トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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ブログ翻訳

銅に描く絵


ダンナの高校時代の友人の家へ招かれた。
一月後半、
思いのほか暖かい時期が続いていたのが、
また雪が地面を白く覆いはじめた。

その日もまだ雪が残る、土曜日。
ペーテル夫妻の車で、
ブラショフの隣り町サチェレへと向かった。
ハンガリー語では、ヘートファル(7つの村)と呼ばれる。

ブラショフからブカレスト方面へぬける
国道沿いを行くと、もうそこはカルパチア山脈の入り口。
その山沿いにあるのが、サチェレである。
針葉樹が雪で真っ白く、
その形をあらわにしていた。
美しい雪景色に、思わずため息をつく。

その町の面白いところは、
細長いということ。
町の中央を背骨のように伸びる道に沿って、
家がくっつくように並んでいる。
歩道なんて、すれ違うのがやっとというほど狭い。
その小さな本道を、大型トラックなども行くのだから
住む人はどんな思いだろう。

私たちは目を凝らしながら、
その長くくねった道を先へ先へと進む。
ブラショフ周辺はもともと、
ザクセン人と呼ばれるドイツ系の住民が
多くすんでいたから、
この町も自然とドイツ系に習った造りになった。
家の屋根ほどもある高い門、
そして広場を中心とした構造などがそうである。

なんとか見過ごすことなく、友人宅を発見。
あたたかい室内に入って、ほっと一息つく。
カティも、赤ちゃんの服を脱がせる。
「 赤ちゃんには、そんなに厚着させなくていいって言うけど・・
  それでも心配でついつい着せちゃうのよね。」
  
hetfalu 002

最近は「妹がほしい。」などと口にするようになった割には、
あまりの小ささにどうしていいか分からず、
戸惑ったようすの息子。

hetfalu 001

今日ここへ来たのは、
アクセサリー作家のカティが
銅の彫刻の仕方を学ぶためでもある。
友人のお父さんは、
共産主義時代に工芸で身を立てていたという。
早速、道具を持ってきてくれた。

hetfalu 003

木彫りの彫刻刀とは違って、
面白い形をした道具。

65.jpg

厚さ5mmほどの銅の板を、
先の丸い道具で強く押して表面を膨らませる。
それから板を裏に返して、
膨らんだ部分の周りを彫って
さらに模様を引き立たせる。
そうして出来た作品がこちら。

019.jpg

それから練習が始まった。
けっこう力が要るようだ。
見るには簡単そうだが、やってみると難しいらしい。

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hetfalu 038

共産主義時代には、
ブラショフに大きな銅の工場があって、
さまざまな製品を作っていたようだ。
可愛い花のモチーフや、ボタン、硬貨のようなモチーフ、
ブラショフの町の紋章まである。

012.jpg

こちらはカティの作ったペンダントトップ。
銅に絵を描いて、七宝焼きにする。
うまく新しいテクニックをものにしたら、
どんな作品が出来るか楽しみだ。

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ペーテルおじさんにお願いをして、
昔の作品を見せていただく。
二階の大広間に通されると、
そこは銅や鉄の細工でいっぱい。
中にゴブラン刺繍を入れて、
こんなペンダントも。

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たった二日で作り上げたという
大きなタペストリー。
あの小さな道具だけで、
こんな立体感が出せるなんて驚いてしまう。

015.jpg

去年作ったばかりだという作品は、
キリストとマリアがテーマになっているという。

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手前が石膏でつくたもの。
今は仕事ではないので、
ご自分の趣味で続けていらっしゃるそうだ。

018.jpg

先ほど見せてもらった、
小さなモチーフはグラスに取り付けられる。
木の切り株に王冠がかぶっている絵は、
ブラショフの町の紋章。
昔、木の切り株から王冠が見つかったという伝説に基づいている。
ちなみにブラショフとはスラブ系の言葉が発祥のようで、
ドイツ語ではクロンシュタット(王冠の町)と呼ぶそうだ。

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私のお気に入りは、
このタバコの灰皿と女体のパイプ。
精巧に彫られた木のパイプは、
日本の根付を想わせる。

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応接間を見せていただいて、
階段を下る途中、こんなものを目にした。
7つの村に伝わる民族衣装の一部、
ベルトである。

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年代を経た独特の味が、
その渋い輝きの中ににじみ出ている。
これもドイツ系の文化から伝わったものである。

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ここ7つの村で、金属の造形の美は、
しっかりとその子孫にも受け継がれてきたのだろう。
90年代以降は、銅を作る工場も閉鎖され、
こうした手工芸に携わる人も
今ではほとんどいなくなってしまった。

ここトランシルヴァニアでは、
激動の20世紀で
これまで続いてきた伝統が途絶えてしまった。
中世から続いてきた工房や
貴族文化、学術的なことまで・・・・

そうした古いもの、
先祖が培ってきた知恵や技術を
さらに掘り返していけば、
彼らの進むべき道がはっきりと見えてくるかもしれない。



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Theme:ルーマニア
Genre:海外情報

comments(2)|trackback(0)|アート|2009-02-02_05:15|page top

アール・ヌーヴォーの宮殿へ

その旅行計画は、いつものように
降って湧いたものだった。

夜行列車で300kmほど離れた町、
トゥルグ・ムレシュ(ハンガリー名 マロシュ・ヴァーシャールヘイ)まで
行くことになった。
その旅行の発端は、とあるインターネットの広告であった。

ピカピカと黒光りした鉄のボディに、
黄金色の唐草模様の入ったヴィンテージ・ミシン。
それは、旧ソビエト時代に作られたもの。
このミシンを求めに、わざわざ親子3人で
はるばる旅行をすることになった。

夜行列車はカルパチア山脈を北西に伝って走り、
トゥルグ・ムレシュに到着したのは朝8時前。
まだ朝日の昇らない町の中を
歩き始めた。

トゥルグ・ムレシュは、ハンガリー系、ルーマニア系の
住民比が約半々の町である。
それだけに民族間の確執もあるようで、
90年代初めには両住民の衝突もあったといわれる・・・。

屋根がふっくらと円形になった、
エキゾチックな雰囲気の建物が見えてきた。
ユダヤの教会シナゴーク。

maros.jpg

そう忘れてはいけない、
かつてはユダヤ人も多く住んでいた。
トランシルヴァニアのユダヤ教会には
まだ一度も入ったためしがない。
残念ながら、その扉も閉ざされていた。

朝もやの中を路上で軽く朝食を済ませ、
まずはミシンの持ち主の家を訪ねた。
ミシンは思ったとおりのずっしりとしたもので、
状態もよかったので直ぐに購入。

ミシンの後は、町の散策に出かける。
トゥルグ・ムレシュの町を歩いていると、
孔雀の羽をあしらった門や、
チューリップを様式化した壁面の飾りなど・・・
いかにアール・ヌーヴォー建築が多いかに驚かされる。
通りには、中世からの石畳も見られる。

私たちが世紀転換期の世界に浸っていると、
ギラギラと目新しいブティックの列、
そして社会主義時代の巨大なモニュメントがドンと現れ、
思わず苦笑してしまう。

やがて最大の目的である文化会館が見えてきた。
20世紀はじめに建てられた劇場+コンサートホール。
20世紀ハンガリー芸術の金字塔・・・と私は呼びたい。

BETHREHEM 048

ちなみに隣は警察である。
まさか警察のためにこんな美しい建物が計画されたなんて
考えにくいし、元々は何に使われていたのだろう。
フォークアートのチューリップを模った、
セラミックがキラキラと輝いていた。

maros2.jpg

ルーマニア語、ハンガリー語で書かれた
「文化会館」の文字の下には、
モザイク画が見られる。
HUNGARIAの玉座に座るのは
擬人化されたハンガリーそのものだという。

maros10.jpg

別の壁には、
民俗衣装を着て機織りをしているような、
糸を紡いでいるような女たちの姿。
楽器を弾いているようにも見える。

BETHREHEM 015

入り口の扉の鉄格子も、
まるで孔雀のようなハートが渦を巻いている。
西欧に端を発したアール・ヌーヴォーも、
東欧にまで伝わると
今度は土着のフォークロアと結びついた。
ハンガリーでは、これを「ハンガリー様式」と呼ぶ。

BETHREHEM 018

入り口まで来てみて、愕然とする。
張り紙には、月曜休館の文字。
あっと声を上げる。
「ちゃんと調べてくるんだった・・・。」

この建物の一階は、ツーリスト・インフォメーションになっている。
私たちは帰りの汽車を調べようと中に入った。
事務員がテキパキと、時刻表を書き取っている間に
ダンナが文化会館へ入れるかどうかを尋ねてくれた。
「 一階だけなら入れると思います。
 こちらへどうぞ。」と思いがけない返事。

私は、半分夢心地で中へと足を踏み入れた。
中へ入って、思わずあっと声が出る。

BETHREHEM 026

自分の体が、そのままタイムスリップしてしまった感じ。
これまでアール・ヌーヴォーを外から眺め、
感じることは多かったが、
360度全てがこの世界・・・・
まるで鳥肌の立つような、
不思議なパワーを感じる。
これだけ密集しても、
これだけさまざまな要素が入り混じっていても
何の違和感もなくまとまっている。
まさに装飾の力なのだ。

BETHREHEM 027

BETHREHEM 044

正面へ進むと、
天使の像にはさまれた碑が見られる。
ハプスブルク帝国の皇帝ヨセフ・フェレンツによって建てられた
この文化施設への寄付したものの名前が挙げられている。
公爵や実業家、弁護士、医者・・・・。
社会主義時代には、この碑は取り除かれたままで、
ここ最近やっと元の場所に取り付けられたそうだ。

BETHREHEM 029

正面と、劇場入り口をはさんで両脇には
クルシフーイ・クリーシュ・アラダールによる
フレスコ画が見られる。
幻想的で透明感にあふれた色彩、
物語や伝説をテーマにした
ドラマチックな光景に思わず息を呑む。

ハンガリーのキリスト教受容するまえの、
シャーマンを中心とした信仰世界。

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画家がこよなく愛した、
トランシルヴァニアのカロタセグ地方の民族衣装。

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中へと招かれて、劇場も見学。
うすいブルーの壁に黄金色の装飾が、
夜明け前にまたたく星のよう。

よくよく見てみると、
それは星ではない。
ハンガリーのフォークロアに見られる
鉢から体をくねらせて伸びたチューリップ。

どうして、ここまでフォークロアに執着したのだろう?
農村に生きる人たちの芸術が、
ただナイーブで新鮮だ・・・というだけではなく、
自分たちのかけがえのないルーツであると信じていた、
その思いが伝わってくるようである。

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さて見学もそろそろ終わり・・・というところで、
上への階段がふと目に留まった。
思わず興奮して、上へと足がのびてゆく。
なんて斬新な花模様!

BETHREHEM 040

これまでの具象的で、繊細な植物もようとは打って変わって、
マットなエメラルドグリーンと、黒、カラフルな配色。
黒地にベネチアン・グラスをちりばめたよう。
アール・デコがここには到来したかのようだ。

奥に見られるのは
ハンガリーを代表する作曲家、フェレンツ・リストを模った
ステンドグラス。

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このようにして、
文化会館・・・
アール・ヌーヴォーの宮殿の見学は終わった。
この二階には、最大の見所である「鏡の間」が控えていたが、
今回は仕方がなく見送ることにした。

ハンガリーの美術、工芸、建築・・・
あらゆる美と技術の結晶。
それに劇場の中のパイプオルガンは、
当時の世界最高レベルのものであるという。

どうして、トランシルヴァニアの中規模の町に
こんな大々的な建築物があったか・・・
それは、マロシュ・ヴァーシャルヘイ(現在の、トゥルグ・ムレシュ)の
市長の力によるところだという。

そして残念なことに、
鏡の間にあるステンドグラスのシリーズは、
国際博覧会へ出品する予定であったのが、
第一次大戦が始まったために、
世界の陽の目を浴びる機会を失ってしまったということだ。

それ以降、
アール・ヌーヴォーの流行が去るのと同時に、
ハンガリーの工芸は衰退していってしまった。

やがてトゥルグ・ムレシュを電車が離れ、
山を越えて待っていたのは
一面の雪景色だった。

BETHREHEM 063


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*旧ソビエト製ヴィンテージ・ミシンについては、
 もうひとつのブログで。

Theme:東欧
Genre:海外情報

comments(4)|trackback(0)|アート|2008-12-21_07:52|page top

ドボイで揺りかご作り

ダンナの高校時代の友人に子供が生まれた。
ちょうど、もう一人の高校の旧友の結婚式と同じ日であった。

ダンナは何を思ったのか、友人の出産祝いに揺りかごを作ろうと計画を始めた。
確かに今は、村で家を建ててくれることになっている大工さんが仕事で忙しいため、また作業が休止している状態である。
その友人というのは彫刻家なのだから、そんなプロに贈るなんて失礼じゃないか・・・と私は考えるのだが。

そういう訳で、私たちは揺りかご製作のためにドボイへ向かった。
もう一人の彫刻家、バルニと共同で作ってプレゼントするというわけだ。

村で生活を始めて4年になるという友人の家も、だんだんと村の生活らしくなってきた。
芸術家という職業上、村にばかりいるわけにいかないらしい。
この間行ったときに、トマトが植えてあるのを見て意外に思ったのを覚えている。
そして彫刻の庭では、私たちが来るのを歓迎するかのように一輪の紅色のバラが花開きはじめた。

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「ウサギを見に来る?」というので、私は息子の手を引っ張ってアトリエのほうへついていった。
ご主人様の仕事場を守るかのように、大きな犬が2匹も待ち構えている。
もう私たちにも慣れたようで、ほえないので安心だ。
アトリエの中にウサギ小屋がある。

子供の頃に好きだったベンジャミン・バニーを思わせるような灰色がかった茶色のウサギ。
立派な小屋を作ってもらって、心地よさ気に身を寄せ合っていた。
「あと一ヶ月で、子供が生まれるよ。」といいながら、ウサギを大切そうに抱き上げていた。

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やがて作業開始。
木の板を組み立てて、大体の大きさを決める。
「赤ちゃんって、どのくらいの大きさだっけ?」と首をひねる。
私も口を出しながら、ようやくサイズが決定した。

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大きさが決まると、今度は板の接続部分をで切る。
あの大きなチェーンソーが登場。
エンジンを入れると、ものすごい音を立てて高速回転する。
私は怖くて、よく見れたものでない。
それから、きれいにノミで形を整える。

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作業が段取りよくはかどる中、私は昼食の準備。
村から持ってきたトマトをふんだんに使ったパスタの予定だが・・・
暖炉でまきから焚いていると火加減が難しく、途中で何回も火が消えてしまった。
慣れていないので、料理をしている間に火のことをすっかり忘れてしまうのだ。
結局、パスタは茹ですぎのドロドロになってしまった。
ソースの味は悪くなかったので、食べられないことはなかったが・・

食後は、息子を寝かせている間に一人暮らしのユリシュカおばあちゃんを訪ねた。
お昼に茹でたとうもろこしを持って行った。
おばあちゃんはいつも、「あなたを待っていたのよ。」と喜んでくれる。
身のこなしも活発で、声も大きい元気なおばあちゃんだ。

おばあちゃんと世間話をしていると、お客様がやってきた。
初めて会うが、この村に住むおばあちゃん。
二人のおばあちゃんが、世間の悲しい話をため息混じりに語っているのを聞いていると、近所のお下げの可愛いおばあちゃんもやってきた。

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どうやらユリシュカおばあちゃんの家は、近所のおばあちゃんの溜まり場のようだ。
「あなた、誰のところへ来たの?」と初対面のおばあちゃんが聞くので、「バルニのところです。」と言うと、口々に彼のことをほめちぎる。
村において、「よそ者が誰を訪ねにきたか」というのはかなり重要なトピックのようだ。
だから、評判のいい人のところへ来た人はそれだけ待遇がよくなる。
おばあちゃんたちは、バルニから今度は私のこともほめだした。

おばあちゃんたちと午後の時間があっという間に過ぎて、家へ戻ると揺りかごも形が大分できていた。頭と足がくる部分に、きれいな形を描いているところだ。

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形を切り取った後は、歯医者さんの使うようなキィーンというイヤな音のする器具を使って、表面をきれいにこする。ヤスリでもゴシゴシとこする。

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「一度組み立ててみようか?」とダンナが提案。
そして木の板を組み合わせると、見事に揺りかごのような・・・

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しかしよく見ると、それは揺りかごというよりも別のものを髣髴とさせる。
「これ、ちょっと・・・」と私がいうと、「棺おけのようだって言いたいんでしょ。」とダンナ。
一同から苦笑がもれる。

それでも気にせずに作業は続行。
これまで、ぐっすりと眠っていた息子も目を覚ました。
もう日も暮れかかっていた。

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「バスの時間は?」と聞くと、もう時期で最終だという。
それでも作業の手は休まないので、今日はここで泊りが決定したようなもの。
やがて、ドボイの村も薄暗い光から夜の闇に変っていった。
それでも玄関の明かりの中、作業は黙々と続く。
・・・やがて完成。
その頃には、私と息子は暖炉でトーストしたパンに、トマトソースを塗った夜ご飯を済ませていた。

お茶を飲みながら、庭のベンチに座って夜空を見上げる。
まるで空に宝石が飛び散ったかのように、小さな輝きが黒い闇を満たしていた。
そのまたたきを眺めていると、音楽が聞こえてくるかのようだ。
・・・虫や木のざわめきと、星の音楽が一緒になって聴こえてくる。
なんて贅沢な時間だろう。
これは、お金では買うことのできないもののひとつ。

若くして、それをよく知っている友人は偉いと思う。
たった一人で、こんな静かな場所で生活する・・・私にはできるだろうか。

不意にガサガサという音がして、庭の犬たちが闇に向かってほえていた。
ダンナと友人が、門のそばで様子をじっとうかがっていた。
「あれは、クマに違いない。」と言われても、私は姿が見えないので実感はわかない。

人間を怖がるクマは、夜に行動をして果物を採るそうだ。
だからこんな時分は、誰も外を歩かないという。
・・・そう聞いて、ひっそりと静まり返ったこの村が怖く感じられた。

そんな風にして夜が開け、私たちは朝7時半のバスに間に合うように村を下りた。
だんなの腕には、昨晩できたばかりの大きな木の揺りかご。
朝の光が照らす中、門をくぐってあぜ道を歩いていった。

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Theme:ルーマニア
Genre:海外情報

comments(3)|trackback(0)|アート|2008-08-31_07:06|page top

手芸のおばあちゃんを訪ねて

こちらの記事は、日本ヴォーグ社の雑誌「ホーム スウィート クラフト
10月号に掲載される予定ですので、それまでは非公開といたします。

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Genre:海外情報

comments(5)|trackback(0)|アート|2008-08-02_06:16|page top

文様と女性崇拝の美―ルーマニア、ククテニ文明

町の東カルパチア国立博物館というところで、面白い展示があるというので旦那と二人で行ってみることにした。

町の中心の公園に面した小さな建物。
中に入ると、人気のないロビーでふと不安になったが、すぐにチケット係のおばさんが現れた。チケットを求めていると、研究者らしいルーマニア人の男性が現れてきて説明をしてくれることになった。よっぽど暇なのであろう。

考古学はそれほど詳しくないので、退屈な石の道具か土器のかけらを集めたものだろうとあまり期待をしていなかったのだが、中に入ってみて驚いた。

小さな展示室に並べられていたのは、薄茶色の土器というよりも陶器といったほうがよいような大きな壷やスプーン、皿の数々。そのあまりの素晴らしさに目を奪われていると、研究者の説明が続く。

これらククテニ文明は、紀元前4600~3700年にわたって、西はここコバスナ県にあるEROSD(エルーシュド)、中心はヤーシ県にあるCUCUTENI(ククテニ)、東はウクライナにあるTRIPOLJE(トゥリポイェ)までの地域で発展を遂げていた。初期のものはエジプトのピラミッドと同じ頃である。
彼らは農耕民族で、素晴らしい芸術的才能を開花させたが、やがてアジアのほうからやってきた遊牧民族に滅ぼされてしまったと言う。

今はウクライナ、キエフの近くにある、大きな集落の跡の写真も飾ってあった。
現在、いろいろな地方で調査が続いているらしい。

それほど古いものであるにもかかわらず、陶器の上の美しい文様は驚くほどはっきりと鮮明に、その形をとどめている。流れる唐草文様、力強い幾何学模様、洗練されたフォームを見ていると、本当にこの文明の水準がいかに高かったかがよく分かる。
研究者の説明するように、ギリシャ文明のモチーフ、唐草文様の曲線との両方の特徴をククテニ文明の職人は持っているようだ。

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他にも動物の形や、Wのような不思議な文様、魚のような形など、そのバリエーションの広さに見ていて飽きることはない。

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小さな部屋では、立てられた織物のような展示がしてあった。
説明によると、陶器の底に付いた形から、(形としては残っていない)当時の織物の模様などが分かったという。

そして最後の通路の展示では、小さな動物や女性のフィギュアが数多く展示されていた。
現代の美的感覚に通じる、美しいスタイルの女性たち。すっと長い足に、適度な大きさの腰つき、大きすぎない胸部など。

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そして不思議なのは、あちらこちらに穴が開けられていることである。両腕部分、腰の両側、両目、多いときには、顔にも6つほどの穴が開いている。
いったい何に使われていたのだろう?

旦那の推測では、髪をつけていたのではないか、ということ。
日本の美術という本にも載っているが、彫刻に髭や髪の毛の部分に本物をつけていた後が点々とした穴になって残っていることを示した。

面白いことに、遺跡のどこからも人骨は見つからなかった。この民族は、骨を火葬していたのだろう。だからなおさら、この人々に対する興味は深まり、その謎を解く鍵は人間の形の像に託される。

ある写真では女性像が円形に並べられていたので、何かと聞いてみた。
この円形に並んだ女性は、生命の誕生のときを示しているそうだ。
つまり足を閉じた女性の中に一つだけ足を開いたものがあって、そこでいつ妊娠しやすいかが分かるカレンダーだという。
それを聞いて思わず笑ってしまった。

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エジプト人やギリシャ人などのように歴史の表舞台にたった民族ではないが、武器を持たずひっそりと生活を営んでいたこのククテニ文化の担い手たちのことを想い、もっとこの文明に私たちが学ぶべきことも多いのではないかと思った。

ピアツァネアムトという町には、この文明の研究所と博物館があるというので、いつか必ず行ってみたい。

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Theme:考古学(国外)
Genre:学問・文化・芸術

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