トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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蘇州の朋友

私が3日間過ごしたのは、
水郷の町にふさわしい運河の近くの小さなホステルだった。
1日目が終わって、宿に戻ると
同じ部屋に眼鏡をかけた若い女性がベッドに荷物を広げていた。
私を見るとすぐに中国語の挨拶が口をついて出たが、
「私、中国語できないの。」というと、すぐに理解したらしい。すぐに英語で返事が返ってきた。
「今日行ってきたところが素晴らしくてね。
西糖というんだけど、ほらこの写真見てよ。美しいでしょ!」
彼女はその観光地の写真を見せては熱烈にその美しさを褒めたたえ、
買ってきたお土産のをひとつひとつ取り出して見せ、
「あなたも絶対に見に行くべきよ!」と締めくくった。

Cocoの出身は、北朝鮮やロシアと接する中国最北端の黒竜江省。
彼女の携帯が鳴ると、
これまで聞いたこともないような耳に心地よい響きの中国語で話しはじめた。
「私、あなたの中国語が好きよ。美しいわ。」と心から言うと、
「少しインターネットで勉強してみたんだけれど、
発音がそれは難しくて・・。」

すると彼女は、大学で外国人のための中国語教師養成の学科に通っていたことを話した。
「いい、中国語の母音はA,E、I、Ü、U、Oとあって・・・」
この発音は、こういうの。ほら、言ってみて。うん、上手じゃない!」
すでに彼女は教師に早代わりしていて、
いつしか中国語個人授業がはじまっていた。

「ところで、明日の予定は決まってる?」
こうして、私たちは明日の行動をともにすることになった。
彼女は綿密な旅の計画をすでに立てていて、
まず清代の庭園を見に行き、食事をともにし、
別の庭園に行ったあと、夜は運河のクルーズに乗り、
三輪タクシーで古い建築の残る一角へ。
思いがけず、定番の蘇州観光を夜おそくまで満喫した。

庭園の竹林を見ているときに、こういった。
「竹は中国文化において、これを示すものなの。」
彼女の書きとめは文字には、「徳」とあった。
「そのまっすぐな形のために人の心の正直さを表していて、大切な要素なのよ。」

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「孝」についても、話題になることがあった。
「こんなこときっとアメリカ人に言ったって通用しないだろうけど、
私たちは旅行に行くときには必ず、家族や親戚にお土産を買っていくわ。
何だっていいけど、その気持ちを表すことが大切なの。」
私たちの親も祖父母も、そのご先祖さまの代からずっと知っていること。
私たちの血の中にも、同じ道徳がしっかりと流れている。

日が傾きかけたころ、彼女にこういったことがある。
「私ね、中国人は日本人のこと嫌いだと思っていたのよ。
だから自分が日本人だと言うのが、すこし怖かった。」
すると彼女は私の目をまっすぐに見すえて、こういった。
「あなたが中国人を好きなら、私たちだって好きだわ。
でももし中国人を嫌いなら、私たちだって嫌いなだけよ。」
心の中にひとすじの陽が差し込んできたような気がした。

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「中国人の声が大きいのはね。
そもそも人口が多すぎるからなの。
だって、これだけの人がいるんですもの、
大声で主張しなかったら誰も聞いてはくれないわ。」
東京の地下鉄の中は静かだと話すと、
「だって、日本は人が少ないから。」と彼女は当然のように言う。

食事のときに食べ物を散らかすというのは、私も聞いてはいた。
彼女も平気な顔で、お肉の骨などをテーブルの上に落としている。
ふと私が箸から取り落とした唐辛子を、
お皿のすみにそっと置いたのを彼女は不思議な視線を投げかけていた。
「日本では食べ物をテーブルに置いたりはしない?
中国ではね、テーブルに落ちたものは絶対に拾ってはいけないの。」
ここでは、浄と不浄の基準が違うのだ。
常識は国境を越えたら通じない。
これからは自分の習慣を変えていかないとと感じた。

彼女と過ごした数日間でさまざまなことを学び、
中国が驚くほど近くなった。
そして、最後の日の早朝、
ルームメイトたちが眠っている部屋をしずかに抜け出し、
動車組の出発する中心からひどく離れた西駅へとタクシーを走らせた。
次の目的地は、徐州。
いよいよ有名な観光都市から遠ざかり、内陸部へと近づいていく。


comments(2)|trackback(0)|中国ひとり旅|2012-04-06_12:14|page top

蘇州の琴の音

蘇州という町が中国の歴史に登場するのは古く、
紀元前6世紀ごろの春秋時代のこと。
かつては呉と呼ばれ、人口の運河を中心にした
東洋のベニスといわれるまでに活気のある町となった。

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世界遺産に指定される多くの中国式庭園で有名な蘇州だが、
私の目的は、「古琴」と呼ばれる楽器だけに絞られていた。
景徳路とよばれる通りを中心に、たくさんの楽器屋が名をつらねている。
蘇州には古くからの楽器製造会社が残っているらしく、
二胡や笙、琴に筝などの伝統楽器が店内には数多く見られる。

古琴の音をはじめて聴いたのは、半年ほど前のこと。
日本で聞き知っている筝とは違い、
小ぶりの楽器で音も小さいが、何とも深い独特の響きをもつ。
古代には孔子も演奏をしていたことをはじめ、
三国時代の諸葛亮や竹林の七賢として知られる西晋の阮籍など、
中国の貴族、文人たちの嗜みとして広く愛されてきた。
古代中国文化の名残を今に色濃く伝える、歴史深い楽器である。

とある大きな楽器店に足を踏み入れたのが、
私の古琴との大きな出会いとなった。
お店の店主のおばさんに楽器の値段を聞いたりしているうちに、
私の話を真剣に聞いてくれる彼女の態度を感じた。
持ち歩いていたノートに筆談で、楽器を学びたいという意思を伝えると、
「古琴を学ぶには時間が必要よ。」とおばさん。
自分の旅程と照らし合わせて、
はじめの2日間と旅の終わりの3日間を古琴の練習に当てたいと伝えた。
する彼女は、「お師匠さんを探してあげるから。」との返事。
電話でその師匠さんと約束を取り付けてくれ、
次の日の朝9時に店でレッスンを受けることになった。

朝がやってきた。
ホステルを出て路地のゴマパンと豆乳の朝食をとった後、
運河をゆったりと散歩をして時間をつぶしながら楽器店に向かう。
9時より15分ほど前に到着すると、
店の奥から店主のおばさんがあわてた様子でやってきた。
「もう先生が待っているわよ!」
買ったばかりの携帯の時間を、なんと1時間遅れて設定してしまったようだ。
「君、日本時間になっているよ。」と気さくな店主のおじさんが笑う。
店の奥の階段を駆け上っていくと、
小さな部屋に控えめな若い女性がひとり立っていた。
自己紹介をしながらも、遅刻の非礼を何度も詫びた。
「いいのよ。」と静かな声で微笑む。
流暢に英語をあやつるその中国人女性リサが、私の古琴の師匠となった。

彼女は大学でイタリア語を専攻して、通訳を目指したこともあったが、
今は大学に再入学して心理学を勉強し、カウンセラーを目指している。
学校の勉強が忙しい合間に、私のような飛び入りの生徒を受け入れてくれた。

はじめは古琴の楽器の歴史やいわれ、彼女自身の古琴との出会いなどを、
彼女が美しい英語で紹介する。
散音(さんおん)は地の音、泛音(はんおん)は天、
按音(あんおん) は人の言葉ををあらわすと言われているそうだ。

「もう10年もこの楽器を演奏しているの。
私が、この楽器と出会ったのは18のときだったんだけれど、
お師匠さんとの出会いやすべてがラッキーだったのよ。」
彼女は私のノートにさっと文字を書きつけた。
「縁分」とある。
「英語ではこの言葉を訳することができないんだけれど、
あなたとこうして出会ったことも、すべて同じよ。」
「それ、よく分かるわ。」
私たち東洋人だけにしか伝わらない概念。
それは、言葉の響きは違っていても
文字を通じて伝わってくる漢字文化の培った財産。
私はこれを感じるがために、中国にいるのだ。

「私は4年間ヨーロッパに住んでいて、
生活にも言葉にも慣れてきているはずなのに、
なぜかここ最近、急に自分の生活に空虚なものを感じるの。
その何かを埋めるために中国に来て、
どうしてもこの楽器を学びたいと思ったのよ。」
なぜかそれを話したとき、
彼女の言う「縁」というものの深さが身に沁みて感じられ、ふと涙ぐんだ。
そうして、たどたどしい私の理解力とともに
彼女は文字通りに格闘してくれた。

リサの演奏は、文句なしに素晴らしかった。
ふっくらした白い指が、時にやさしく、時に激しく、時に物哀しく揺れ動き、
それぞれに違った音の響きを奏でる。
特に左手の動きはまるで舞踊のようで、
目と耳とが釘付けになってしまう。

「音楽のほとんどは、苦しみや哀しみを表しているわ。」
あるとき、彼女はそう言って切なそうに微笑んだ。
それは、自分の信念を伝えようと中国各地を奔走し、
たくさんの弟子を集めながらも苦労の生涯を送った孔子の辛苦でもあり、
腐敗する政治から身を引き、一切の俗世界との関係を断ち切り、
詩や音楽の世界に生きつつも、不遇の生涯を送った阮籍の悲哀でもある。

zhenzhou 120

美しい古代中国の世界。
その悠久の時代に瞬時に心を結びつけてくれる、
楽器のもつ不思議な力に酔いしれた。
comments(0)|trackback(0)|中国ひとり旅|2012-04-05_10:37|page top

上海の石の要塞

老街門のユースホステルは、
中国の若者たちが集まりにぎやかに一日が過ぎていく。
小さな部屋に6つのベッドが集まり、
部屋には洗濯物をかけたハンガーがこれまた色とりどりに広がっている。

中国へのはじめの扉を開くと、
すぐに快活そうな笑顔の少女と目が合った。
「私は少しだけ日本語ができるから、
中国のこといろいろと教えてあげられるかもしれない。」
いたずらそうな瞳が笑った。

「ワタシノ ナマエハ 佳音(かおん)デス。」
はっきりとした発音で、彼女の口から日本語が聞きとれる。
「大学で英語と日本語を勉強したんだけど、
もう卒業以来使わないからすっかり忘れちゃったわ。」
彼女は朝は一向に起きてこなかったので、
会うのは夜だけだったが妹のような存在だった。

「ねえ、そのバッグちょっと見せてくれない。」
ベッドで横になっていた少女が、声をかける。
手作りの古い布のバッグを珍しそうに見て、さっそく写真を撮っている。
「これ、私の母の手作りなのよ。」
こうして、大都会上海の一角での数日がはじまった。


中国の朝が、一日の中でいちばん好きだ。
小さな通りをあわただしく急ぐ人々に、
もっと早起きをして朝食をこしらえる人々から
できたての肉まんや麺、お粥などを買い求める。
暖かい朝日の中に立ちのぼる
白い湯気と食べもののよい香りが心地よい。
見たこともないような明るいグリーンの野菜や、鶏、魚や果てにはカエルまで売られている。
活力であふれる朝の風景。

shanghai 142

巨大な高層住宅が蜃気楼のようにかすむ大都市のあちこちに、
石造りの要塞が築かれている。
狭い路地から覗きみえる普通の人の生活。
トントンと野菜を切る音、食器を洗う音、
石の砦に万国旗のようにはためく洗濯もの・・。
中国の今が生活のにおいとともに、嫌が負にも目の前に突きだされている。

suzhou 171

たくさんの人と物でひしめく空気の汚れた都会の街を後にして、
次の目的地、蘇州へと向かう。

comments(2)|trackback(0)|中国ひとり旅|2012-04-04_13:18|page top

東洋への旅

海外生活も4年目を過ぎようとしたとき、
ふと自分が何かを置き忘れてきてしまったような感覚にとらわれるようになった。
気がつくと、今おかれている環境からも時代からも遠く離れた
はるか遠い文化の中に我が身をおいていた。
自分の足元をもう一度見つめなおすために、
東洋という大きな、自分の文化の源泉を発見するために、
私は旅に出ようと決意をした。

旅の目的は黄河文明の歴史に触れること、
そして中国古代から伝わる楽器「古琴」を学ぶこと。
私の求める古きよき中国文化は、
今の中国で果たして感じられるのだろうかという不安もよぎりつつ、
東から西へと大陸を横断することにした。

時は3月。
まだ大雪の残るブカレストを飛び立つ。
ちょうど忘れられないあの大災害が起こった一年後に、
私はひとり上海空港に降り立った。
万里の長城の絵が印刷されたビザつきのパスポートをしっかりと胸にしまい、
20日間の長い旅がはじまった。

shanghai 110

comments(2)|trackback(0)|中国ひとり旅|2012-04-04_12:12|page top