トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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ブログ翻訳

赤い薔薇のセーク村

イェッドからカロタセグ地方へ向かって、
旅のしめくくりはセーク村。
ルーマニア語ではシクと呼ばれる村は、
ハンガリーの古い伝統を守りつづけていることで有名である。

みやこうせい氏の著書「ルーマニアの赤い薔薇」では、
セークの女性たちの赤い衣装のうつくしさが
愛情をこめた写真と文章で紹介されている。
クルージ・ナポカの駅で待ち合わせ。
迎えにきてくれたのは、村出身のヤーノシュさんと
奥さんのジュジャ。

「 日本とは縁が深くてね。
 もう何人もの日本人が家にやってきたよ。
僕の母さんは、日本のテレビ番組でも紹介されて、
日本に呼ばれたこともあったんだ。」と陽気なヤーノシュさん。
彼の母親クララさんのところに、
日本の女優さんがホームスティした番組を
確か学生時代に見たことがあった。

ジョルトシュ・クララさんの日本とのつながりは、
80年代に村の結婚式でみや氏とであったことからはじまる。
「 その当時はね、外国人をここで見ることはほとんどなかった。
 ミヤが結婚式のときに、ベンチで寝ているのを見かねて、
母さんが家に呼んだんだよ。彼とはそれからの付き合いさ。」
当時のルーマニアでは、
セクリターテと呼ばれる秘密警察がはびこっていた頃。
素性の知れない外国人を家に招くことは、
それなりにリスクもあったに違いない。

セークでは古くから
男性たちは建設業に、女性は家政婦として村を出ていくのが習慣だった。
クルージ・ナポカの町の中心部にある公園で、
夜になるとセーク出身の若い男女が集まり、
踊りを踊っていた。
この話を基にして、詩も生まれたという。

昔はクルージやボンツィダの屋敷だったのが、
今では行き先がブダペストになった。
村からは毎日ブダペスト行きの長距離バスが
出ているというのだから、驚きだ。
国境を越えて、ハンガリーの首都へは
ここから8時間ほどはかかる。

そういえば、赤い衣装を身にまとった女性たちが
町のなかをそぞろ歩き、
メトロに乗っているのを何度ともなく見たことがある。

まだ見ぬセークの村に想いをはせているうちに、
うっすらと白粉をはたいたような山並みをいくつもこえて、
車が走ってゆく。

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「 この山の辺りから、もうセークだよ。
 村にはね、湧き水がふたつあってね。
 ひとつは普通の水なんだけれど、もうひとつは塩水なんだ。」
その塩水を何に使うかというと、
燻すまえのベーコンを漬け込むといいそうだ。

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セークには三本の道しかない。
フェルセグ(上)通り、
チプケセグ(トゲ)通り、
フォッローセグ(熱い)通り。

人口は、2000人ほどの大きな村。
昔は上地方と下地方に分かれていて、
その間でも人は交わらなかったといわれている。
それために、より純粋な
セークの文化が守られてきたのだ。

やがて車がとまり、
二軒あるうちのひとつの方へ通される。
小さな男の子が、ヤーノシュめがけて
抱きついてきた。
その後ろからは、
赤い衣装に白いスカーフをかぶった女性が笑顔で迎える。

そう、今日は日曜日。
家族団欒の日だったのだ。

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日曜日のミサのあとに、
家族いっしょに昼食を食べるのが安息の日のすごし方。
お料理が上手なクララさんの食事は楽しみだった。
お肉と野菜のエキスがぎゅっと凝縮された
コンソメスープ、そして
ローストチキンとグリンピース・ピラフに舌鼓をうつ。

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セークといえば、名物は
プルーンの蒸留酒。
パーリンカという、二度も蒸留させて
濃い果実のエキスを絞りだす酒には、
アルコール分が40~50%も含まれている。
小さなグラスに注がれた
その透明な液体の清々しい甘い香りをかぎ、
すこし舐めてみるだけで十分。

食事のあとは、
クララさんお得意のお菓子が出された。
TV番組でも、彼女のお菓子の腕前が
存分に発揮されていた。
モノの少ない共産主義時代に、
少ない材料で工夫を凝らして作られた
ホームメイドのお菓子。
時間がかかるから、今や
その家庭の味も存在が危ぶまれている。

今日のデザートは、
ケシの実のスポンジケーキと、
チーズクリームのクッキー。

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ケーキは、卵白でふんわりとやわらかな舌触りで
ケシの香ばしい風味と、
プリンみたいなカスタードクリームがいっしょに溶けこむ。
上には、しっとりとリキュールがしみこんだ、
ビスケットがのっかっている。

塩味のクッキーの中に、
チーズクリームがはさまれたお菓子は、
軽くてさわやかな味わい。
「 バラージュが、クリームをぬるのを手伝ってくれたのよ。」とクララさん。

居間にもセークの色と模様が
ぎっしりと詰め込まれていて、
その重みのあるクッションの針目だとか、
深い黒に赤い花が冴えわたる絵付けされた家具に
目が釘付けになる。

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「 これはね、最近私が描いたものよ。
木目だけの棚だったのだけれど、
ほら、こうするだけで生まれ変わるでしょう。」
日本家屋にも違和感なく収まってしまいそうな、
その色合いの家具を見て、うなづく。

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セークの刺繍は、
どこか粗野で丸みのあるモチーフが特徴。
丸いバラだとか、円のなかにニワトリがあったりという、
素朴さが魅力。
「 この刺しゅうはね、針を表と裏に返して縫うから
とても時間がかかるのよ。」
最近では、この伝統的なステッチを使わず、
簡単なものに変わってきているようだ。

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ミサがはじまる前に、
本宅の方へと案内してもらった。
もともとはこちらの家に住んでいたのが、
今は客室として利用しているらしい。
「 ここに、ミチコも泊まったのよ。」
パジャマ姿の女優さんと、クララさんの写真に
思わず笑みがこぼれる。

女性の手仕事がいっぱいに詰まった
ティスタ・ソバ(清潔の部屋)は、
ここではセークの部屋と呼ばれる。
普段は使われることのないこの部屋を、
一言で物置などとはいうことはできない。
そこには嫁入り道具や、家族の写真など、
大切な家の歴史が刻まれているから。

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ボクレータという藁でできた
花嫁、花婿の髪飾りは、
その長い年月とともに、
ガラスの中にそっと封じ込められる。
クララさんたちのもの、
息子さんたちのものが
あたかも同じ時を刻んでいるかのように並んでいた。

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セークの衣装の中でも有名なのは、
アコーディオン・プリーツの袖つきのブラウス。
昔はパンを焼いた後のかまどに入れていたのが、
後には専用のアイロンでプレスして
この立体的な造形美が生まれるようになった。
坊やも、いつかはこの晴れ着に袖を通す日がくるだろう。

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高く積み上げられたクッションと、
幾層にも折り重なった華やかな色彩の毛糸織りのラグ。
彼女に子供ができ、
孫に囲まれても、その色はあせることなく
若かった彼女の手のぬくもりを
そのままに伝えている。

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村としては大きな規模のセークの教会。
おそろいの皮のジャケットに着替えた人たちが、
表で待っていた。
特別な行事もなく、
民俗衣装でミサに通う姿はもう他所では見ることはできない。

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ひっそりとした、
古い石造りの教会のなかへ。
13世紀にタタール人が侵攻してから、
再び建てられた教会。
古びたフレスコの壁画と
薄暗くひんやりとした石の温度が、
保守的な村の人々とぴったり寄りそうようだ。

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また、表には雪が降りはじめた。
クララさんと別れたあと、
車はもとの山をいくつも越えてゆく。
「 村が、恋しくなることはない?」たずねると、
「 ああ、僕はたまにね。」とヤーノシュさんが答える。

彼はブカレストで三週間仕事をしたあと、
残りの一週間をすごすためにクルージの家に帰る。
ジュジャは子どもさんとふたり、
シンデレラの城のような家で暮らしている。

「 歌をうたいましょうか。」
うっすらと暗闇に包まれた雪景色を眺めながら、
家族の奏でる民謡の調べを聴いていた。

山の中にひっそりとたたずむ故郷を想って、
遠く離れた地で仕事に励み、
故郷に錦を飾るために村へと帰っていったセークの民。
確実に変わりつつある、
彼らの生活を想った。

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トランシルヴァニアをこころに・・・。

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*クララさんの手仕事の部屋を、詳しく
もうひとつのブログにてご紹介しています。

Theme:ルーマニア
Genre:海外情報

comments(19)|trackback(4)|その他の地方の村|2010-04-06_22:03|page top

ジメシュ流のおもてなし

カティおばあちゃんを訪ねようと、今度は教会の裏手の山を登っていく。
旦那が「おばあちゃんは、いつもこの道を通って教会へ行くと言っていた。」というので、
例の木の柵を下ろして奥へと進んでいった。やがて小川にぶつかったので、どうやって先に進むのかと思ったら、およそ25cm幅の丸太の上を渡ってどんどん先に行ってしまう。「息子はどうなる!」と怒鳴ると、引き返して息子の手を引いていってしまった。

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ただ一人取り残された私・・・。
向こう岸までの長さは、5mほどか。落ちておぼれるような川ではないが、やはり中に入ることは極力避けたい・・・。意を決して先に進む。せめて水平に切ってあればよかったのだが、ただの丸太なので足場が悪い。まるで綱渡りでもするかのような緊張感で、足はがくがく震える。旦那に揶揄されながらも、ようやく渡りきった。

その先はひたすら登り道である。
かなりの急坂道なので、息も荒くなり喉もからから。息子はとっくに父親の頭にしがみついている。ちょっとそこらで休憩と思ったら・・・。旦那が「熊の足跡だ。」と顔色を変えだした。「急げ。こんなところで熊に会ったら、大変だ。」とどんどん先に進む。私もゼイゼイ言いながらも、取残されたくない一心で前に前にと向かった。
旦那は若い頃、一度だけ熊に会ったことがある。友人たちと山登りをしていたら、遠くに二匹の熊を発見。見る見るうちに熊たちはやってきて、気がつくと後ろを追いかけられていた。旦那はこのとき追いかけられながらもカメラにその姿を収め、後で現像してみたらフィルムが古くて何も写っていなかった、というのは武勇談の一つである。
それ以来、熊と聞くと異常な反応をしめす。昔、山の山頂近くで熊の遠吠えらしきものを聞いた途端、ものすごい勢いで我先にと山を下った。もちろん私のことなど忘れて。

80歳のおばあちゃんがこんな冒険をして教会に通うとは到底思われない。
きっと道を間違えたのだ。私たちはようやく山を越えて、家らしきものを探したが見当たらない。下のほうに村の集落が見える。仕方がないので、下っていくことにした。

誰かのうちの庭にたどり着き、犬がいないか確認してから通りに出る。
もう昼過ぎなので家に帰ろう。そう思って歩いていると、以前道案内をしてくれたおじさんの奥さんと会い「さっき、エーヴァに家で焼いたパンをあげると約束したから取りにおいで。」と声をかけてもらった。そして大きな家の前に来ると「少し家で食べていきなさい。」とまた勧めてくださった。旦那と顔を見合わせていると、家に通されて、あっという間にテーブルがきれいに準備されていった。

ご主人がワインを注いでくれ、少し酸味のあるワインを飲みながら、自家製のパンを頂いた。パンを持ち上げてみて、その重みに驚く。普通のパンの二倍くらいは中身が詰まっているのだ。口に入れると、その食感はまるで鹿児島名産のかるかんのよう。あのモチモチとした、水分の多い粘った感じだ。よく見ると、ちいさなジャガイモのかけらが見える。
パンだけでも十分なご馳走だ。
テーブルの上には、さらに自家製のソーセージやチーズがいっぱいに盛られていた。

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奥様が今度は、私の好物の「羊のチーズ入りプリスカ」を鍋に持って来てくださる。
プリスカは、ルーマニア名物のとうもろこしの粉を茹でたものだ。これに羊のチーズがよく合う。家で作るよりも格段に美味しかった。残念なことに、お腹がいっぱいになってしまった。

奥様は、隣の部屋にあるかまどを見せてくれた。
普通の部屋なのに、ふたを開けるとかまどが。ここであのパンを焼くのだ。エーヴァにパンを焼くことを教えたという。私もいつか教えてもらうよう約束をした。

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ご主人は、「旅行者をもてなすのは当たり前。自分もよそに行ったときに、歓迎してもらえたからお互い様のことだ。」と話す。よっぽど人とよい関わりをしてきた人なのだろう。私が「セントジュルジでも、日本でもお待ちしています。」というと、「人生どんなことだってありえるさ。」と言って笑った。
息子は奥さんにねだって、やっと開きかけたチューリップやスミレの花をちぎらせてもらい満足そう。夕方牛乳をもらいに行くように約束をして別れた。

やがて日が傾きかけて、ペットボトルを二つ抱えてフィリップさんの所に向かう。
ちょうどウシの乳を搾るところらしく、中を拝見。大きなウシ二頭に子牛もいた。息子も乳絞りを初体験させてもらう。が、ウシのお乳はとんでもない方向に向かって飛んでいった。おばさんはさすがベテラン。あっという間にバケツが一杯になり、「絞りたてが一番体にいいのよ。」とコップを差し出してくださった。
搾りたての牛乳は、幸せな味。なぜこんなに美味しいものがあるのに、ジュースや酒を買うのだろう。ペットボトルにもたくさん牛乳が注がれた。

小屋から出るとご主人が馬小屋に呼び入れる。
つるつるに光った茶色の肌をした立派な馬が二頭。「馬は足の力が強いから、決して後ろに立ってはいけない。」こう聞かされていたから入るのを躊躇していると、馬を連れてご主人が外に出てきた。どうやら息子を乗せてくれるらしい。馬の背には毛布がしかれ、快適そうだ。優しい目をした馬の背に抱え上げられ、息子は誇らしげである。おじさんがゆっくりと庭を二週させた。午後の日差しに、馬の毛並みが美しく輝いた。いったん馬から下りたものの、もう一度とせがむので、もうあと一周させてもらった。

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自家製のチーズと牛乳を安くで分けていただき、カティおばあちゃんにも牛乳を持っていった。ちょうど夕食時だったようで、少し話をしていると「さあお食べなさい。」とゆでたてのジャガイモと羊のチーズをテーブルに置いた。明日もう帰るので、今日は急ぐことを告げると「まあ、可哀想に。」といった。

こうしてコーシュテレクの気さくな村人たちと別れた。
まだここにいながらも「次はいつ来られるだろう。」と考えている。
どうして知り合ったばかりの人に、心をこうも開けるのだろう。もてなし上手、お客好き・・・。きっと村の人たちは、お金で買えないものの大切さをよく知っているからだろう。ほとんどを自給自足でまかなうから、人との交流、付き合いに物を惜しまない。
都市の生活との決定的な違いはここだ。お金はなくても、どこか心にゆとりがあるのだ。
もう一度、この村に帰ってこの「おもてなし精神」を学びたい。よくしてもらった分、どこかでお返ししたい。そう思った。

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Theme:東欧
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comments(2)|trackback(0)|その他の地方の村|2008-05-15_06:13|page top

ジメシュのツーリズム計画

エーヴァたちは、チャーンゴー協会から派遣されたハンガリー語教師である。
始めは半年のつもりできたのに、この地が気に入ってもう4年目になる。人口が600人の村だから、子供の数も少ない。その数少ない子供たちと深く関わってきた。

ルーマニア一般の教育事情として、村の教師の水準は低い。教員免許を持った力のある教師はほとんどが都市部を希望するから、農村部には古い体制の教師たちが多いという。そこにエーヴァたちのような、一流の教育を受けた意欲あふれる教師たちが来たのだから、村にとっては思ってもいない贈り物だろう。ただ、エーヴァの話を聞いていると村の住民はまだその価値に気がついていないと見える。

民族舞踊を得意とする二人は、地元に学生の民族舞踊グループを作った。ちなみにエーヴァの兄は、町の民俗舞踊団で踊っている。まだよそに公演はしていないものの、かなりのレベルにまで達しているようだ。
そしてこの春休み中には、村で伝統的な結婚式を催し大成功を収めたそうだ。本当の結婚式ではなく、子供たちが衣装を着て、古い習慣を再現したものだ。花嫁をもらう時のせりふを言ったり、もちろん音楽や踊りもあった。二人とも大学で民俗学を専攻していたから、きっと本格的なイベントだったであろう。
いかにして地域の特徴を生かし、自分達のものにするか。それを心から考え、実践してみせた。その影響力は大きいだろう。

そしてもう一つ、村のために貢献していることがある。
よそから隔離され農業に適しない環境のコーシュテレクでは、主な収入源は林業と牧畜業のみである。若者たちは村から離れることを余儀なくされている。
それで、考え付いたのはツーリズムである。
交通の不便は悪いが、その分未開発の自然の美しさ、何よりも村の人々のメンタリティー、伝統的な生活習慣は昔のままに残っている。それを生かして、村の人々に新たな生活の道が開けることになる。

私たちの滞在の間に、ちょうどハンガリーからの旅行者のグループがやってきた。今週の週末がちょうど、キリスト教の聖霊降臨祭にあたることから、チークセレダの隣村チークショムヨーで大掛かりなカトリックのミサが開かれる。トランシルヴァニアにおいて最も重要な巡礼地である。彼らは、それを目的にやってきた巡礼者たちである。

その旅行者たちは、このコーシュテレクの民家に泊まり、翌朝には徒歩でチークショムヨーを目指すという。ちなみにその距離はなんと25km! 子供づれの私たちにはとんでもない距離だ。これは巡礼という宗教的な儀式であるから、道が険しければ険しいほど、遠ければ遠いほどいいのかもしれない。

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この宿泊地についても直前まで決まらなかったようで、彼らは頭を痛めていた。まだ、村の人たちには新しい可能性を受け入れる準備ができていないようだ。

次の朝、村のカトリック教会でハンガリーの旅行者たちのためにミサが開かれた。
私たちも行ってみることにした。この村の神父さんは、モルドヴァ地方のチャーンゴー人である。以前遊びに行ったときには、ニコニコとやさしく微笑む、権威を感じさせない謙虚なおじいさんであった。ただ難点は、言語障害があるらしく言葉に何度も詰まって、話が聞き取りにくいことだった。これで村の住民の信頼は得られるのだろうか、ミサでは話が聞き取れるのか心配だったが、驚いたことに、ミサではすらすらと言葉が流れ、威厳あふれる神父さまだった。

ミサが終わると、民族衣装をまとったうら若き乙女二人と少年が立っていた。
男性は丈の長いシャツに帯を締め、女性は刺しゅうの鮮やかなチュニックに黒っぽい織りのまきスカート姿。ちらりと長いチュニックのすそを見せるのがポイントである。美しい刺しゅうがここにも。
チャーンゴーの衣装は、ルーマニアのそれにそっくりである。女性のブラウスのそでは膨らみ、ハンガリーのものに似ている。

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まず男の子がはっきりとした大きな声で詩を暗誦した。ペトゥーフィ・シャーンドルの長い詩を堂々とそらんじた。拍手が起こる。
一方で女の子たちは微笑んでいるだけなので、その内に見物客が「歌でも歌って。」と声をかけ出した。予想外のことに少し戸惑いの色を見せたが、少女たちはひそひそと相談を始め、やがて大きな声でチャーンゴーの民謡を歌った。しっかりとした歌声だった。きっとエーヴァかアンドラーシュの教え子たちだろう。

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彼ら次の世代の者たちは、この村の問題に新しい解決法を見出してくれるだろう。

アンドラーシュの作った、コーシュテレクの案内文はこのように綴られる。
“残念ながら、グローバル化の進む現代の社会の中で人々は自然から遠ざかり、健全なる人間関係も失われつつあります。コーシュテレクでは、この地理的に閉鎖しているために、この危険性は今のところまだありません。この地を訪れた人は、ふだん私たちが本や博物館の中でしか見ることのできないような伝統的で、原始的な文化に出会うことでしょう。なぜなら、この地の住民はまだ自然とともに毎日の生活を営んでいるからです。
旅行者の皆様は、村の住民と生活する内にきっとこの忘れ去られてしまった生活習慣を味わうことができるでしょう。・・・どうぞコーシュテレクにいらしてください。きっと後に再びこの村に帰りたくなることでしょう。“

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comments(1)|trackback(0)|その他の地方の村|2008-05-14_06:31|page top

ジメシュの山に暮らすおばあちゃん

ジメシュの朝は、空気が冷え冷えと張りつめる。
見ると霜がふったようで、地面の芝には朝露が光っていた。まるで季節が春の初めに戻ったかのようだ。
この村の先には集落がないので車の音がなく、鳥の声や馬車の通る音だけが聞こえる。
庭の木は、まだ白いつぼみをつけている。息子がついて早々、咲いたばかりの庭中の花を摘み取ってしまったので、寂しい感じだ。それはカンカリンと呼ばれる、小さなレモン色の花が鈴なりとなったもので、いかにも北国の野花らしいさわやかな色合いである。

食事を済ませると、エーヴァが私たちを使いに出した。
山の上に一人暮らしをしている80歳のおばあちゃんがいるというので、食べ物を届けにいく。本通りをしばらく進み、右の小道に入る。夕べ雨が降った様子で、道路は少しぬかるんでいた。目の前には家畜が通る。

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村の人はすぐに私たちがよそ者であることが分かるから、挨拶をすると「どこから来たのか。」「どこに泊まっているのか。」は必須の質問事項である。エーヴァの言うとおり、この村の住民は開放的で、よそ者に対してもいたって親切である。
こんなに閉鎖的な環境であるにもかかわらず、きれいなハンガリー語を話すことには旦那も驚いていた。それでも読み書きができる人は少ないらしく、子供の教育にしても文字というものがネックであると話していた。

しばらく行くと、大きな家の前でおじさんが仕事をしていたので、カティおばあちゃんの家を聞いてみる。おばさんは「あそこのおばあちゃんは、よく村に下りていくから留守かもしれない。」と告げた。おじさんが家から出てきて案内してくれると言う。

ジメシュに特徴的なこの木の柵、人の所有地かと思っていたら違うらしい。通りを行く人は自由に柵を下ろして、中に入ってもいいという。

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私たちは泥道を避けて緑の原っぱを進み、やがておじさんが止まって、山の中腹にある赤い屋根の家を指差した。「あそこだよ。」80歳のお年寄りにはきついことが容易に想像できる。地上から100mほどあるだろうか。

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息子を引っ張り、坂道をひたすら登ってゆく。
また花摘みに夢中なので、なかなか前に進まない。やっとのことで赤い屋根の家に着くと、中はどうやら留守のようだ。仕方がないので、この辺を散策して待つことにした。

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さらに進むと、また柵が見えてくる。
どうしてこんなに柵が多いのか。旦那が言った。「柵の向こう側とこちら側を見てみて。ほら草の色が違うだろう。」そうだ。そういえば、向こう側は枯れた茶色をしているが、こちら側は輝くような緑である。この狭い牧草地を有効に利用するための知恵なのだ。

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山の上からの景色は美しかった。
村を足元に一望し、草に横たわってかぼちゃの種を食べる。もうそろそろ昼だろう。雲行きも怪しくなってきた。

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またステキな花を見つけた。
濃い青は、まるでインクをたらしたかのよう。これほど色が鮮やかでなかったら、見逃してしまうほど茎の短い花である。後に名前を聞いてみたら、「やせたチューリップ」だという。やせた土地に咲く、チューリップという意味だ。

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花を摘んで、家に帰ることにした。
元の道を下って降りて、先ほど道案内をしてくれた家で会ったおばさんに、不在であったとことを告げると、「どうぞ。うちにおいで。少し食べていきなさい。」と声をかけてくれた。突然の招待に面食らったが、有難く礼を言って遠慮した。

途中おばあちゃんが何人か通ったので、声をかけてみたが違った。
そして車がやってきて、エーヴァが下りた。カティおばあちゃんがいなかったと言うと、「さっき行った人がそうよ。」という。あの小柄で、赤い頬をした陽気なおばあちゃんのことだ。どうも耳が遠かったらしい。仕方がないので、また午後会いに行くことにした。

私たちがまた外に出たのは、夕方ごろだった。
村はずれのおばあちゃんの家に着くと、大きな声を張り上げて迎えてくれた。ワインを持ってきて乾杯する。少し酸味のある微炭酸の白ワイン。ブドウが生らないこの寒い土地では、ブドウをよそから買って自家製のワインを造るらしい。だから貴重な飲み物だ。
おばあちゃんは、ジメシュのよその村から嫁いできた。子供はなく、5年前にご主人様が亡くなったと言う。一人はよくないとか、足が痛いとかいう不満も言うが、あの明るい笑顔がすぐに浮かんでくるので、全く暗い感じはない。根っから明るいたちなのだろう。

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おばあちゃんの家は、かわいらしいエメラルド色の壁面に、お手製の刺しゅうの壁掛けがカラフルである。電気もないので、ランプは石油ランプである。見ると100年ほど前にブダペストで作られたアンティークものだ。ランプには可愛いレースがかかっている。

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若い頃は、織物もしていたようで、大きなテーブルクロスを見せてくれた。ケンデルと呼ばれるヘンプ製の織物は、素朴でやさしい手触りがする。
「これに刺しゅうをしようと思ったんだけれど、もう手がかなわなくてね。これをあなたにあげる。」と言われてびっくりしてしまった。旦那と顔を見合わせ、丁寧に断った。初めて会った私に、こんなに手の込んだ大切なものを渡すなんて・・・。
すると部屋から今度は、細長いクロスを持ってきて見せてくれた。おばあちゃんが糸から紡いで作ったものだ。細かい織り模様が美しい。柄の部分は、この土地のジメシュの民族衣装にも見られる幾何学模様。端には、レース編みのバラが施されている。

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おばあちゃんはまたも私に手渡して、「こんな山の上のおばあちゃんを訪ねてくれた記念に。持って行って。」となおも勧める。
私は有難く受け取った。

ワインで軽く酔いが回った後は、おばあちゃんに古いものを見せてもらって写真に撮る。
昔使っていたという糸紡ぎ棒、ちゃんと実演して見せてくれた。

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洗濯板と洗濯叩き。昔の主婦は仕事が大変だ。今はそれに比べて、ボタン一つである。

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倉庫に埃かぶっていた、鋭く先の尖ったもの。
これは何だと思いますか?

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子牛が母親のお乳を吸わないように、子牛の口に取り付けるものらしい。母ウシはもちろん痛いので、子牛に乳を吸わせなくなるという仕組み。昔は、人も胸に唐辛子やわさびを塗ったというが・・・さすがにこれは痛そうだ。これは、旦那がおばあちゃんに頼んでいただいた。

空も暗くなり始めたので、カティおばあちゃんの家を後にした。いつかまた来ると約束をして。
一人でたくましくジメシュの山に暮らすおばあちゃん、いつまでもお元気でいて欲しい。

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緑の王国ジメシュへ。

トランシルバニアのはずれ、カルパチア山脈の山間の地方ジメシュに行く。この旅行計画は、振って沸いたようなものだった。先のセントジュルジ祭で偶然出くわせた友人が「いつジメシュに来るの?」と聞いたので、そのままの成り行きで決定した。

私たちの電車が駅を発ったのは、午前11時。
特急なら一時間足らずで着くはずの、北の町まで2時間半の旅である。
大きなパンとハムやらチーズやらをカバンから広げ、ビチカと呼ばれる短刀で切ってその場で即席サンドウィッチを作る。これぞセーケイ風である。そして何よりも、美しい車窓の風景がご馳走。

ふんわりとした緑に包まれて、小川がうねりながらどこまでも続く。堤防もないので小川と思っていたら、旦那が「これは立派な川だ。まだ上流だからこそこんなに小さいが、下流でドナウ川に合流する頃には大淀川よりも大きくなる。」と訂正した。故郷の大淀川を思う。不思議と川には愛着を持っていて、ブダペスト留学時代も本気でドナウ川に対抗するほどの大きさだと思っていた。それにしても、このオルト川は情けないほど小さい。

いつしか電車は、コバスナ県とハルギタ県の境にあるトゥシュナードに差し掛かった。有名な保養地で、ここから山を登ればセントアンナ湖まで行くことができる。セントアンナ湖は火山によってできた透明度の高い湖で、水の中に全く生物がすんでいないという。

電車が山を過ぎてゆくと、先には広いなだらかな盆地が広がる。
これがハルギタ県だ。この辺は少し春が遅いらしく、タンポポが真っ盛り。若草色の畑に黄色がまぶしい。村には、形が整ってどっしりとした民家が並んでいる。伝統的な建造物が多いようだ。

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ハルギタというと、学生時代に何度か通ったことがあったが、どこまでも山が連なり緑の深い風景は日本のそれを思わせて、いつも懐かしさを感じる。
そのハルギタの中心地がチークセレダである。セントジュルジと同様、ハンガリー系住民が80%ほどを占めるセーケイの二大都市である。

駅に着くと、旦那によるとエーヴァたちが迎えに来てくれるとのことであった。遅れるかもしれないと断りがあったようなので、駅の前で待つ。
こんなこともあろうかと思って、密かにかぼちゃの種を隠し持っていた。このかぼちゃの種、いつかジプシーの親子が食べている姿を見て、いつかは食べ方をマスターしたいと思っていた。種をたてに持って、歯と歯の間で割ると中の実が出てくる。噛むとほのかな塩味に自然の甘みが感じられた。ただし私が不器用な手つきでするのに対し、彼らは口の中でその一切をほんの2秒ほどでしてしまうのである。

一時間ほどでエーヴァとアンドラーシュがやってきた。
チークセレダでいくつか買い物をしてから、町を後にした。村はここよりさらに寒い地方なので、夏野菜などは手に入らないからである。広々とした盆地から山にさしかかり、1300mほどまで高くなった。すると遠くにジメシュの村々が見えてきた。山と山との間にずっと細長い集落が連なっている。ジメシュの村に特徴なのは、タトロシュと呼ばれる(この名前の民俗音楽バンドもある。)小川をはさんで民家が並んでいることである。

そして、もう一つの特徴は木の柵である。裸の山にその柵があちらこちらに張り巡らされている。ここは平地が少ないにもかかわらず放牧をするため、柵をしてわずかな畑を守っているのだ。私たち日本人の目には珍しく美しいこの裸の山も、この放牧のためにできた現象だという。

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そして民家の古く美しいこと。
薄い木の板が積み上げられた屋根は、相当年数がたっていそうだが、木の渋い味が出ていてなんともいえない。ジメシュは作りのよい木造の家が多く、そして安いことでも有名である。コバスナ県でも家を建てるより、ジメシュから運んだほうが安上がりだと聞いたことがある。

ジメシュの村をいくつも過ぎて、やがてハルギタ県からバカウ県に入る。
この辺りは1000年の国境と呼ばれる場所で、いつか私も連れてきてもらったことがある。ハンガリー人としては胸の痛む、第一次大戦前まではハンガリー王国の国境だった場所だそうだ。

その古い国境を横切ると、ルーマニア系チャーンゴーの村が多くなる。そして車がやっと本道から右にそれると、エーヴァが言った。「ここからが長いのよ。15kmのところを約一時間かかっていくんだから。」思わず耳を疑う。15kmを一時間?時速4kmということ?1時間は大げさだそうだが、40分は軽くかかると言う。

そして川に差し掛かって・・・仰天した。
建設中の橋の下を、川が流れている。大人のひざまでの深さはあるだろう。そこを車が通るらしい。車はものすごい水しぶきを上げながらも、どうにか川を渡って向こう岸に到着。どうして木の板を置くとかいう工夫ができないのだろう。

これからは、舗装のない道をひたすらゆっくりと走る。道は曲がりくねっていて、先がどれほどあるかも分からない。初めて、彼らがこの町に来たときはどれほど不安だっただろう。雪のさなかは、途中で車が止まったこともあったという。故郷の宮崎にも僻地はあるが、これほどではないと思う。

エーヴァはジメシュに住んで4年になる。いわゆる僻地のハンガリー語教師として、この地に送られたのには訳がある。
ジメシュに住む人々は通称「チャーンゴー」と呼ばれ、元々セーケイ地方に住んでいたといわれる。環境のせいであろうが、ハンガリーとルーマニア文化の混ざり合った独特の習慣、文化を持っている。ハンガリー語の損失が危ぶまれる地方の一つとして、ハンガリーがその村のハンガリー語教育を援助しているのである。

やがて民家が見え始めた。
午後に傾いた日差しが、木の柵に黒く淡い影を投げかける。薄い若草色がまばらに見える木々に、まだ春が来ていないことがうかがい知れる。この山に囲まれた土地がコーシュテレク(牡羊の土地)である。

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車が止まると、外には二階建てのメルヘンチックな家がある。
この緑の王国での宿にふさわしい。私たちはこの住んだ空気と疲れのために朝までぐっすりと休んだ。

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