トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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イースターのカロタセグ、手芸を訪ねる旅

2017年の春。その年は4月の終わりで、いつもより遅いイースター。

芽吹いたばかりの木々がすでに春の訪れを感じさせてくれた。

はじめての試みでお客さんを連れて、カロタセグへ手芸を学ぶ旅へと出かけた。


カロタセグの旅 (27)


はじめに目指すのは、上地方。

カロタセグの中でも最も古いままの姿で手仕事が残るところ。

半世紀以上も時がとまったかのような清潔の部屋では、

幾層にも積み上げられたベッドカバーに天井まで届くほど積み上げられた枕カバー、

家族の歴史を物語るセピア色の写真がいっぱいに飾られていた。

ご主人が箪笥の奥底から出してくれたものに、あっと驚きの声がもれる。

「ドゥランドレー。」


カロタセグの旅


花嫁のヴェールは、薄いネット地に色とりどりのウール糸で

たっぷりと刺繍がほどこされたもので、100年前の本でしか見ることができないと思っていた。

ハンガリーの紋章にチューリップ、バラで彩られたその衣装は、

女性の晴れ舞台にふさわしいものである。

何度となく足を運んだのに、ぽろりと古く価値あるものが出てくる所がカロタセグなのだ。


初日は、ドロンワーク刺繍を、

2日目はイーラーショシュ、

3日目にはビーズ刺繍、

4日日目にはセーク村のアウトライン刺繍を学ぶという手芸合宿。

それぞれの村に住む、エキスパートの村人たちを先生に依頼した。


白い糸で目を数えながらモチーフを作り、

さらに糸を引いて透かし模様をつくるドロンワーク刺繍。

ヨーロッパ全域に見られるテクニックだが、

カロタセグ地方では主にベッドカバーの裾に、美しい幾何学の花が刺繍されている。

ドロンワーク刺繍を研究する二人の若い女性に刺繍を習っていると、

それとなく「今夜の宿はどこ?」と尋ねられた。

私が行き先を告げると、「果たして、車で行けるのかしら?」と驚いた様子だった。

森の中に位置し、有名な作家が娘たちのために建てさせた別荘だった。

それも、コ-シュ・カーロイという20世紀ハンガリーを代表する建築家の作だったので、

私もかねて訪れてみたいと望んでいた。

詳しく聞いてみると、そこは原っぱの中を道のない道を進んで行かなければならないという。

確認の電話をしてみると、車でも可能だという返事だったので、出発することにした。


国道を曲がって、途中まではアスファルトの道がのどかな丘を切り分けて進んでいた。

やがて、アスファルトが途切れて、タイヤの跡が二筋ならんだだけの、

予想通り、道のない道が丘の先へと続いていた。

旦那の車の後に続いて、アップダウンの坂道が車を縦に横にと震わせる。

半分楽しみながらも、半分楽しめない自分がハンドルを握っている。

薄暗くなりかけた頃、道が森のはずれに差しかかり、

春の木々のトンネルを抜けて、おとぎ話さながらの美しい屋敷にたどり着いた。


カロタセグの旅 (25)


翌日の朝は、美しく晴れわたっていた。

春の美しい自然を見に行こうと、予定を変更してハイキングに出かけた。

芽生えたばかりの若葉がきらきらと輝き、

可憐な野生の花が色鮮やかに足元を彩っていた。

「あ、ヤドリキ。」誰かがいった。

日本では高価に取引されるヤドリキは、トランシルヴァニアの森では

当たり前のようにあちこちに見られる。

高い木の上に引っかかった大きなシャボン玉のような、緑の玉。

旦那が木に登って、いくつかを引きちぎった。


カロタセグの旅 (24)


先ほどから耳をそばだてていた旦那が「猟犬の声がする。」といった。

自然の厳しいトランシルヴァニアでは、

ヒツジの放牧にも猟犬が欠かせない。

そして、その忠実な家来は、敵を攻撃するように仕込まれている。

茂みに隠れて、じっとヒツジの群れが過ぎるのを待った。

スリリングな春の遠足も、今となってはいい思い出である。


カロタセグの旅 (26)


土曜日は、イーラーショシュを訪ねて下地方へと向かった。

アンナおばさんの家でイーラーショシュの手ほどきを受けたあと、

おばさんが管理する村の教会へと向かった。

前日が聖金曜日だったため、黒いタペストリーがそのままに、

喪に服した厳かな雰囲気を伝えている。

秘密の箱から、たくさんのタペストリーを出して見せてくれたあと、

アンナおばさんがオルガンを弾いてくれた。

こじんまりとした美しい教会の中に響き渡る、

温かく力強い音に目も耳も引き込まれていった。


カロタセグの旅 (21)


最大の見所は、復活祭の日曜日。

最も華やかな衣装をまとって礼拝に出かける村人たちを見ることだった。

残念なことに小雨に見舞われてしまったが、

びっしりと刺繍やビーズで埋め尽くされた若い女性たちの存在そのものが、

春を告げるかのようだった。


カロタセグの旅 (2)


カロタセグの旅 (4)


昼前に待ちかねたエルジおばさんが、門の外まで出迎えてくれた。

孫娘のような、たくさんの若い女の子たちに囲まれて、

嬉しそうなエルジおばさん。

刺繍とは違って、進みの早いビーズ刺繍に集中する参加者たち。

村で一番美しいカティおばあちゃんの部屋を見せたくて、

訪ねると、さみしがりのおばあさんが思わず涙を流す場面もあった。


カロタセグの旅 (6)


カロタセグといえば、音楽や舞踊も有名である。

ちょうど日曜の夜に、村でヒツジの祭りが催された。

冬の間、羊飼いが預かっていたヒツジの群れが村人たちに返される。

村人たちは羊を託した礼として、チーズを分けてもらう。

イースターは、クリスマスと並ぶキリスト教の行事であるとともに、

さまざまな民族の春の祭典でもある。

幸いにも、今年はメーラ村のヒツジ祭りと重なった。


「それは面白い習慣で、朝から晩までお祭りがあるのよ。」と受け入れ先のジュンジがいった。

冬の間、羊飼いが預かっていたヒツジの群れが村人たちに返される。

村人たちは羊を託した礼として、チーズを分けてもらう。

それを祝う儀式と、朝から晩まで大騒ぎをするというお祭りが催される。

夕方に祭り会場へ向かうと、ヤギのパプリカ煮込みの振る舞いやパーリンカ(アルコール度数50度以上ある蒸留酒)を片手に多くの人で賑わっていた。

しばらくして、ご主人のアルピおじさんを伴って、

カロタセグの衣装に着替えた日本人女性の一軍がやってくると、会場は大きく沸いた。


カロタセグの旅 (13)


カロタセグの旅 (14)


ダンスが始まったのは、電灯が灯ってから。

納屋の中は仮設のステージと化し、

楽団の演奏とともに、若者たちが順々に自分の舞を見せていく。

かつて冬の夜は、カロタセグの若い男女は足が棒になるまで踊ったという。

納屋の隅では、おじいさんおばあさんたちが、おしゃべりをしながら見物をしている。

「「髪結いのラジオ」と言ったものだよ。」とアルピおじさんは笑う。

髪を結った(既婚の)年寄りのおばあさんたちが若者を見ながら、

かつての若い頃を思い出し、噂話に花を咲かせていた様子をそう喩えたらしい。

 女性たちは輪になって目にもとまらぬ勢いで回りながら、かん高く掛け声をあげる。

やがて男女がペアになり、ぐるぐると舞いはじめると、小さな納屋は熱気でいっぱいになる。

ダンスが一息つくと、今度は歌がはじまった。

ヴァイオリンの情感あふれる音色に合わせて、男たちが酔いしれるように大声を張り上げる。

そこに、女性が入る隙間はなく、年配男の独壇場なのである。

ひとつの民謡が終わると、次に誰かが要望をいれて、

メドレーのように途切れなくとめどなく歌う。

ハンガリー民族の、熱くて、最も核の部分をのぞき見たような心地になった。


月曜日には、ハンガリー人独特の習慣がある。

それは、男性が女性のところへ行って、水をかけるというもので、

キリスト教以前の信仰の名残だと言われている。

女性はお礼に、男性に卵を渡して、焼き菓子や飲み物でおもてなしをする。

カロタセグ地方では、バラやチューリップなどの花を絵付した

イースターエッグを渡すところもある。

正装をした可愛い少年がやってきて、みんなに香水を振り掛けた後、

カロタセグのダンスを披露してくれた。


カロタセグの旅 (9)


カロタセグの旅 (10)


最後の目的地、クルージを横切ってセーク村へと向かった。

カロタセグとはまた違った魅力のセークは、小さな町のようだ。

エルジおばさんの家へ着くと、枠を使ったアウトラインステッチを体験した。

村ではほとんどの女性が働きに出てしまったのに、

エルジおばさんは刺繍や手織りで生計を立てる数少ないひとり。

おじさんと一緒に、機織り用の糸を巻く作業や、縦糸を巻き取る作業も見せてくれた。


カロタセグの旅 (17)


カロタセグの旅 (18)


カロタセグやセークの魅力を再発見し、

素晴らしい参加者の方々と笑い、刺繍を通じて、

現地の人々とともに過ごした数日感。

皆さんの心に生涯刻まれる旅となればいいと思う。


カロタセグの旅 (22)





 

comments(2)|trackback(0)|カロタセグ地方の村|2017-12-05_20:46|page top

イーラーショシュを繋ぐ人たち

ふたりの子どもをお姑の家においてきたので、 長居はできない。 
ましてや、明日から新学期がはじまるのだから尚更だ。 
帰りを急ぐため、早起きをして村を出た。 
カロタセグを横断する道すがら、森のはずれにあまりに美しい風景が広がっていた。
急ぎたいと思いながらも、車を止めずにはいられなかった。

秋を告げる花、イヌサフラン。
草原を見渡すかぎりに、淡く紫色に透きとおる野生の花を見つけると、
不思議と胸がときめく。

  kalotaseg osz (9) 

ハンガリー語で「秋」という名をもつこの花ほど、
季節を象徴するものはないのではないだろうか。
森のふもとでひっそりと暮らす妖精のようだ。


kalotaseg osz (10)


かねてから訪ねようと思っていた人がいた。
小学校の先生をしていたおばあさんが、イーラーショシュの図案を描くという。
名前だけを頼りに、村を訪ね歩いていくと、
90歳という高齢だという話。
立つこともできないというので、突然訪問していいものだろうかと考えていたら、
「大丈夫だよ。」と村人。
木彫りの美しい門をくぐり、階段を登って扉を開けると、
ライトの明かりの下で刺繍の布を広げるおばあさんの姿があった。

「今ちょうど、教会に寄贈するタペストリーの刺繍をやり直しているところよ。」
と見せてくれたのは、100年以上も昔に作られたクロスステッチ刺繍だった。
「私はここから動くことができないから、
ここで図案も描くし、刺繍もするの。」
ベッドの周辺がおばあさんの全てを物語る空間。
「そこのテレビの横にある用紙を出してちょうだい。」
言われるがままに、小さな隙間に隠し置かれた大きな画用紙を取り出すと、
おばあさんのクリスチャンマザーであった女性の生涯を写す写真や
ドロンワーク、イーラーショシュの小さな作品がスクラップしてあった。


kalotaseg osz (11)


「ここにいるのが、コーニャ婦人テレーズよ。」
後にカロタセグ上地方の牧師夫人となった婦人は、
その生涯をカロタセグの刺繍に捧げた。
20,30年代にかけて、ジャルマティ夫人の跡を継ぎ、
各地で展示会を開き、イーラーショシュやドロンワークの美しさを世に広めた。
コーニャ婦人その人も、図案をデザインし、
当時の流行の影響を受けたものへと改良していった。
彼女の目指す刺繍とは、
子供服や婦人靴など当時の都市生活へ応用できる手仕事であって、
村の生活とはかけ離れたものだった。


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生涯子孫に恵まれなかった婦人が、
愛情を注いだのがアーギおばあさんだったのだ。
90歳になってもなお、少女のように目を輝かせながら言う。
「見なさい、このコーニャ婦人の美しい髪を。
死ぬまで、その長い髪を切らなかったのよ。」
コーニャ婦人は、永遠の憧れであり、
婦人のデザインした膨大な数の図案を大切に守り続けている。
「いつか、博物館がほしいと声をかけたことがあったのだけれど、
譲らなかったわ。
この図案は村にあってこそ、生かされるもの。」
コーニャ婦人の生きた30年代のカロタセグの空気が、
今もアーギおばあさんの手で布に刻まれ、そして刺繍によって生命が吹き込まれる。


kalotaseg osz (12) 

アーギおばさんは足を失ったものの、
いきいきとした脳でたくさんの言葉を語ってくれる。
「その昔、戦争のあった頃、
私の亡き父と、母と、私たち兄弟はクルージの工場の跡地で暮らしていたわ。
ロシアの兵隊がきて、町を占領した日に、
たくさんのピロシキを焼いたのを、生まれて初めて食べたの。
ある夜、表で戦いがあって、父といっしょに隠れていたのだけれど、
一晩で父の髪が真っ白になったのを見たのよ。
可哀想に、恐怖のあまり髪が白髪に変わってしまった。
次の日、捕虜として捕らえられて、ロシアに連れて行かれてしまった。
それ以来、父の消息は分からないの。」

一世紀に近い年月を生きたおばあさん。
次にどんなことを物語ってくれるだろうか。





comments(2)|trackback(0)|カロタセグ地方の村|2017-10-21_16:49|page top

針金細工のボクレータを学びに

セーケイ地方から北西へと車を走らせること、6時間。

カロタセグ地方の土を踏むのは、この春に訪れて以来のことだった。

夏と秋のはざま、9月の二週目が過ぎようとしていた。

それは、人々が長い夏を終えて、

平常の仕事ペースに戻ろうとゆるゆると重い腰を上げる頃。

新学期がはじまる、ちょうど前の週末だった。

 

長い夏の大半を日本で過ごしたため、休息とたまった仕事に費やしたこの8月。

すぐに次の旅へと気持ちを移すことができなかった。

しかし、どのように悔いても時間だけは元に戻らない。

 

秋のはじめは、まるで大波のように暑さと肌寒さが

代わるがわるに押し寄せてくる。

夜が更ける頃、ナーダシュ地方のエルジおばさんの家に到着すると、

石造りの家の中も外と変わらず身震いをする冷え込みだった。

張りのある大きな声と、がっちりした大きな体に肩を抱かれて、

長い旅の終わりを感じていた。

一人だけ連れてきた末っ子の瑞生は、

座りっぱなしの体をようやく伸ばして、おそるおそる家の中を探索しはじめた。

おばあさんは、この冬を越すための、荷馬車いっぱいの薪を買い込んだところだという。

そして、ここカロタセグでは薪用の丸太も年々値上がりが激しく、

大変な出費だとのことだった。

自家製のプルーンジャム入のロールパンはふわふわで、

やさしい味が旅の疲れもほぐしてくれるようだ。


 kalotaszeg osz (12)


長旅の疲れと温かい布団のお蔭で、ゆっくりと休んだ。

退院して二週間になるカティおばあさんを見舞ってから、

次なる目的地へと車を走らせた。

 

kalotaseg osz (6) 


今回は、ビーズの針金細工を習得するのがもうひとつの目的。

カロタセグのナーダシュ川流域の村では、

大都市クルージ・ナポカに近いため、流行の素材が手に入りやすかった。

そのため、色とりどりのビーズを散りばめた装身具を作り、

とりわけ華やかな衣装に身を固めるようになった。

針にビーズを通して刺繍をするビーズ刺繍の他に、

昔は針金にビーズを通してモチーフを作る、針金細工の帽子飾りを作っていた。


 kalotszeg osz 


面白いことに、同じカロタセグでも地方によって美意識が大いに異なる。

ナーダシュ流域ではきらめくビーズをふんだんに使うことにこの上なく誇りを持っており、

上下地方では、昔ながらの刺繍に磨きをかけ、統一感のある配色をもつ

自身の衣装こそが本物だと主張する。

はじめは、私も刺繍こそが美しく、ビーズは玩具のようなものと思っていた。

民俗学的にも、刺繍の本は山ほどあるが、ビーズを扱ったものは一つもない。

そんな先入観を大きく変えてくれたのは、カティおばあちゃんの手がけるボクレータであり、

古くにチェコから仕入れたビーズを使ったさまざまな装身具だった。

とりわけ磁器のように白の濃い目の細やかなビーズが、年代を経て塵や埃を吸い、

さながら影のように黒ずんだ表情が美しい。

 

山手にある村、イナクテルケ。

周辺の村の中でも、最も衣装が華やかだと言われている。

数年前に知り合ったカティおばさんを探すことにした。

一人息子が牧師をしているというおばさんは、穏やかでどこか知性を感じさせる話し方をする方。

針金細工を教えてほしいというと、快く受け入れてくれた。

「そう私の小さい頃にはね、丸いビーズが揺れる長いモチーフを3本作って、

バラをその間に埋めた飾りをつけていたのよ。踊ると針金飾りが揺れるので、

「レズグー(揺れる)」と呼んでいたわ。」

思い出し思い出ししながら、針金にビーズをくぐらせてねじる。


 kalotaseg osz (2) 


手仕事を片手に、村のおばあさんたちとおしゃべりするのも楽しい。

相手の顔を見ずしも、手仕事という共通点から、さらに相手との距離が近づく気がする。

「子供たちよ、昔この家の横で夏になるとフォークダンスのキャンプが開かれて、

ハンガリーからたくさんの人がきたわ。

その先生の一人娘がね、まだあの頃は8歳くらいだったかしら。

うちの家畜たちが好きで、よく見に来ていたの。そして、ある時こういったわ。

『おばさん、牛はどうなったの?』ちょうど主人がなくなったあとで、

私は女手ひとつで養っていく自信がなかったから、すべて売ってしまったところだった。

忘れもしない、その子は私の目をまっすぐ見ながらこういったわ。

『可哀想なおばさん。貧しくなってしまったわね。』

その子のいう通りだった。今、店で買う牛乳やサワークリームは、

自家製のものとは似ても似つかない代物。もう、あんな味は手に入らないのよ。」

現在は、村には一頭の牛もいないという。


 kalotaseg osz (3) 


「さあ、今度はあなたがやってみて。」とバトンタッチ。

時にビーズをほどくこともあったが、小さなバラのモチーフが出来上がった。

細くしなやかな工芸用の針金は、現地では手に入らないという。

「わたしもひとつ注文したいわ。孫に昔ながらの針金ボクレータを作りたいの。」

とカティおばさん。

物づくりの上で大切なものは素材。

素材がないために、姿を消してしまった美しい品々はたくさんある。

もしかしたら、もう一度古い針金細工ボクレータが復活するかもしれない。

淡い期待に胸を弾ませながら、夕暮れどきの道をエルジおばさんの待つ家へと車を急がせた。




comments(2)|trackback(0)|カロタセグ地方の村|2017-10-10_20:22|page top

おばあちゃんの最後の針仕事

こんな日が遠からず来るような気がしていたのだが、
この夏の終わりに不意に訪れた。
87歳になるカティおばあちゃんが、
自宅の庭で倒れたという報せだった。
すぐに隣人が気がつき、病院に運ばれたものの、
左腕左足の神経が切れて動かないという。

「わたしは、飼い主のいない犬のよう」と言っていたように、
あれこれ仕事を見つけては体を動かすのが好きだった。
それでいて、空色のおばあちゃんの部屋は、
キッチンと食卓と、寝室と居間と客間とアトリエを兼ねる最高の空間だった。
そのおばあちゃんが、黄金の手と動く足を失ってしまったのだ。

カロタセグ地方を訪れたのは、9月のはじめ。
最後の手仕事を受け取るのが、目的の一つだった。
退院したあと、これまでの家から
同じ村の通りに住む孫娘の家に引き取られたという。
エルジおばさんは、「おばあちゃんは、大分弱ってしまったわ。」と話した。

いつか訪れたことのある孫娘の家には、
長男と遊んだこともある同じ年のひ孫も暮らしている。
エルジおばさんの後について、薄暗い地下の部屋に入った。
部屋の窓際にあるベッドの横たわるおばあさんに、後ろから近づいていった。
私を見るやいなや、声高に泣きじゃくる姿はまるで別人のようだった。
嫁と孫が興奮しないようにと諌めて、
やっと普段の声を取り戻したようだ。
ある日を境に、人生は思っても見ない方向に転じてしまう。
その悲劇を、おばあさんそのものから感じていた。
「人生は、なんてはかないもの。
わたしはもう87。あっという間だわ。」
骨ばったおばあちゃんの手をただ握りしめることしかできなかった。

おばあさんの手がけたビーズ刺繍のボクレータは、
エルジおばさんから受け取っていた。
小さなビニール袋に入った、ビーズのネックレスやすずらんの飾りを
どこからか嫁が取り出して渡してくれた。
「これが、おばあちゃんの最後の手仕事よ。」
おばあちゃんと確執があった嫁のイボヤおばさんも、涙ぐんだ。

始めはそれほど関心のなかった、ビーズの美しさ。
手仕事や衣装、手作りの素晴らしさ、カロタセグの美意識・・、
おばあちゃんは私にさまざまなことを教えてくれた。
カロタセグの本ができて、一番喜んでくれたのもおばあちゃんだった。
「私にとって、この本は千金に値するもの。今夜は眠らずにずっと眺めているわ。」
少女のように瞳を輝かせながら、カロタセグの衣装でいっぱいの本を胸に抱いていた。

「また、訪ねてきます。」
朝と夜におばあさんに会い、同じ言葉で別れた。
いつもは美しく結っていた白銀の髪が、短く刈り取られていたのだ。
そのことに気がついたのは、部屋を出る寸前だった。

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comments(2)|trackback(0)|カロタセグ地方の村|2017-09-19_13:47|page top

3月のカロタセグと娘の晴れ姿

長い長い冬だった。
何度も試みていながら、なかなか実行できなかった
カロタセグ地方への旅。
今回は、下ふたりを連れていくことにした。

村でドロンワークを研究する女性ふたりと知り合い
話し込んでいると、その日の宿を決めていなかったことに気がついた。
「私は村でペンション協会の会長もしているの。
いざとなれば、ここは600人のお客だって受け入れることができるだから。」
とすぐに電話をかけてくれた。
突然の宿泊客であるにも関わらず、
イルシュカおばさんは快く受け入れてくれた。

「子供たちが風邪をひくと困るから。」と
冷え切った部屋をすぐに暖めてくれる。
ちいさな部屋を忙しく動き回り、
追いかけっこやかなきり声を上げる子供たちを
微笑みながら相手をしてくれる。

翌日目が覚めると、
清潔の部屋を見せてくれた。
博物館でしか見ることのないような見事なフェルトコート。
アップリケでくり抜かれた四角形の襟は、
ハンガリーの紋章やバラが見事に図案化してある。
ハンガリー東部大平原とカロタセグ地方の衣装の共通点はいくつかあるが、
これもその一つだろう。


kalotaszeg marc (3) 

絵付きの小箱の中にしまった大切なものは、
数多くのプリント・スカーフだった。
工場製品であるから、それほど興味をそそられるものでなかった。
しかし、イルシュカおばあさんが一つ一つの柄の云われや
その歴史を熱く語ってくれると、
いかに村の女性にとって大切な品であったかが伝わってきた。
「昔は、結婚が決まると花嫁になる女性に、
スカーフを繋げたものを贈り物にしたものだったわ。
それだけ、高価で貴重なものだったのよ。」
最も大切にしているのは、ハンガリーのトリコロールカラーが縁を彩る
赤いバラのスカーフだという。


kalotaszeg marc


今回の旅の目的のひとつは、
イースターの旅のための下準備だった。
お客さんのために、おばあさんの手描きの図案をプレゼントしたらと思いついた。
ブジおばあさんを訪ねるのは、二年ぶりだった。
「日本のことがニュースで取り上げられるたび、
あなたのことを考えていたわ。
いつも、そうやって思い出していたのよ。」
別れ際に、笑みを浮かべておばあさんは言った。
遠いところで誰かが私のことを考えてくれる、
それがどんなに有難いことか身にしみて感じられた。


 kalotaszeg marc (2)


エルジおばあさんとカティおばあさんも、かけがえのないお友達だ。
「あなたの娘は、1歳半の時に会って以来だわ。
ずっと、会いたかったのよ。」
とエルジおばあさんはかねてから何度も口にしていた。
家族が増えても変わらず、温かく迎えてくれる。


kalotaszeg marc (4) 

今回の目的のもう一つは、娘にカロタセグの衣装を着させること。
エルジおばさんはこのために、親戚から3歳児用の衣装を借りてきてくれた。
三月の日曜日、
エルジおばさんの清潔の部屋で束の間、娘は少女に変身した。


erzsineni es biborka


煌くビーズにスパンコール、
ピンクのバラに赤いニットのちいさなお嬢さん。
カロタセグの家庭で、女の子が生まれない家はどこか寂しい。
エルジおばさんには娘がいないから、
さまざまな衣装や手仕事も手放したという。
女に生まれることの悦びのひとつは、
美しい衣装を着られること。


erzsineni es biborka (2)


娘を丁寧に着付けさせてあげる、
そうすることは嫁入りの予行練習なのかもしれない。


erzsineni es biborka (3)


「あなたたちは、私の家族よ。」
はじめておばあさんと出会ったのは娘が半年のときだった。
その時から、いつでも両手を広げて受け入れてくれた。
これからも、子供たちを伴ってこの地を幾度も訪れるだろう。
愛おしいおばあさんたちが待っていてくれる限り。

 erzsineni es biborka (1) 
comments(2)|trackback(0)|カロタセグ地方の村|2017-04-24_20:35|page top