トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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トランシルヴァニアへの扉  - Erdely kapuja-のRSSフィード

ブログ翻訳

カロタセグの成人式

昨年の3月。
イースターより少し早い春のはじめに、
カロタセグ地方に来ていた。
それは、「花の日曜日」と呼ばれるキリスト教の祝日。

ナーダシュ地方では、この時期にカルバン派の信仰告白式が行われる。
16歳を迎えた少年少女たちが、正式に信仰を受け入れる儀式であり、
いわば成人式といってもいい。

まだ日が昇って間もない早朝だった。
ある知人のつてで、16歳の少女のいる家庭を訪問した。
家族に挨拶をして、一室に通される。
テーブルにはきれいに折りたたんだ衣装が並べられ、
少女が部屋着のまま腰かけていた。
この日のために作られたビーズ刺繍のエプロンが、
まるで宝石のように朝日をうけて輝いている。

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少女はそわそわとどこか落ち着かないようだ。
それもそのはず、この日の礼拝の後には、
長い質疑応答の試験のようなものがあり、
晴れてカルバン派教徒になるからだ。
家族や親せきの他、村人たちの目が耳がその若者たちに注目する瞬間だ。
何より、これから衣装に着替えて
礼拝の前に行われる予行練習に間に合わなければならない。

やがて、ブラウスや色とりどりのリボンを抱えて、
おばあさんが到着した。
孫娘の衣装はほとんど、祖母であるエルジおばあさんが手掛けたという。
「うちの娘はお馬鹿だよ、本当に。
せっかくのきれいな髪を切ってしまったんだからね。」
チッラは、美容師になることを夢見る少女。
しかし昔は、村の女性たちは髪を生涯切ることはなかった。
カロタセグ地方では、少女はひとつに三つ編みにするのが習慣だった。

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慣れた手つきで、5メートル以上はあろうかという布の塊をほどき、
少女にかぶらせて紐を引っ張る。
スカートの下にはくペチコートは、
起毛したような厚いコットン地で、背中のところでたっぷりとギャザーを寄せる。
それだけでもボリューム感があるのに、
4枚も5枚も重ねるのだから
誰しもがふくよかな腰つきになる。

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それから、仕上げは白いプリーツスカート。
村によって、信仰告白式に着るスカートやエプロンの色が違う。
そして、これから始まるイースターの金曜日、土曜日、日曜日でも
装う色が変わるところもあるのだから、衣装はいくつあっても足りない。

それから、アンティークの朱赤の刺繍ブラウスがくる。
うすいコットン生地を青く染めるのは、この村の特徴でもある。
プリーツが解けないように丁寧に、糸でぬい留めたしつけを解いていく。

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100年以上も経たブラウスなのに、
新品そのもののような美しい状態。
いかに大切にとっておかれたかが伺い知れる。

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青に朱赤が冴え冴えとするブラウス。
肩に繰り返しつづく連続模様は、
遠くからでは確認することができないほどに密集している。
まるで、作り手が装い手に遺した一つの暗号のようだ。

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やがて、ずっしりと重いビーズ刺繍のエプロンの紐を結ぶ。
どうしたら着くずれしないでいられるのかと思っていたら、
おばあさんが針と糸でしっかり縫いとめていくからだった。
まるで人形を作るように、器用にエプロンも、ベストも、リボンも縫いつけていく。
「チッラは、縫い目だらけね。」とおばあさんが笑う。

2016年チッラと年号や名前まで刺繍された、
お祖母さんの愛情が込められた衣装。
カロタセグでは、何年がかりで衣装の準備に取り掛かるのだ。

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鎧のように上半身を覆うのは、村に住む職人さんが作る刺繍のベスト。
余白がないほどにびっしりと色や文様が重ねられる。
ロゼッタとも回転するバラとも呼ばれる模様が並ぶのは、
大切な少女を難から守りたいという親心の表れかもしれない。

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赤いガラス石のネックレスを纏うと、
少女の顔が一段と大人に近づいていく。

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少女から大人へ。
カロタセグの人々にとって、その大切な段階のひとつが
衣装を装うことにあるに違いない。
それは、何世代もの先祖から受け継いだ彼らの大切な文化であるからだ。

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ビーズの輝きに魅せられた人々は、
20世紀後半になっても衣装をさらに華やかに進化させていった。
ひとつの流行が来ては去り、
さらに新しい流行が追いかける。
それは、今もなお衣装という文化が生きている証なのである。

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そして、腕にも。

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信仰告白式に臨む少女は、
大きなリボン飾りを頭につける。

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これから行われる試練に合格して、
はじめてパールタと呼ばれるビーズの冠を被ることができるのだ。
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娘の晴れ姿を満足そうに見つめるおばあさん。
そして、部屋の外でそわそわと行方を見守るお父さん。
まるで、結婚式の予行練習さながらである。

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ハンカチーフを手に、聖書を脇にかかえて教会へと向かう。

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行く先々では、ご近所さんたちが
「立派ね。」「よく似合っているわ。」などと声をかける。

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20世紀から21世紀にかけて、
私たちを取り巻く世界は大きく変わった。
けれども、先祖から続く土地で生まれ育った人たちが、
昔と変わらぬ衣装をまとって人生の節目を迎えようとしている。
変わらない何かを、ある瞬間に見出すことができる。

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教会の礼拝がはじまった。
刺繍の施されたクロスが何重にも折り重なった下に、
パンとワインが保管される。
信仰告白式を終えた信者は、聖餐(せいさん)を受けることができる。
信仰の意味を探り、やがてキリストの血と肉を分かち合い、
はじめて信仰が彼らの精神に宿るのだ。

konfirmalas (65)

チッラは、朝とは打って変わった
晴れ晴れとした笑顔で階段を降りてきた。
村人たちの見守る中で成人になった彼女は、
これからどんな人生を歩むことだろう。
その日半日付き添った私自身も誇らしく、
晴れやかな気持ちが宿っていた。
 
 konfirmalas (57)
comments(2)|trackback(0)|トランシルヴァニア食文化|2017-04-03_15:40|page top

ガーボルの詩人-ラフィ・ラヨシュ

旦那とガーボルさん、不思議な組み合わせだがよく気が合うようだ。

知性あふれるガーボルさんの話は魅力的だし、

彼を通じて得るガーボル像というものに惹かれるものがあった。

他者にとって理解の難しい規制は多々あるが、

家族一丸となって仕事をして、共同で生活を営む。

その姿は、現代の人間が失った家族意識や人生に対する安心感がある。

先祖から受け継いだ衣装に身を包み、そして早くに家庭生活を築き上げる。

「彼と話していると、自分がガーボルに生まれなかったことが残念に思われるよ。」

そう旦那が口にしたほどだ。

 

ガーボルさんは若い頃、絵の才能があり、学校でも一番だった。

「その時、絵の学校に進めばよかったのかもしれないが、

誰も手助けしてくれなかった。」

そして、絵を専攻していた旦那にデッサンのことなどをしきりに尋ねていた。

芸術を愛する心をもつ、ガーボルさんは珍しい存在に違いない。

 

「君たちは、ラフィ・ラヨシュについて聞いたことがあるかね?」

ガーボルさんが一冊の本を手にこういった。

その人はガーボルさんの遠い親戚にあたるという。

家業のアルミ職人のかたわら、子供5人を養い、そして詩を書いた。

彼は酒をのみ、不健全な生活を送っていて、

いつか更生させてやりたいとガーボルさんは教会に誘ったこともあったそうだ。

入院生活中、しばらく酒をやめていた時期があり、

彼は見違えたように顔に血色を取り戻していた。

しかし、最後には若くで不幸な死を招いてしまった。

 

アドベント派のガーボルたちが一堂に会して、合同の礼拝を行う行事がある。

ガーボルさんはその詩人を招いて、

そのセレモニーのために詩を書くようにと頼んだ。

しかし、その詩人は詩を書いてこなかった。

そこでガーボルさんは、今すぐにでも書くようにと彼をうながした。

詩人は、何を思ったのか森の中へ入っていった。

「その時間は、たぶん10分足らずだっただろう。

その間に、彼はある詩を書き上げたんだ。」

 

ガーボルさんは、紙に書かれた手書きの詩を読み上げた。

それは、大地に埋もれた石がそこから開放されたいと願い、

やがて川が包み込み、そこから解き放つという内容だった。

詩人自らも、自分もその川のようでありたいという願いをこめて締めくくった。

ハンガリー人の詩人のある作品と同様のモチーフを使いながらも、

彼自身の言葉と昔話のような語り口で仕上げた逸品だ。

 

きっと彼は天才だったに違いない。

そして、彼自身、ガーボルという宿命を背負い、

自己の内面との矛盾に苦しみながら生涯を生きたに違いなかった。


Rafi Lajosについてのドキュメンタリー映画



comments(0)|trackback(0)|トランシルヴァニア食文化|2017-03-29_00:00|page top

ガーボルとの再会

ここ4年ほどの間、長女、次男の出産が続いたこともあり、

行動範囲も大きく制限されてしまった。

そのためか、何年ぶりの出会いというものが多い。

その人と最後に会ったのがいつかということを知り、

時間の経過に愕然とすることもしばしばある。

 

ガーボル・ジプシーを訪ねる旅をしていたときのことである。

写真家、堀内僚太郎さんが一番の目的とされていた、ガーボル・ジプシーの撮影。

男性は大きなつばのある帽子をかぶり、女性は色とりどりの花柄スカートにスカーフをかぶり

日常生活を送る人たち。

彼らの特徴は、民族衣装という外見だけにあるのではない。

元々はアルミ職人をしていて、今は商業に従事するなど、生活は豊かで、

ジプシーとはいうものの誇り高い。

14,5歳で親の決めた相手と結婚するのが普通で、ガーボルの中でも、

同じ家系の人としか結婚が許されないなど、彼ら独自のさまざまな規則の中で暮らしている。

 

限りある日程の中で、理想の被写体を探さなければならなかった。

しかし、撮影に関しても保守的なところがあり、仕事は難航していた。

日暮れまであと2時間。

コロンドというセーケイ地方の村についた。

ここには、知人のガーボルが住んでいるのだが、

前回訪れたときは家族総出でブダペストへ出稼ぎにいっていて、ついぞ会うことができなかった。

まだ小さかった長男と二人旅をしていて、途中に立ち寄り、泊まらせてもらったことがある。

親切に村の案内をしてもらい、手土産までもらって帰った。

いつか電話をしてみたときに相手側から切られたこともあり、何か失礼をしたかと内心不安だった。


大通りから奥に入ると、すぐに時間を遡ったかのような色とりどりの衣装であふれかえる

小さな通りに出る。大きな一軒家の階段をのぼり、戸をたたいた。

しばらくすると戸がひらかれ、どっと家族が戸口に押し寄せてきた。

はじめに金歯の奥さんが笑顔で迎えて、力強く抱きしめてくれた。

それから、ガーボルさんに子供、その奥さんたち。

にぎやかな家族の声と熱気に包まれて、5年ぶりの再会をしびれるような思いで味わっていた。

その瞬間から、ガーボルを探す本当の旅がはじまったといっていい。

 

私たちはソファーに腰を下ろして、お客さまを紹介していた。

「あの時は、妻のジュジャが病気で悪いことをしたね。」

ご主人のガーボルさんの落ち着いた温厚そうな声が響いた。

息子と泊まらせてもらった翌日、早朝にどこかへ用事があって、

一家は出かけていったのを思い出した。用事があったのに、私たちを受け入れてくれたのだ。

 

「ね、何か食べなさい。」と奥さんのジュジャさんが、にこにこと笑顔でうながした。

断る暇もなく、すぐに温かな食事が運ばれてきた。

ロールキャベツの味に舌鼓をうちながら、私たちは旅の目的を話した。

そして、多くの場所で彼らが写真の被写体になることを恐れていることも。

ガーボルさんは、他者にわかるようにガーボル・ジプシーがどのような人々か説明してくれた。

かつて出会ったジプシーの中で、彼ほど知性的で、

言葉豊富に流暢にハンガリー語を話す人を知らない。

そして、彼の知人や親戚のところへの案内役を買って出てくれた。

 

彼らの母語はロマ語である。

ガーボルは、トランシルヴァニアのハンガリー人の住む地域に定住したので、

ハンガリー語ができ、また仕事で使うためルーマニア語もよく話す。

ガーボル・ジプシーという民族の呼び名も、元々はガーボル姓を持つ人が多いことに由来する。

ガーボルさんの場合は、名前もガーボルだ。

そして驚くことに、敬虔なクリスチャンが多い。


ガーボルさんは、アドベント派に属している。

お祈りや聖書が生活の糧になっていて、おそらく彼の知識や性格にも多大な影響を与えたに違いない。

それでいて、彼らの教えを私たちに強要するわけでもなく、

さまざまな話題について話すことができる。

 

その日は金曜日だった。

ちょうど、土曜日を祝うアドベント派の祝日が始まろうとしていた。

「私たちにとって、金曜の日没からすでに祝日なので、

これから身なりを整えて、6時からの礼拝の準備をしなければならない。

君たちも、どうぞ一緒に礼拝に参加してください。」

私たちは通りで撮影をしてから、約束の6時にまたガーボル宅を訪問した。

 

部屋には、ガーボルさん家族の他にも来客があり、

ガーボルさんが牧師のように礼拝を取り仕切っていた。

賛美歌を歌い、聖書の引用をして、祈りを捧げてちいさな集会は終わった。

他の場所にいく案もあったのだが、堀内さんと話しあい、

撮影最終日をガーボルさんに委ねることに決めた。

 

二日後の朝、私たちは再びコロンドにやってきていた。

「コーヒーはいかが。」と勧められ、談笑をする一方で、

奥さんのジュジャさんは朝日の差す窓際で熱心にアイロンをかけている。

「洗濯してアイロンをかけてから、この古着を村へ売りに行くのよ。」

日曜は他の宗派にとっては安息日であるが、彼らアドベント派にとっては平日であるが、

にこにこと楽しそうに働く姿は見ている側も心地よい。


やがて、ガーボルさんを伴って車でとなり村へと向かった。

大きな屋敷につくと、ガーボルのおじさんが居間のテーブルにどっかりと腰を下ろしている。

私たちも正面に腰掛け、ロマ語で談話するガーボルさんたちを見守る。

それにしても、男性はよく話をする。

女性はというと、黙々と料理をしたり、アイロンをかけたりと働いている。

一見ただのおしゃべりのように見えるが、何かの用件を前にして必要な段階であるのだろう。

やがて、本題の撮影のことをガーボルさんが話し、

どうしても彼らを撮りたいという堀内さんの気持ちを熱意を込めて説明した。

「君たちの気持ちはわかった。私たちの撮影はいいが、女性たちはやめてくれ。」

 

これまで数々の場面に遭遇し、分かったことがある。

男性(主人)の意見が絶大なもので、その決定に女性たちは従わざるを得ない。

写真撮影について言えば、女性は写真を撮られることを喜ぶ人が多いが、

ふと気がついたように主人の意見を気にして、断れることも多かった。

 

こうして撮影を終えて、次の場所へと急ぐ。

町のはずれにガーボルさんの娘さん一家が住んでいるという。

見るからに純朴そうな大家族に迎えられ、建設中の巨大な邸宅の一室に通される。

「夏には出稼ぎに行き、帰ってきては工事を続けてるの。」娘のマルギットさんが話した。

部屋には、3人の子供を抱える娘さん家族のほか、姑親や隣に住む親戚など、

子供から老人まで総勢15人程はいただろう。

こに、5人の客が加わったのだから、賑やかなことといったらない。

子供たちが、携帯電話を手に日本からの客に人懐こく話しかけている。


ガーボルのおじいさん二人が並んで腰を下ろしてタバコの煙をくゆらせるのが、

午後の光の中に鮮やかに浮き上がる。

差し入れのお菓子を食べながら、黒いヒゲのおじいさんが

白いヒゲのおじいさんの口に投げ入れては、お茶目に微笑む姿に目を奪われる。

すると堀内さんも同じ思いだったらしく、「今ここであの二人を写真に収めたかった。」と口惜しそうだ。

こうして、同じ段取りを経て撮影の許可が下りた。

はじめは恐る恐るカメラに身構えていたのが、やがて押し合いのように写真をせがむようになった。

混乱極める撮影現場で、どれだけ作品と呼べるものが生まれたか後は祈るような思いである。

とにかくも、最終日を有終の美と飾ることができた。

 

出発前にガーボルさんの家に立ち寄り、お別れに祈りを捧げてくれた。

彼の言葉をひとつひとつ日本語に置きかえていく。

「私の友達が、無事にセントジュルジへ。それから日本へと旅をすることができますように。

神様、どうかお護りください。」

祈りというものは不思議で、言葉による最大の贈り物ではないかと思うことがある。

暗くなった道中も、彼の祈りが私たちを温かく包み込み、心から安らぎを与えてくれる。

 

堀内さんが「生涯、この日を忘れません。」と口にされたのが、いまも記憶に新しい。



*写真家、堀内僚太郎さんのHPはこちらです。


comments(2)|trackback(0)|トランシルヴァニア食文化|2017-03-27_20:26|page top

トランシルヴァニアの日本の日 2016年

トランシルヴァニア、セーケイ地方で日本の日を主催して3回目になる。
2011年に初めて開催して以来、
日本語の教え子や生け花クラブの人々、さらにさまざまな協力者も得て、
色彩豊かな文化紹介のイベントと成長していった。
さらに、地元Sepsiszentgyorgyの市役所の助成も受けることができた。


nihon.jpg 


今回のテーマは床の間。

和室の中でも、特に重要な床の間という空間を、「聖なる角」と訳した。

ハンガリーの住空間の中でも、かつて角というのは特別なもので、

部屋の角の形にそった棚が作られたものだ。

旦那が木材で作った床の間空間。


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床の間を舞台に繰り広げられる、暮らしを彩るさまざまな芸術活動。

折り紙、切り紙、書道、浴衣の体験にはじまり、

美術を学ぶ学生による紙芝居を地元劇団員マジャロシ・パラ・イモラによる上演、

宮﨑の佐土原在住のお茶の師匠から厚意で寄付いただいた抹茶でお茶会を催したり、

生け花と風呂敷の包み方のデモンストレーション。


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今回の目玉は、友人のピアニスト二人を招いたコンサート。
本田奈留美、本田真奈美の姉妹による息のあった連弾演奏に、
迫力のあるピアノのソロの演奏。
日本をテーマにした、さまざまな作曲家や民謡、古い歌を演奏家といっしょに選び、
プログラムを組んだ。
ハンガリー民謡を唄うエル―シュ・レーカに、
チェロ奏者のコヴァーチ・アルノルド、
作曲を学ぶパール・ペトラ・ノエ-ミなど、
地元の若手の演奏家も織り交ぜた多彩なコンサートとなった。

2016年9月18と20日。

私のもう一つの故郷で、たくさんの友人知人と日本文化を共有できた二日間となった。


nihon (3) 


日本の日の様子は、

こちら現地のポータルサイトでご覧いただけます。

Sepsiszentyorgy.info


ローカルTVの取材はこちらです。(終わりの方)

Kézdivásárhely Polyp TV


以下コンサートのプログラムとなります。

続きを読む

comments(2)|trackback(0)|イベント|2017-02-21_11:48|page top

ジプシー市場の贈り物

まだ冬の入口にさしかかった、ある日のこと。
町に寄ったついでに、ジプシー市場に立ち寄った。
トランシルヴァニアにはさまざまなジプシーが定住しているのだが、
特にガーボル・ジプシーと呼ばれる人たちは、流浪の民としての歴史が長く、
民族衣装に身を包み、伝統に固執することで有名だ。

男性は大きな帽子をかぶり黒づくめの服を着て、大きな髭を生やしている。
一方、女性はというと華やかな花柄の衣装を身に付け、長い髪をスカーフで覆っている。
そうした商人ジプシーたちが、古着などを売っている。


車から降りて、私は次男を抱き、
旦那は長女の手をとって買い物をしていた。
それほど寒さも厳しくなかったので、
子供たちにそれほど厚着をさせずにいたのだが、
ジプシーの売り手のおばさんがそれを見て、驚いた風にこういった。


「まあ、子供たちが風邪をひいたら大変。」
すぐに、売り物のスキースーツや帽子をご主人に持ってこさせ、
「これを着させなさい。」と言って手渡した。
赤いスキースーツと青いスキースーツを頭から被せて、
耳まで隠れる毛糸の帽子をかぶせると、子供たちはいかにも雪国育ちのようだ。
1歳の息子と3歳の娘を抱きしめると、
金髪で青い目をしたおばさんに笑顔で手を振った。





comments(2)|trackback(0)|トランシルヴァニア食文化|2017-02-14_11:10|page top

イースターのカロタセグ、手芸の旅ツアー

4月のトランシルヴァニア。
冷たい大地がやわらかな若草色に染まると、
人々は新たな季節を迎えるために身支度をはじめる。
色とりどりの衣装に身をつつんで、
厳かな足取りで教会へと向かう。
イースターの日曜日。

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カロタセグ地方に残る、清潔の部屋。
村人たちは、先祖から受け継いだ
極上の手仕事を大切に守りながら、
聖なる空間を生み出しています。

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おばあさんたちが紡ぐ伝統刺繍。
いくつかの村には未だに昔ながらのやり方で、
美しい手仕事を生み出す黄金の手があります。

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イースターのカロタセグを訪ねる旅。
異国の地で、春を迎える祭典に参加しませんか?
ご希望の方はこちらまでご連絡ください。
(8名様の定員に達した時に、募集を終了させていただきます。)

*たくさんのお問い合わせ、ならびにお申し込みをありがとうございました!
おかげさまで定員に達しましたので、次回の企画を楽しみにお待ちくださいませ。

comments(6)|trackback(0)|その他|2017-01-15_06:24|page top

雪の降る町から 新年のご挨拶

2017年明けまして、おめでとうございます。

ここトランシルヴァニアは、
12月からずっと雪景色がつづいています。
粉砂糖をふりかけたような樹氷の見られたクリスマス、
クリームのような雪がたっぷりと降った大みそか。
そして、静かに家族で迎えたお正月。

この一年はどのような出会いが待っているか、
まっさらなノートの1ページを開きながら、
想いを巡らせています。

普段はなかなか会えない人へ、
長いことご無沙汰している人へ、
いつもお世話になっている人へ、
謹んで新年のご挨拶をお届けします。

新たな一歩を踏み出してゆきたいと思います。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

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comments(3)|trackback(0)|その他|2017-01-09_03:10|page top

バルツァシャーグの死者の日

11月1日、
夏時間が冬時間へと切り替わるころ、トランシルヴァニアにお盆がやってくる。
町の至るところで、色とりどりの菊の花やロウソクが並ぶようになる。
私たちはセーケイ地方を離れて、
ブラショフ県にあるバルツァシャーグの村を訪ねるのが習わしである。

知人はおろか親戚もなく、
かろうじて舅の墓だけが私たちを繋いでいた村。
昨年のちょうどこの日に、腹違いの兄と偶然出くわしてから、
すこしずつ何かが変わっていった。

その時の旦那の思いつきで、
この村の教会で3人の子供たちを洗礼する運びになった。
そして、今年のお盆にも旦那は兄を誘って一緒に村へ向かった。

IMG_2112_201611231320466ec.jpg 

20以上も年の差がある兄弟が、
こうして一緒に墓参りをしてくれようとは天の父親も思っていなかっただろう。
両親が村出身のアンドラーシュは、
出会う人たちと親しげに会話を交わしている。
しらふである姿をほとんど見たことのない兄は、
いつも陽気で男気のある人柄。
ほとんど正反対といっていい兄に会うたびに、
会うことのなかった舅の姿を見るような気がしている。


IMG_2128.jpg 

ふたつの墓標が並ぶ。
ひとつは旦那の祖父のもので、
もうひとつは父親のものである。
私たちが学生だったその昔、
墓地のはずれにはまだいくつもの木の墓標があった。
時代の流れとともに、
村のジプシーたちが薪のために盗んでいき、
とうとうこのふたつの墓だけが残った。

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魔除けとも太陽のシンボルとも言われる、ロゼッタが彫られている。


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アンドラーシュも年をとったのか、
ふたりの息子に子供が恵まれないせいか、
甲斐甲斐しく子供たちの世話をしてくれる。
私たちがこうしてこの世に生を受けたこと、
偶然でもなく、血の交わりを受けたということ。
見えないご先祖さまに感謝することを、
子どもたちにも知ってほしい。


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それから、墓地のはずれにあるお祖母さんの墓を探し、
アンドラーシュの母方のご先祖も参った。
ぼうぼうと草の生い茂ったその墓は、無縁墓のように寂しく見えた。
「子孫として恥ずかしいことだが、
俺のほかには誰も参る者もいないんだ。」
そう言って、ロウソクに火をつけた。

「わたし、アンドラーシュが好きよ。」
娘が唐突にいった。
「何だって、聞こえないなあ。もう一度言ってくれ。」
と大声で兄がうながす。


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太陽がその日最後の力を振りしぼって、
赤赤と身を燃やしていく。
目に見えない大切な何かを感じながら、
私たちは舅の眠る村を後にした。


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comments(2)|trackback(0)|バルツァシャーグの村|2016-12-29_15:32|page top

アーラパタクのピロシュカおばあちゃん

久しぶりにアーラパタクを訪ねてみよう。

そう思い立ったのは、日本からのお客さまと話したときだった。

初対面の彼女は、仕事をやめ、
刺繍を学ぶためにハンガリーに移住したという。
数年前に放映された番組「世界の果ての日本人」を偶然に目にし、
トランシルヴァニアのおばあさんたちとの触れ合いに感激したと話してくれた。
彼女も同じように、日本の病院で患者のおばあさんたちと
手芸による触れ合いをしていたのだった。


古民家の庭で昼食をとったあと、車を走らせて森を越えていく。
村の中心には、会い変わらずジプシーの子どもたちが大勢たむろしている。
おばあさん宅の門には呼び鈴もないので、
垣根越しに叫ぶしかない。
「ピロシュカおばあさーん!」
大声を張り上げると、それに呼応して
家の犬がわんわんと吠える。
それを何度か繰り返した後、裏の畑からゆっくりとおばあさんが出てきた。
80歳を過ぎたおばあさんが一人暮らしをしている。
元気だろうか、病気をしていないだろうかと、
いつも不安を抱きながら訪ねている。
おばあさんは、数年ぶりの来客を喜んで迎えてくれた。
日本からの来客を紹介すると、おばあさんの部屋へと案内してくれる。


  piroskaneni (4) 

アーラパタク、今から100年前は美しく、刺繍で有名な村だった。
女性たちの手掛けた、赤い編みクロスステッチは、
世界をかけぬけ、1900年のパリ万博では金賞を受賞したという。
時代は変わり、トランシルヴァニアがハンガリーから引き裂かれると
人々はもう、その赤い刺繍のことをすっかり忘れ去ってしまった。
70~80年代になると、村の女教師が村の刺繍を集めて、図案集を出版した。
それから、また別の女性が村の女性たちに刺繍をさせて、
ルーマニア各地の展示会へと運んだ。
それからは、時が止まったように静かになった。
代わりに、村にはジプシーが移住をはじめてきて、
ハンガリー人もルーマニア人も次々と村を去っていった。
ただ、エメラルドグリーンの壁にかけられた赤い刺繍だけが、昔のままだ。


piroskaneni (5) 

右には父親、左には母親の写真がかけてある。
ピロシュカおばあさんを見守っているかのようだ。
小さいころに父親を亡くしたおばあさんは、
母親ひとりで育てられ、貧しい少女時代を送った。
嫁入り道具も、すべて自分一人で作らなければならなかったという。
子供に恵まれなかったおばあさん、
部屋の中を少女時代の思い出でいっぱいにしている。



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娘が腰かけて遊んでいた、可愛い椅子。
尋ねると、幼いころクリスチャンファザーから贈ってもらったという。
おばあさんの居間で、なんと70年以上もいっしょに過ごしてきたというのだ。



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椅子の裏には、こんな文字が書いてある。
「セーケイ・ピロシュカ
1939年、12月25日
クリスマスの天使より」



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刺繍を学びたいという彼女のために、
おばあさんは部屋から布と針、糸を出してきてくれた。
小さな目を数えながら、針で赤いクロスを作り、
編むこむようにして列ができていく。



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その手の動きに見とれている内に、赤い花がひとつ出来上がった。
「さあ、あなたもしてみて。」
おばあさんは、その布を彼女に手渡した。



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ピロシュカおばあさんが、
帰り際に古い枕カバーを譲ってくれた。
2010年に町の博物館で、アーラパタクの展示会を開いてから、
6年が過ぎようとしている。
村のハンガリー人女性の数も減り、壁からはひとつ、
またひとつと赤い刺繍が取り外されていく。
「次来るときにはまた、刺繍を持っておいで。」
ピロシュカおばあさんが笑顔で手を振った。
大切に箪笥の中にしまってあったのだろう。



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comments(4)|trackback(0)|セーケイ地方の村|2016-11-17_13:02|page top

アーラパタクのおばあさんとの再会

ヨーロッパのお盆の日のことだった。

舅の墓に向かう途中で立ち寄ったのは、老人ホーム。

アーラパタクの村のおばあさんがここに入所したと聞いて、

渡したかった写真を届けたかったから。


それは普通のアパートを改造しただけの、活気のない建物だった。

受付で彼女の名を告げようとして、はじめて名前しか知らないことに気が付いた。

そこで手元にある写真を見せると、女性の顔がすぐに明るくなった。


白衣の女性の後について、電気のない薄暗い通路を通って二階へ上がる。

広いロビーでは、お年寄りの方たちが椅子に腰掛け、

何を話すというわけでもなく集まっている様子。

部屋に通されると、長かった髪をバッサリと切った白髪の女性が

テレビの前に腰掛けているところだった。

同時に目に飛び込んできたのは、壁一面に飾られた赤いクロスステッチ刺繍のタペストリー。

おばあさんは私に抱きつき、涙を流しているようだった。

「彼女のために刺繍をしたのよ。それを、日本へ持って行って・・。」と受付の女性に話している。

日本で展示会のために、いくつか編みクロスステッチの作品をオーダーしたことがあった。

何度か足を運んだあと、年のせいでもう縫えないと彼女はいった。

目に見えて年をとった彼女の姿に狼狽しながら、

持ってきた写真を目の前に広げて見せた。


それは、3年ほど前に日本のフォトグラファーを伴って訪れたときの写真だった。

ご主人のジュリおじさんが木彫りと、

奥さんのエ二クーの編みクロスステッチの刺繍。

気の合うふたりそのもののように、調和していた。

手作りの作品に囲まれた居間でくつろぐ姿が目に浮かんでくる。


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「2年前に、ジュリおじさんが突然亡くなって、

私も病気をしたからここに来たのよ。

それから家にも強盗がはいったのだけれど、辛うじて手仕事だけは運んできたわ。」

村の人口がジプシーが過半数という村は、

一人暮らしのお年寄りにとって危険この上ない。

おじさんには前妻との間にふたりの娘があったようだが、

おばさんには身寄りが他にないようだった。


迷っていたのは、写真を全部渡してしまおうか、

それともジュリおじさんの身内に渡そうかということだった。

「ジュリおじさんの写真は?」と尋ねると、

「残しておいてください。」

白髪のおばあさんはまっすぐに目をみてこういった。


ゆっくり話を聞いてあげたかったが、先を急がねばならない。

また家族とゆっくり訪ねてくると約束をすると、

「いくつかの手仕事はあなたたちに渡すわ。」と耳元でささやいた。

赤い刺繍に見守られて、彼女は残された日々を過ごしていく。

しばらくの間、エメラルドグリーンの壁に幾何学の赤が目に焼き付いていた。





comments(0)|trackback(0)|セーケイ地方の村|2016-11-11_05:15|page top

トロツコーの刺繍を訪ねて

宿を出ると、村のはずれの博物館へ向かった。
中庭のある建物の二階へ登ると、渡り廊下の前にもやはりダイナミックな岩山がそびえていた。

まず鉱山で働く人々に必要な鉄器具の展示物を眺め、
それからやさしい赤色が私たちを迎えてくれた。
閉ざされた環境でいかに長い冬を過ごしてきたか、
名もない女性たちの息遣いが感じられる。

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赤と濃い青の枕カバーを積み上げた、飾りベッド。
クロスステッチとサテンステッチのふたつの刺繍が見られる。
ふっくらと立体的なサテンステッチは、図案も入り組み、見ごたえがある。

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年代や既婚未婚の違い、夏冬などの季節に応じて、
ひとつの村でもさまざまな衣装が見られる。
白いヴェールをかぶった花嫁衣装は、とくに美しい。
ザクセン人の影響を受けているのは、
銀のメダルやベルトなどの装身具。
赤い刺繍のブラウスは、いかにもハンガリー人らしい。

むかし、村のおばあさんにトロツコーの衣装を着せてもらったことがある。
とびきりの美人の後輩は、赤い刺繍にリボンの冠をいただく花嫁衣装に身を包み、
私はその横で青い刺繍のブラウス、スカーフを頭に巻いていた。
きのうの宿のおばあさんによると、
青いブラウスはお嫁にいけなかった女性の象徴ということだ。
ともいうおばあさんの妹さんも、青いブラウスを身につけていたらしい。
閉鎖的な村社会の中で、いかに屈辱的な思いをしたに違いない。

トロツコーには、ボビンレースも有名だった。
トロツコーのレースと呼ばれ、エプロンの端などに施されたが、
カロタセグ地方にまで輸出されたのは面白い例である。

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いつか出会ったおばあさんが個人の展示室を持っているのだが、
おばあさんは高齢のため案内できず、家族のものも不在とのことだった。

今でも、この村で刺繍をする女性はいるのだろうか。
村で聞き込みをして、村のはずれまで訪ねて歩いた。

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ドアをノックして、おばあさんがやさしく迎えてくれた。
刺繍を見せてほしいと告げると部屋に通される。
あたたかい空気とともに青い刺繍が目に飛び込んできた。
「今ちょうど刺繍を広げて刺していたところよ。」

刺繍枠を使い、サテンステッチでできた花模様のトロツコーの刺繍は、
80年代に図案集としても刊行された。
まるで織り機のような、自家製の頑丈な木の枠に巻いてある。

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図案も自分で描くのかと尋ねると、
「私は、トロツコーのとなり村で生まれたの。
そこで図案を描き、刺繍をする人がいて、彼女に習ったのよ。」
長いあいだ、町で暮らしていたが、定年後に夫婦で村に帰ってきたという。

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上から針を入れて、下の手で受け止め、
さらに下から上へと運ぶ。
吸い込まれるようにうっとりとその手の動きを眺めていると、
時間を忘れてしまいそうだ。
旦那に出発をせかされて、
今度来るときに刺繍を教えてほしいと頼むと、
おばあさんは「もちろんよ。時間ならいくらでもあるから。」と答える。

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車に乗り込む時には、もう青空が広がっていた。
手がとどくほどの美しい山に手仕事のある村。
後ろ髪を引かれる思いで、この旅の目的である洗礼式のために
カロタセグ地方へと旅立った。





comments(2)|trackback(0)|その他の地方の村|2016-11-07_19:49|page top

赤い刺繍の革ベスト

やっとのことで旅の支度が整ったのは、10時過ぎだった。
オーブンから焼き立てのケーキを布で丁寧に包み、
沢山のプレゼントと、
6日分の着替えやおむつ、ベビーカーに寝袋を詰め込むと
車のトランクはもうパンパンに膨れ上がっていた。

今回の旅に同行するのは、1歳を迎えたばかりの次男だけ。
どんよりとした曇り空の下、薄暗いボガートの森を越えて
ザクセン地方のおとぎ話の村々を眺めながら、
マロシュ地方に入って昼食を取った。

今回は、いつもと違う道筋をいき、寄り道をする計画だ。
道に迷いながらも、渓谷のような道に入り込んだ。
両側には黄色く色づいた木々がカーテンののようにかかり、
秋の見事な色が夕暮れ時の空に美しく映える。
「なんて美しいところなんだ。」と思わず運転席から感嘆の声がもれる。
さらに、山のそそり立つ方に道が曲がっていくと、
まさに秘境といっていい風景が広がっていた。
村についた時には、雨が激しく降り始めていた。

一度だけ、ここに来たことがある。
今からちょうど18年前、まだ大学生だったころだ。
初めてルーマニアを訪れた時で、ハンガリー語科の学生たちと一週間のキャンプに参加した。
一日の遠足でバスに揺られ訪れたのが、ここだった。
大きな岩山の麓に抱かれた神秘的な佇まい、
白い漆喰とどっしりとした石造りの民家に、
ドイツ系ザクセン人の影響を受けた豪華な衣装、
そして博物館のやさしいおばあさんのことをよく記憶している。

「どうして、今までここに来なかったのだろう。」と旦那はしきりに感激している様子。
しかし、私の心はすぐれなかった。
土砂降りの中、今夜の宿を探さなければならないからだ。
前の晩に下調べをしたのだが、驚くことに村は民宿だらけだと知った。
いくつか選んで見せようとしても、「いや、すぐに見つかる。」と無下に断られた。
それで電話番号も控えずに、旦那にすべて委ねるつもりだった。

長いこと車の中で雨の音を聴きながら、次男と待っていると、
「そこのおばあさんと話してきた。」と旦那がずぶ濡れでやってきた。
「今、暖房をつけてくれるって。」
美しい家は沢山あるのに、私たちが門を押したのは、
至って平凡な住まいだった。
おばあさんが一人暮らしの傍ら、民宿を営んでいるようだ。
夏には観光客が多いだろうが、10月ともなればシーズンオフでがらんとしていた。
よりにも寄ってこんな雨の晩に、
行き当たりばったりで訪れる親子も珍しいに違いない。
観光用に作った奥の建物の、二階の一室に通されたが、
寒いので上着を脱ぐこともできない。
「もうすぐ、暖かくなるから・・。
大人だけなら断ったのだけれど、子どもがいると聞いたので受け入れることにしたのよ。」
と大人しそうなおばあさんが話す。

荷物を部屋に詰め込んで、簡単な夕食をとっていると、
「おばあさんが薪を切っているらしい。手伝ってくる。」と旦那が外へ出た。
部屋の中を見回すと、ブダペストの観光の本が二冊と、
テレビが置いてあるだけ。
窓辺には、青いクロスステッチのカーテンがかけてあり、
辛うじて村にいることを感じさせてくれた。
なかなか部屋が暖まらず、隣のシャワー室も使えそうにないので、
寒さで凍えるのではないかと不安に駆られながらも眠りについた。

朝がきた。
暖房が夜には効いたらしく、毛布のお蔭で暖かかった。
早起きをして旦那が部屋を出ていき、
私は持ち込んだパンをかじっていた。
「こんな美しいのに、どうして外に出ないんだ。」と
外から見える山の美しさをしきりに褒めたたえていた。
「おばあさんは、この村で一番古い鉄職人の娘だったそうだ。」
とすっかり宿の主人と親しくなり、仕入れたばかりの情報を披露していた。

秋らしく、風の冷たい朝だった。
灰色の雲が流れていき、岩山はその見事な輪郭をゆっくりと広げる。
セーケイの岩と呼ばれるその山は、
二度太陽が昇るという。
日中は高い山に太陽が隠れてしまうので、
朝と午後に顔を出すのはおそらく冬の間のことだろう。

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トロツコーの住民がこの地を選んだのは、
景色の美しさではなく、鉱山で働くためだった。
天然資源で村は潤い、堅固な作りの家に、
見事な衣装を生み出すこともできた。

やがて旦那が帰ってくると、興奮した面持ちでこういった。
「今、そこで信じられないものを目にしたよ。」
おばあさんが仕事をしているそばで話していると、
何気なしに柵にかけてある革のベストが目にかかった。
「それ、どうしたんですか?」と尋ねると、
「そうね。もうじき暖炉にくべることになると思うわ。」とそっけなく答えた。
そうして、慌てて譲ってもらうように頼んだという次第だ。

漆喰のような白い革に赤い刺繍が連続模様となって、表面を鮮やかに彩る。
コーチングステッチでできた線をなぞって見ていると、
バラやチューリップなどさまざまな形が浮かんでくる。
襟から前の打ち合わせにそって、
キツネだろうか、ふわふわとした毛が覆っている。
ポケット部分の片側は、確かに虫食いでところどころ損失しているようだ。
それでも年代を考えると、十分に良好な状態だ。

私たちは、二日分の宿代を置いて帰った。
不思議な縁で私たちのもとに、世にも美しい革のベストが巡ってきた。

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comments(0)|trackback(0)|その他の地方の村|2016-10-30_13:39|page top