞いているだろうか。
妊娠のせいか涙もろくなっている私は、旅の無事を喜び思わず涙した。
こうして、長い夢のような一週間が幕をあけた。

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表に出ると、生暖かく、肌に吸い付くような湿った空気が迎えてくれる。
空港前の椰子の木は、故郷宮崎の空港を思い起こさせる。
バスに揺られて1時間半、美しいマルタ独特の黄色い建築の群れに目を奪われながら、
小さな海岸町に着いた。

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アパートメント風のホテルは、
3人部屋でキッチンつきで一泊3000円わずか。
昼でも室内は暗く、窓の外は壁しか見えないけれど、
貧乏旅行の私たちにはちょうどいい。
昼食はスタンドのパンで済ませ、日々夕食は自炊をした。

一日目、ちょっと目を離した隙に、娘が海の浅瀬に落ちた。
ジャンバーの下は無事だったけれど、
靴もズボンもびしょびしょ。
いくらマルタとはいえ、冬は風が吹き肌寒い。
旦那がすぐに衣類を買いに走った。

初めて見る地中海の海は、青く澄んでいた。
海岸によって、その時の天候によって、深さによって色を変化させる。
海岸端を散歩していくと、

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息子が大喜びで、何かを見つけたようで駆けてくる。
赤く熟した、サボテンの実だ。
こちらは雑草のようにどこでも生えてくるらしい。
この実が、夜に悲劇を起こすとはまだ知る由もなかった。

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みずみずしい緑の草原にたどり着いた。
私の目をもっとも喜ばせたのは、他でもない緑だった。
あらゆる植物が枯れて、凍りついた世界に慣れたせいか、
何でもない風景でも感動させてくれる。

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それから田舎道をひたすら歩きつづける。
畑は、マルタの建物と同じ黄色い石垣で区切られている。
マルタ島の大きさはブダペストの町くらいというから、迷う心配はないだろう。
手にしているのは、バスの路線図だけ。

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やがて一雨振り、あわてて自動車道を探した。
庭で作業しているおじさんに、「首都行きのバス停は。」と尋ねると、
「俺ができるのは、マルティーズ(マルタ語)だけさ。」という返事。
英語が公共語で、最近は英語留学でも有名なマルタであるが、
地元の人たちはマルタ語のみ話している。
それは半分イタリア語、半分アラビア語のような不思議な言葉である。

都市のある東海岸は、
ぎゅうぎゅうに人口の密集した町の風景だけれど、
ひとたび町をでると荒々しい自然がそのままの姿で残っている。

ゴゾ島の東海岸。
荒々しい波で削られた海岸は、
大小の潮だまりが空の青をきらきらと反射している。
「アズ-レの窓」と呼んでいる。
足元の岩の下では、轟々と音をたてて波がぶつかり合い、
荒れ狂う海の恐ろしさを物語っている。

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まるで宇宙の惑星のような、小さな潮だまり。

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北海岸は、静かな砂浜が横たわっている。
はじめて見る赤茶色の土、透明な青い海、
そして岩の突き出た緑の丘には、小さな洞窟がある。
これこそ、ギリシャの古典文学オデュッセウスの舞台になったといわれる場所であるという。
「昔、チュニジアにいたときに、
誰かが海の向こうに小さな島があって、そこにオデュッセウスの舞台になった洞窟がある。」と話していたよ。
この海の向こうには、11年前に行ったチュニジアがある。

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極上の海を前にたまりかねて、旦那が衣類を脱ぎはじめた。
ついに腿まで海につかって、時折高くなる波に上着までぬらしてしまった。
太陽が翳るまで、しばし海遊びを楽しんでいた。

マルタ島の西海岸ほど、自然の猛々しさを感じない場所はない。
空港からわずかバスで15分ほどで、世界の果てのような絶壁が立ちふさがる。
今では居住区も少ないこの西海岸地帯に、
古代文明の足跡が残っているのは面白い。
まず青の洞窟と呼ばれる海食洞。
それから、数多くある中でもっとも美しいといわれるハジャール・イム巨石神殿がある。

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バスを降りて、海岸沿いを散策する。
地点から地点へと向かう、道のりがまた楽しい。
日中は太陽の光が初夏のように降り注ぐ。
汗ばんで、上着を脱いだ。

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石器時代の巨石神殿は、今から5000年以上も前に建てられたものだという。
古代人の祈りの場所であったと同時に、太陽の動きを観察し、
夏至や冬至を知るために使われたという説もある。
何千年もの間、人々の記憶から忘れ去られていた遺跡が
再び日の目を浴びるのは20世紀始めになってのことである。
現在は風雨からの保護のため、屋根がついている。

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樹一本生えていない不毛の土地で、可憐な花を咲かせる植物。

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マルタのシンボルにもなっている石の門を通して、
儀式に使用されたものか食卓のようなものがのぞき見える。
このような古代遺跡を前に鳥肌の立つような思いをするのは、
故意に作った(と見える)装飾を見るときである。
何千年と時を経た石には、
深々と穴が刻まれ、その入り口を他とは違う何かに見せていた。

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今のマルタの建物と同じ黄色に色づく巨石のそばで、
小さな石ころを拾った。
それは、もしかしたら何千年と同じ時代をともにした兄弟なのかもしれない。

最終日を前にして、つまらぬことで夫婦喧嘩。
ホテルに旦那を残して、子ども二人連れてバスに乗って海岸へ行く。
人ひとりいない海岸を歩いても、不安にならない治安のよさ。
美しい海と子どもたちの笑顔で、すぐに気分が晴れた。

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巨大ホテルの建つゴールデン・ビーチから丘ひとつ超えただけで、
誰もいない静かな砂浜にたどり着く。
息子はズボンを脱ぎ波と戯れ、娘は黄金色の砂と遊ぶ。
ただ波の音だけが響く、静かな時間。

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地図によると、丘のさらに向こうの方に砂浜があるらしい。
この風景の向こうには何があるのだろう。
紐にくくりつけた娘を抱いて、丘の上へと登ってみると、
荒々しく削られた崖があるだけ。

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今度は丘の上を通って、元の道へと引き返そう。
緑の映える小高い原っぱを歩くのは、ちょっとしたハイキング気分。

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丘の上から、最後に見る海岸。
その姿をしっかりと目に焼き付ける。
今は自然のまま美しい姿だが、時代とともにどう変わってしまうか分からない。

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最後の夜は、ラバトという王宮の街を散策した。
群青色の空の下、外灯で照らされた黄色い壁の色がなんとも見事だ。

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そのひっそりとした町の風景は、中世にタイムスリップさせてくれる。
夏の夜は、夕涼みに繰り出す人で往来はさぞにぎわうことだろう。
冷たい風の吹きぬける冬は、ただ静けさだけがある。

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こうしてのんびりと、それでも慌しい旅の日々が終わり、
再び空港に戻ってきた。
1時間遅れで到着する飛行機を待ちながら、
娘が引きちぎった荷物用のテープを息子が顔に貼り付けてやる。

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1週間に一度だけの運行便。
行きとほぼ同じ旅行客を乗せた飛行機が、
再びうっすらと白い雪のつもる大地に降りたとき、
行きの時よりもさらに大きな拍手が巻き起こった。
また涙ぐみながら、その拍手に同調し、
ルーマニア人の感情の素直さに感激したのだった。
comments(6)|trackback(0)|その他|2015-02-23_11:34|page top

2015年はじめの日

森のはずれの友人の家に、
3家族が集まってのささやかなパーティ。
去年と同じ部屋で迎える新年だった。

家の中は寒かった。
6畳部屋が二つあり、真ん中に小さな薪ストーブがある。
靴下を二枚重ねした上にフェルトのスリッパ、スキーズボンをはいているのに、
床下からとてつもない寒気が伝わってくる。
部屋の中なのに足は凍え、手はかじかむ。
何度も、火に当たりにストーブのそばへ通わなければならなかった。

ナースチャは、いつものように故郷のウドムルト料理のサラダを作っているところだ。
娘のカタがニンジンをすりおろす。
ガラスさらに、煮たジャガイモや赤ビーツ、ニンジンを幾層にも重ねて、
マヨネーズを薄く塗っていく。

キッチンと居間を兼ねた小さな部屋は、
時に楽器職人のミクロ―シュのアトリエとなる。
空間を余すことなく活かし、
美しい木彫りの細工や白樺の小物、自然療法の本などが並んでいる。

家族がテーブルを囲み、
所狭しとごちそうが並ぶのを見ているとすでに寒さを忘れていた。
大人も子どももその年最後の食事をゆっくり味わいながら、
ワイングラスで乾杯をして、時が過ぎるのを待つ。

新しい年がくるのが楽しみなのは、自分がまだ若いからだろうか。
年を取った人は、果たして新年が喜ばしいのか、
それとも年が過ぎるのが惜しまれるのか。

そういえば、昔話でこういうものがあった。
正月に年の神が現れ、すべての人に年を渡していく。
ある年寄りの夫婦がそれを恐れて逃げ、
どうにかして年をとらないようにとする。
結局は年の神に見つかり、年を重ねてしまうというものだった。

ロウソクに火をともし、テーブルにはカードゲームをひろげて時間を過ごす。
寝付けないのか、娘が何度も目を覚ました。
そうこうしている間に、新年が近づいた。
室内用の小さな花火に火をつけ、
シャンパンを抜いて乾杯をする。

オレンジ色の線香が、か細い銅線をほどばしる。
その輝きに魅せられながら、時の儚さが身に染みるようだった。
ぱっと火をまき散らし、やがて煙と燃えかすだけが残る。
人の一生も、きっと同じようなものかもしれない。

その夜、何度目かの娘の泣き声でゲームが中断となり、
皆が寝る支度をはじめた。
娘の横に寝そべった。
その手は氷のように冷たかった。
娘や友人の娘の泣き声が何度か、
眠る皆の上を飛び交った後、夜が明けた。

朝一番に目を覚ましたのは娘だった。
友達のロージャの名前を呼び、起こそうとするのを制して、
仕方なしに私もむっくりと体を起こした。

ぼんやりとした目に飛び込んできたのは、ガラスに映る「氷の華」。
氷点下10度以下の寒い日にだけ見られる、氷の模様だ。
勢いよく降り注ぐシャワーのような、
透明な鳥の羽根のような見事な模様の中に、
ふと一頭の馬が現れた。

ujev.jpg

新年初めての画を収めようと、
カメラを撮りだして、テーブルを乗り越えて窓に近づこうとする。
いくつか写真を撮ったあと、
いざ元の場所に戻ろうと振り返ったとき・・。
ガシャンと華々しい音がはじけた。
おそるおそる目を落としてみると、二個のグラスが割れている。

テーブルの下で横になっていた、主人と奥さんがゆっくりと体を起こした。
ミクロ―シュが「それは、幸運のしるしだよ。
グラスが割れるのは、そういうことなんだ。」と穏やかな口ぶりで言う。
そしてまた、何でもなかったかのように横になった。

何度も謝りながら、優しい主人の心遣いに感謝した。
賢く、そして謙虚なミクロ―シュは、
奥さんの郷のはるかロシアのウドムルトの地でハンガリー語教師をしていた。
その時に、ウドムルトの各地をめぐり民俗音楽を収集していた。
やっと助成金を得て、今年はその成果をまとめて本を出版することになったという。

その日は、いつになく寒さが厳しかった。
氷点下30度近くになった朝、娘を連れてそりをしに外に出たものの
手袋の下で手がかじかみ、すぐに家に戻らなければならなかった。

皆でテーブルを囲み、朝食を取っていたとき、
誰かが「何てきれいな鳥。」とつぶやいた。
黄色い体の鳥が、代わる代わる
窓の外にかかった豚の脂身をつつきに飛んでくる。

ujev (2)

部屋は小さいけれど、家の中は寒いけれども、
温かく幸せな家族がここにいる。
新年は静かに、そして穏やかに明けた。



Theme:ルーマニア
Genre:海外情報

comments(9)|trackback(0)|その他|2015-01-03_22:44|page top

森の彼方-トランシルヴァニアへの扉

トランシルヴァニアへ引っ越してから、
もうすぐで7年になろうとしている。

手探りで生活をはじめた1年目。
ジプシーを追いかけたり、
それまで封印していたフォークアートに再会したり、
さまざまなことに挑戦をはじめた2年目。
初めての展示会を試みた3年目。
ヨーロッパ生活に行き詰まり、
東洋に一人旅をしてみた4年目。
ほぼ同時進行で2冊の本を出版した5年目。

何気ない時間の集まりが、こうして記録されていくこと、
ブログは私の生活の一部のようになった。
またブログを通じてさまざまな人と出会い、再会することもできた。

トランシルヴァニアのライフスタイル、
そして手芸の情報を発信するブログ。
トランシルヴァニアの手仕事のショップと、
ヴィンテージファブリックのショップ。
4つのものがバラバラになりかけていた頃、救いの手が現れた。

今年の夏、宮﨑の展示会をさせていただいた、
おおまえ布店のオーナーさんにWebデザイナーであるご主人さまを紹介いただいた。
その展示のDMを製作していただいたことも、その時知った。
イーラーショシュのテーブルクロスの写真。
横長の写真をあえて縦に使って、
黒い背景の文字を加えてもらったそのシャープさと程よい重さが気に入っていた。

その時からホームページ作りがスタートした。
イメージ写真をいくつか選んで送り、
以前から構想していたセーケイの門と
トランシルヴァニアの写真を組み合わせることを伝えた。
それを元に出来上がった下絵を見て、驚いた。

モノクロのセーケイの門には鳥がとまり、
羊が群れるドボイ村の風景やイーラーショシュの図案描きのおばあさん、
教会を目指すパールタの少女などがコラージュのように組み合わされている。
まぎれもないプロの仕事にため息がもれる。

さらに動くアイコンやさまざまな工夫が添えられて、
HPは晴れて12月5日に公開された。

morino-kanata01.png

Transylvania(トランシルヴァニア)の名前の由来が
ラテン語で意味するもの、そのままをとって「森の彼方」とした。
東洋から遠いことはもちろん、
西洋からも、森のさらに向こうという名が付けられたこと。
トランシルヴァニアの特徴をよく表しているからだ。

こうした協力してくださる方々のためにも、
自分の仕事に責任をもって今後も活動をしていきたいと思う。

友情価格で、しかし仕事は最大級にしてくださった大前弘樹さんに、
そして奥さまの大前真奈美さんに感謝をいたします。

森の彼方-トランシルヴァニアへの扉

デザイナー大前弘樹さんのHP
SHIORI

また大前さんのブログでも、HP森の彼方を
ご紹介をしていただきました。
sheepeacefulrest

comments(2)|trackback(0)|その他|2014-12-07_20:47|page top

高鍋の大師さま

宮崎市を南北につきぬける国道10号線。
高台の上から見下ろす巨大な石像群との出会いは、
車窓の一風景だった。

地元の民俗学的遺跡のほとんどを知り尽くしていた旦那と息子とともに、
国道を下りて、高台を上り、
いくつもの大小の塚を横手に見ながら細い道を進んでいく。
すると、目の前に石像たちが集う広場があった。

taishi (13)

あれから、何度もこの場所に通ったものだったが、
この夏にまた行こうと思い立ったのは、
ひとつのパンフレットを見たからだ。
「くぁんのんさんに恋をした」とある、わら半紙の見事なもの。
ボランティアガイドによる案内という一文を見て、すぐに電話をかけた。
そうして一週間後、私は再び石像たちに恋をした。

始めはガイドのKさんのお話も、半分耳から通り抜けるほど、
ただ目の前の石たちに夢中だった。
それが、穏やかな口調で、目を輝かせて語るKさんの話に
徐々に引きこまれていった。
「それぞれの感じ方で、ご覧下さい。」
それでも尋ねてみると、彼の解釈が次々とこぼれ落ちる。
私も恋したあの石仏たち、そしてその作り手と
長年対話をし続けてきた。
確かな愛情がそこに感じられるのだ。

taishi (1)

私が一番気になったのは、初めて目にしたあの広場だ。
「あれは、賽(さい)の河原ですよ。」
賽の河原というと、恐山や高千穂峡などおどろおどろしたものがあるのだが、
ここは一味違うと言う。

taishi (5)

泣くもの、笑うもの。
一人一人が愛おしく、いっしょに笑ったり、
頭を撫でてなぐさめてあげたくなる。

taishi (9)

「一山つんでは 父のため」
まるで石遊びをしているかのように、にこにこ顔。

taishi (14)

赤鬼と青鬼が見張っている。
ここは紛れもない地獄。
それなのに、どうしてこんなに和やかなのだろう。

taishi (10)

これら石像たちを手掛けた人物は、岩岡保吉という。
今から125年前に、四国の香川県で生まれた。
幼いころに、ここ高鍋に移り住み、
四国の88か所の巡礼地を作ることを夢みるようになる。
始めは仏師に彫らせていたのが、やがて自らも石を彫りはじめた。
半生をかけて作った石像は、700体あまり。

初期のころは、普通の仏像と変わらぬものを作っていたが、
だんだんと彼の独創性が増すとともに、
その規模も大きくなっていった。

5メートル以上はある巨大な神や仏たちが、
彼の70代80代と後期の作品にあたるというのが驚きだ。
後光がさすアマテラスオオミカミ。

taishi (16)

その足元には、ヤマトタケルが草薙剣を授かる場面がある。
K氏によると、彼の作る女性は必ずといっていいほど歯を見せている。
そういわれると、確かに魅惑的だ。

taishi (18)

鳥居の先には、小さな祠がある。
赤く色づけされた内部には、真っ白いお稲荷さん。
「けモの 一サい」

これは何だろう?と首をひねる私たちに、Kさんが語る。
「あらゆる獣たち、
それは人間に利用されてられてきた。
その代表がキツネで、勝手に神に仕立てられた。
真ん中の像をごらんなさい。
薪を背負っている神様、それが稲荷の神の本来の姿だ。」

taishi (20)

大きな神の横っ腹に、まるであばら骨のように浮き上がる千手観音。

taishi (17)

夫婦円満を願う、神もいる。
手と手をにぎり合わせる姿が微笑ましい。

taishi (22)

大海原を見晴らすところに、巨大な石像たちが立ち並ぶ。
旅人たちの安全を願うためだとK氏は言う。

taishi (23)

11めんくわんのん。

taishi (2)

火よけ みまもり 百たいふど。
目には、ガラス電球が使われている。

taishi (31)

高鍋大師と看板が掲げられた小さなお堂。

taishi (32)

ここは、岩岡老人その人となりに触れることができる場所。
この作者は何者なのか、いつの生まれの人なのか、
何を信念としたのか。
頼りになる情報などなくとも、その人を感じることができる。

天井から下がる色とりどりの千羽鶴。
そして、沢山の石仏や神たち。
さあ、手を合わせて挨拶をしよう。
大きなばちで巨大なかねを打つ音がこだまする。
子どもたちが、その音を面白がり、
競い合うようにして打ち鳴らす。
普通なら、あってはならない風景だが、
K氏も笑顔でこう話す。
「きっと岩岡さんが見たら、喜ぶでしょうなあ。」

taishi (25)

大きな木魚には、彼自身と信者たちの姿が刻まれている。
作品のあちこちに「無縁仏」という文字がある。
むかし、この丘の裏手に広がる持田古墳で
大規模な盗掘があったという。
その古代人の霊をなぐさめるために、彼はここに土地を買い求め、
石像づくりに一生をささげた。

taishi (28)

彼の手で築き上げたこのユニークな石像たちは、
きっと孤独な魂をやさしく包み込んだに違いない。
道具たちは無言だが、その作品は彼の心を物語っている。

taishi (24)

堂内に展示されている当時の写真からは、
地元の人々が一体となって信仰を深め、
そしてこの石像たちを愛したことが痛いほど感じられる。
高鍋大師は、これからもたくさんの人々に愛し、受け継がれていくだろう。

taishi (26)

*最後に町のボランティアガイドをして、熱く語ってくださったK氏に感謝の気持ちを捧げます。
友人の装っていたハンガリーの刺繍ベストに着目し、
それを羽織って見せてくれたその素敵な感性をひそかに敬愛いたしました。
comments(0)|trackback(0)|その他|2014-07-26_22:10|page top

トランシルヴァニアから東京、そして九州へ

帰国の準備やTV取材で、目まぐるしく過ぎていった6月の上旬。
指折り数える暇もなく、ついに出発の日がやってきた。
早朝6時に我が家を出て、
友人ボティの運転でカルパチア山脈を越えて、
ブカレスト近郊の町オトぺ二へ。

ボティがいつものようにのんびりとコーヒーをすすっている間に、
子供たちの旅行保険の手続きなどを済ませていたら、
あっという間に10時を過ぎてしまった。

今回は、10歳の息子と1歳を目の前にした娘を連れての帰国。
システムの不具合でチェックインが長蛇の列。
歩き始めた娘はその辺をちょこまかと動き続けて、
目を離すと何をしでかすか分からない。
頼りの息子も、久々の日本への旅を前に浮き足立っている様子。
ようやく飛行機に乗ったときは、予定時刻を40分ほど過ぎていた。

初めてのローマも、真昼の日差しを浴びただけだった。
小さな飛行機はだだっ広い空港の真ん中に止まる。
タラップから降りて、バスでの移動。
先ほどから、時刻が気になって仕方がない。
予定では1時間半の乗継時間のはずが、
ターミナルに着いたころは25分しか残されていなかった。

思った通り、セキュリティーチェックも長蛇の列。
さすがに乗り遅れる不安から、子供二人を連れて人の波をかき分け、
ポールをくぐり抜け、電車で隣のターミナルに移動してから
ぎりぎりのところでゲートにたどり着いた。

搭乗時間が間近なのにもかかわらず、日本人らしき人もちらほら見えるだけ。
安心して、娘を抱いてトイレに駆け込んだ。
戻ってくると、窓越しに飛行機を眺めていた息子が、
子供連れの日本人女性と何やら話しをしている。
私たちに気が付くと、笑顔で言った。
「先ほど息子さんに声をかけたら、
日本で小学校に通うそうなんですね。うちも同じなんです。」

南イタリアに暮らす親子、
日本人のいない小さな町で子供を育てている。
知り合ったばかりの相手で、見たこともない場所なのに、
不思議と彼女の心持ちや暮らしぶりが目に浮かぶようだ。
名残惜しくも、搭乗時間がすぐにやってきた。

心配していた12時間のフライトも、順調に過ぎていき、
無事に成田に降り立った。
出口には、私たちを待っている人が二人。
一人は母親で、もう一人は不思議な縁でつながった女性。
ほんの少しの間、私に会うためだけに、彼女はここに来ていた。
時期を別にして、同じ土地に惹かれて、
人々と交流し、その土地の文化を深く愛した。
もしかしたら、彼女は私の前の道を歩んでいたのかもしれない。
私たちの乗ったバスを見送る、長身の彼女はすぐに母親の顔に戻っていた。



今回の東京滞在の目的は、展示会と講習会。
東京駅八重洲口から丸の内口へ。
赤レンガの駅舎は、皇居の杜をまっすぐに眺めている。
過去と現在が美しく調和した東京の姿がここにはある。

tokiomiyazaki (2)

KITTEというのは、元の東京中央郵便局のこと。
それを知ったのは、ビルの中に入った時だった。
三角形の吹抜けの空間に、ガラス窓から涼しげな光が差し込む。

tokiomiyazaki (3)

4Fに上がり、スーツケースいっぱいのビーズやら刺繍の布やらを取り出す。
1か月前に降ってわいたように、今回の展示会の提案をいただいた。
ほんの10日ほど前にカロタセグから持ち帰った品々ばかり。
毛糸のお店の中の小さな空間に、ビーズの花が咲いた。

tokiomiyazaki (4)

NHKカルチャー青山教室では、イーラーショシュの一日講座を開いた。
大人数にもかからわず和やかな雰囲気で刺繍の時間が流れた。
嬉しかったのは、すこし目を合わせただけで
たくさんの好意的な視線と出会えたこと。
こうした優しい参加者の方々が緊張の糸をほぐしてくれた。

MOORITでのビーズ講習会では、
サッカー観戦のためか突然のキャンセルという波乱があったものの、
何人もの方が当日の連絡を受けてお店に駆けつけて下さった。
二日連続で講習を受けて下さった方や、
講習後に真心のこもったお手紙を下さった方、
はるばる遠方からこのためだけに来て下さった方など。
与えるより、多くを恵み受けたような東京での日々だった。

そして、飛行機は晴天のもと、日本一美しい山を横切って行った。

tokiomiyazaki (5)

梅雨の間の晴れ間に、東京ですごし、
大雨の前の曇り空に九州の実家についた。
夕暮れ時を、光りかがやく緑と穏やかな水とが映し出す。

tokiomiyazaki (7)

息子は虫取り網を手に外へ出たきり、
ただ黙々と自然の世界に没頭していた。
故郷の自然ほど、美しいものはない。

tokiomiyazaki (6)

娘は母の手に引かれて、田んぼのあぜ道を歩んでいく。
色とりどりの金魚が泳ぐ浴衣に着替え、
いち早く日本の夏を味わっていた。
これから、私たち親子の夏休みがはじまる。

tokiomiyazaki (1)
comments(2)|trackback(0)|その他|2014-06-22_04:35|page top