トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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トランシルヴァニアへの扉  - Erdely kapuja-のRSSフィード

ブログ翻訳

トロツコーの謝肉祭(後)

謝肉祭の土曜日がやってきた。
約束の午後1時、待ち合わせの家のドアを叩く。
「まだ来ていないわ。もう少し後でね。」と女性が答えた。
しつこいように、何度もここに来ているのだが、
準備は大丈夫なのだろうか。
心配になりはじめた頃、通りで待ちぼうけする私たちを呼んだ。
「もう始まっているわよ。」

狭い部屋の中では、着替えをする少年たちと
着付けをする女性たちでひしめき合う。
こちらとしては、ガラスケースなしに貴重な衣装を見られるチャンスである。
小さな男の子の衣装は、
ワイドな袖のシャツの先に、カロタセグのブラウスに似た図案が刺繍してある。
襟元の赤い蝶ネクタイは、ザクセン人の衣装の影響だろうか。

torockoi farsang (30) 

長身でがっちりした体格の青年が花嫁に選ばれた。
白いコットンブラウスに、刺繍部分のみパーツとして取り付けられる。
中でも、カフス部分が最も美しい。
トロツコーの枠刺繍と同じテクニックのようだが、
図案はずっと細やかだ。


torockoi farsang (41) 
花嫁にはペチコートと白いコットンスカートを重ね、
さらにシルクのエプロン、三角に折りたたんだシルクのショールを付ける。
肩には、「トロツコーのレース」と名高い
ボビンレースでできたフリルの付け襟が添えられる。
トロツコーはセーケイ地方の端でありながら、
衣装はどちらかというとカロタセグの上地方や、ザクセン人のものに似ているようだ。

torockoi farsang (31) 
最後に花嫁だけがかぶることができる、パールタをのせる。
金糸でできたトロツコーのレースを縫いつけ、
工場製の古い刺繍リボンが花びらのように開いている。

torockoi farsang(16) 
さらにザクセン人の衣装として知られる、
プリーツのあるマントをかけて出来上がり。
着付けの女性はさらに、
二人の小柄な少年をお婆さんに着替えさせる。
こちらはコットンやプリントのスカートにエプロン、
ウールの織りのジャケットにスカーフをかぶせる。
日常着に近い衣装である。

torockoi farsang(19) 
最後に、牧師役の少年がやってきた。
フェルト帽子にマントの出で立ち。
さらに、マジックペンでヒゲを付ける。

torockoi farsang (15) 
謝肉祭のイベントはヨーロッパ各地で催されるけれども、
これほど伝統衣装に凝った村はよそにはないかもしれない。

torockoi farsang (16) 
トロツコーでは100年以上新しい衣装は作られていない。
村でも数少ない衣装は、一家族で全部揃えることができず、
いくつものパーツをお互いに補い合って、
やっと一つの衣装として完成することができるのだという。
それだけ貴重な衣装を、惜しげもなく、
このようなお祭りに提供するということは、
謝肉祭がそれほど村人たちにとって大切な祝日であることの表れだろう。

torockoi farsang (17) 
長い冬の中で、謝肉祭が観光客をよぶ目玉であるのだろう。
観光業を主な収入源とする村としては、
全力を挙げてこのイベントを盛り上げようとする心意気が感じられる。

torockoi farsang(14) 

こちらは青い刺繍のあるブラウスを着た男性。
刺繍が肩にくる姿は、カロタセグの衣装に共通する。
ベストはボビンレースで飾られたもの。
面白いことに、カロタセグの上地方の村に、
トロツコーのレースが「輸入」され、ベストやエプロンの装飾に使われていた。

torockoi farsang(28) 
パレードの出発は、中心の公民館から。
ピンクのピエロになった、ヤニおじさんを見つけた。
背が高いというのは、この帽子のことだったのか。
お賽銭をもらうヒゲの子どもたちは、ユダヤ人だという。

torockoi farsang (22) 
村の中心は、出店や観光客、取材班で
まるでブダペストのバーツィ通りのように混雑している。
普段はひっそりと静かな村がこの日ばかりは賑わう。

初めに兵隊、次に花嫁花婿の行列、それから楽団、やがてロバが棺桶をひいて、
二人のお婆さん、最後にまた兵隊という長いパレードが出発した。
この行列が村中を回り回って最後に中心に戻ってくるという。

torockoi farsang(26) 
謝肉祭はいわば、パロディなのだ。
結婚式、葬式が一色単になって、
面白おかしく、冬の邪を埋葬してしまう。
長い冬を生きてきた人々の、単調な冬を乗り越えて、
来る春を迎えようとする祈りなのである。

赤いベストをきた兵隊たちは、村のあちこちで
大きなムチを雪の大地に叩きつける。
大きな音で邪を払うというのも、世界各地で共通するやり方だ。

torockoi farsang (26) 
花嫁に花婿が厳かに到着する。
雪が氷に変わり、足場が悪いので慎重に歩く。

torockoi farsang (27) 
村のはずれの広場で行列が止まった。
各地で歓迎する家庭があり、
そこでお菓子やお酒などが振舞われる。
さらに村人たちは、この祭りのために寄付をする。
春を迎えるための祭りを、皆で支えているのだ。

torockoi farsang (33) 
白いロバがなんとも可笑しい。
馬に比べて力も弱く、頭も悪いと言われるが、
この謝肉祭にはぴったりである。

torockoi farsang (48) 
棺桶の後ろをついてくるのは、二人の老婆。
棺桶の中、つまり冬の終わりを悲しみ、ずっと泣いている。
つまり、泣き女である。

torockoi farsang(38) 
数時間にも及ぶパレードが中心に帰ってくると、
水場の周りに人々が集まってきた。
ここで牧師がお説教、つまり告別式のようなものを執り行う。
そのスピーチというのが長くて、驚いた。
おそらく少年たちが知恵を振り絞って作ったのであろう。
面白おかしいスピーチながらも、
村のこの一年のさまざまな出来事、さらには問題点が浮き彫りになっている。

少子化の問題に、村の仕事の問題、
村に牛飼いがいなくなり、牛を飼う家がなくなったこと。
村で開店したお店や飲み屋のことなど。
こうして一年を振り返り、
最後に棺桶を水場に投げ込み、さらにそれを斧でかち割って、
謝肉祭の幕が閉じた。

torockoi farsang (37) 
水しぶきとともに、一斉にフラッシュを切る音が響いた。
天気予報によれば、この寒さも数日で終わるという。
天気予報のなかった昔から、
村人たちが変わらず行ってきたこと。

ペンションの大家さんが話していた。
「ハンガリーからのお客さんは、何度も帰ってくる人が多いのよ。
飲み屋などで地の人たちと知り合い、村に居る私たちよりも、
村の情報に通じていて驚くこともあるわ。
そして、ここに来ると「家に帰ってきた。」と言うの。」
村の故郷を失った隣国の同包たちが、
トランシルヴァニアの村に故郷を求めていく。
きっと、ここに村の未来があるのではないだろうか。

comments(0)|trackback(0)|イベント|2018-03-15_15:06|page top

トロツコーの刺繍を学びに

今から二年前の秋だった。 
トロツコーを訪ねようと思い立って、 雨のふる夕方にひと晩の宿を求めた。 
その翌日に、トロツコーの刺繍を学ぼうと人を探し、
やっと探し当てたのがイロナおばあさんだった。

大きな枠を使って縫う刺繍。
セークのアウトラインステッチにも似ているようだが、
どちらかというとサテンステッチに近い。
次の年の謝肉祭に学びに来たいと行って別れたのだが、
結局、来ることができなかった。

こうして、ついにイロナおばあさんの家で刺繍をすることになった。
私が持参したのは、通常の小さな丸い枠。
「それだと両手が空かないから、やりにくいわ。
私のをご覧なさい。」
おばあさんの愛用する刺繍枠は、
まるで画家のキャンバスのように大きくもできるし、
細長くもできる調節可能な木枠。
確かにこれなら、持ち運びもしやすい。

  torockoi farsang (6) 
イーラーショシュのような幅の広いラインを、
斜め方向に向かって輪郭を埋めていく。
円や入り組んだ曲線をこの技法で埋めていくのはなかなか難しい。
上から下、下で受けて上へ針を入れるのはセークと同じやり方だ。

トロツコーの刺繍に興味を持ったのは、刺繍のあるブラウスが始まりだった。
カロタセグの刺繍ブラウスに似たモチーフが見られ、
それでも技法が全く違うのに興味惹かれた。
初心者には適しない、モチーフの密集した古い図案をあえて選んだのだった。

おばさんが別室から、古い刺繍のコレクションを見せてくれた。
らせん模様の中に植物モチーフが入り込んだ図案。
この構造はルネサンス美術の名残とも言われ、
トランシルヴァニアの各地の刺繍図案に残っている。
カロタセグでは「刀」と呼ばれ、
トロツコーでは「蛇」と呼ばれるが、
呼び名はともかく起源は同じである。


torockoi farsang (4) 

こちらは紺色の糸で刺繍してある。
カロタセグでも、19世紀半ば頃までは紺色で刺繍したと言われている。
こちらは図案も、古いイーラーショシュに似ているようだ。


torockoi farsang (7) 

今度は上着を来て、暖房のない別室に通された。
おばあさんが初めて作った刺繍作品を見せてもらった。
初めてに取り掛かるにしては、大作のベッドカバー。
3枚の手織り布がつなげてある。


torockoi farsang (8) 

イニシャルと1965年の年号が刻まれた、中央部分。
今から50年以上も昔の作品なのに、鮮やかな赤は色褪せない。
大きな花の華やかさと、茎の細さの繊細さがトロツコーの刺繍の特徴だろう。


torockoi farsang (10)


 こちらは、おばあさんが刺繍を習ったおばあさんから受け継いだ図案。
トロツコーでは目を数えるクロスステッチ刺繍に対して、
図案を布に直接描く刺繍があり、それを「枠刺繍」と呼ぶ。


torockoi farsang (9) 

こちらがクロスステッチ刺繍。
もちろんトランシルヴァニアでは、
普通のクロスではなく、編みクロスステッチが一般的である。
衣装からベッドカバー、枕カバーまで幅広く使われていた技法。


torockoi farsang (11) 
二年越しの願いがついに叶った。
いつかは、憧れのトロツコーのブラウスを作ってみたい。


comments(0)|trackback(0)|セーケイ地方の村|2018-03-13_00:00|page top

トロツコーの謝肉祭(前)

3月に入り、大寒波がやってきた。
大雪はまたたくまに氷に変わり、
大地は厚い雪と氷で覆われてしまった。
私たちがトロツコーを目指したのは、
ちょうどその日最高の寒さが訪れた直後だった。

国道から山沿いの道へとそれ、
両側を山に挟まれた渓谷の間を奥へ奥へと入っていく。
しばらく行くと、目の前に巨大な山が姿を現した。
通称「セーケイの岩」と呼ばれる山である。
トロツコーはその山の裾に位置する、世にも美しい村である。

torockoi farsang 
村人たちのご先祖は、鉱山で働くために、
このような美しい場所を選んで移り住んだ。
光を浴びない、過酷な暗闇の生活から
週末になると、この美しい村へと帰ってきたのだった。
白い漆喰の壁には花や柱のレリーフが浮き上がり、
土台は石で固められたどっしりした強固な家。
女性たちは、祝日のために
手仕事の腕を磨き、世にも美しい衣装や布を作り出し、
週末のご馳走を用意した。

花嫁衣装は、金糸のボビンレースで作り上げた花嫁の冠、金のベルトにメダルなど、
とても村の衣装とは思えないほど、豪華なものである。
そうした品々は作ることもなくなり、
今や村でも数えるほどしか残っていないという。
謝肉祭は、衣装を着ている姿が見られる貴重な機会なのである。

謝肉祭の前日、私たちは村に到着した。
ペンションの部屋に荷物を降ろし、軽い軽食をとってから、表へと出かける。
村に個人博物館があるのだが、
前回は管理人が不在だったため見ることができなかった。
私が初めてトランシルヴァニアを訪れた99年の夏に、
ここに連れて来てもらい、イダおばあさんに衣装を着せてもらったことがある。
そのおばあさんも90歳になり、動けないので、
今は娘に管理してもらっているそうだ。
娘さんの家を訪ねて、博物館をみたい旨を申し出る。
「今は誰も住んでいないので、雪が深いから・・・。」
となかなか承諾してくれない。
「明日ここで着付けをしなくちゃならないから、今日は無理ね。」
それでは、せめて着付けをするところを見せて欲しいと懇願して、
明日の1時頃に訪ねることになった。

もしかしたら、他にも衣装や清潔の部屋があるかもしれないと
旦那と話しているとき、後ろから声がした。
「ああ、それなら。妹のところに案内するよ。」
見ると、小柄なおじさんが赤い顔をして酔っ払っているようである。
私たちが相談する間もなく、ついてこいと、
おじさんはどんどん歩いていく。
整然と古い家が軒を連ねる村の中心から、奥のちいさな通りへと坂を登っていく。

「明日の謝肉祭には来るかい?
俺が、一番の役になるんだ。
みんなにハートをつけるからね。」
ふらふらとした足取りで、話しつづける。
「俺が一番、背が高くなるのさ。」
女の私より小さなおじさんが真面目な顔で言うので、
「ああ、竹馬に乗るのね。」と合点した。

そうしている内に、妹さん宅に着いた。
迷惑な客の突然の訪問に関わらず、部屋を見せてくれた。
淡いグリーンの背景に、細やかな花模様の描かれた
小箱や木枠など制作したばかりの品々が並んでいた。
「あの、刺繍などは・・。」
「ないわ。」
おじさんは、手仕事と聞いて絵付けのことを考えたのだろう。
それから鳩小屋も見学させてもらい、
今度はこっちだとおじさんの案内はつづく。

おじさんが会う人会う人と言葉を交わすと、
相手が苦笑しながらも、やさしく笑顔を返すところに、
ヤニおじさんの人となりが伺えた。

次はパン屋さん。
5キロもの巨大なパンが棚に並び、
入れ替わり立ち代りに村人たちが買いに来る。
村ではパンを買うのにも、
あらかじめ予約をしないといけない。
「明日がお祭りなので、こっちも大忙しよ。」とおばさんが言った。

村のはずれはひっそりと静かで、人の住む気配がない。
それもその筈だ。
炭鉱者の村だったトロツコーは、鉱山が閉鎖されると
人々は生きていく糧を観光に見出した。
ペンションや観光業で生きていくのにも、
冬場はほとんど収入がない。
若い働き手はよそへ出ていき、
次々と空家はハンガリーの観光客に手に渡っていく。

「ここが村で一番古い家だよ。
17世紀にご先後がここに移住した頃に建てられたんだ。」
斜めに倒れかけてはいるが、屋根もきれいに修復されている。

家と家との間の隙間におじさんが入っていく。
「ここが近道だ。」
わずかに大人一人がやっと入るくらいの小道。
石造りの壁を手で触れながら下り道を行くと、
まるで子供時代の探検を思い出す。
気が付くと、村の中心に出ていた。

今度は橋を渡り、村の反対側の通りへと向かった。
「俺たちは毎晩、子供たちが寝静まってから
山に登ってソリをするのさ。
ホットワインを飲みながら、村の坂道をすべり降りるのは最高だ。」
と嬉しそうに話す。
娯楽の少ない村にあって、こんな楽しい夜の過ごし方を知っているのは幸せなこと。

通りの脇に溝があり、鯉が泳いでいる。
「この水路も俺が作ったんだ。」
石で積み上げられた水路、そして古い水車が立っていた。
おじさんはここでも我が家のように門をあけて、どんどん中へ入っていく。
水車小屋の中には、17世紀古い木製の粉砕機が立っていた。
「隣の部屋に持ち主が住んでいて、
粉が挽きおわると、このベルが鳴るんだ。」
正面には、美しい印が刻まれている。

torockoi farsang (5)


 隣の住まいは、展示室に改装してあった。
時間にゆとりのあった、古き良き時代に思いを馳せることができる。

torockoi farsang (1) 
6時もすぎ、夕食の時間が近づいてきた。
そろそろペンションに帰らないと、と言っても、
おじさんはまだ先があると請け合わない。
村の湧水を通って、何を思ったのか
雪深い山道を進んでいく。
幸いにもスノーブーツを履いていたから良かった。
真っ白な道に足あとを残しながら、日が陰りゆく村のはずれを歩き続ける。
目の前に巨大な山の岩肌が迫っていた。

torockoi farsang (3) 
山の端に来た頃、
「生まれたてのヤギを見せてあげよう。」とウィンクする。
村へ降りると、そこはヤギの牧場だった。
活気のある動物の鳴き声が響き渡る、
柵の横には、生まれたばかりの子ヤギが倒れていた。
「昨夜は、氷点下20度を下回っていたわ。
動物たちもこの寒さでは大変。
たくさんのヤギの中で可哀相だけれど、死んでしまう子もいるの。」
とおかみさんが語る。

村に下った頃は、もうすっかり暗くなっていた。
思いがけない一日の締めくくりに、
「パーリンカを飲もう。」と知人の家に入った。
ちょうど夕食時で忙しいはずなのに、
キッチンに入るヤニおじさんと私たちに
おかみさんが蒸留酒をそそぐ。
突飛のない行動であちこちに出没するけれど、
誰しも苦笑を浮かべながらも、迷惑そうではない。
おじさんの人格のなす技なのだろう。
明日はどんな姿でおじさんを見かけるのか、楽しみだ。









comments(2)|trackback(0)|イベント|2018-03-10_14:18|page top

霧のなかのお正月

2018年の幕開けはことに静かだった。 
大晦日は集まらず、町外れの森のなかの泉で家族だけで お祝いをした。

「黄金の水」という言い伝えがある。
大晦日の深夜12時に湧水を汲みに行き、
その水を一年間ずっと大切に取っておくと幸運がやってくるという。
オレンジ色の電球がともる森の中で、
湧水の流れる音を聞きながら過ごした。


その翌日、朝目覚めると珍しく空が青かった。
太陽の光がそそぐ冬の日は、短く貴重だ。
心が急かされるように外に飛び出した。

  telikirandulas (2) 
何もない原っぱの中でも落ち葉を拾ったり、
小枝で家を作ったり。
自然は果てしない想像力を培ってくれる。

telikirandulas (3) 
木の上にレモン色に輝く実を見つけた。
寄り木だ。
旦那は手に取り、その実がくっつくことを見せて、
小鳥が食べて遠くへと運んでいくことを話していた。


telikirandulas (4)

どこまでも散歩をしたい、うららかな昼下がりだった。
しばらく行くと、谷間にぶつかってしまった。
遠回りをしようか迷っていると、近くに犬が二匹いた。
私たちに気づいているのかどうか。
「近くに羊の群れがいる。」
そういう状況に何度となく合ってきたので、
どれだけ危険かということは熟知している。
隠れる場所もどこにもないので、仕方なく、
その木に娘をのせて、次に私がよじ登り、
次に次男を旦那から受け取って抱きかかえて、
最後に旦那がよじ登った。

低木に家族4人がぶら下がる、不思議な光景。
しばらくして、羊の群れがゆったりと目の前を通り過ぎていった。
先ほどの犬はかなり近くまできて、吠えている。

やっとのことで、羊の群れをやり過ごして引き返そうとすると、
不思議なことが起こった。
白い雲が降りてきて、見る見るうちにあたりを包み込んだのだ。
先程までの青い空も、遠くの丘も何もかもが姿を消した。
見えるのは、影絵のような木々だけ。

 telikirandulas (5) 
太陽がぼんやりと照らしているのが、
まるで投影機のようだった。
すっかりミルク色の霧に包まれてしまった。
先ほどまで見ていた風景が一変して、
木々のかたちが墨絵のようで美しい。

telikirandulas (8)

先が見えない原っぱの中、
私たちはおそるおそる車を止めた小道へと引き返していく。

telikirandulas (9) 

森の中でも、木々が濃淡に色を変えて、佇んでいる。
森の動物たちもさぞ、この気まぐれな天気に驚いていることだろう。


telikirandulas (7) 
天の恵みのような、お正月の散歩。
今年もたくさん、自然の不思議に触れられる年になるといい。




comments(0)|trackback(0)|自然、動物|2018-02-26_01:15|page top

おばあちゃんの遺言

カロタセグの土地を踏んだのは、新年が明けてからだった。
一番の目的は、カティおばあちゃんの弔いのため。
死が近いことを感じたのか、
「見てごらん。ここの墓場はそれはきれいなのよ。」
「いつか私が死んだら、お墓に花をそえてちょうだい。」
生前にこう話しては涙した。

村を見下ろす高台の上に、ひっそりと広がる墓場。
家から煙が立ち上るのがよく見える。
高齢者にはきつい、この高い丘を登って、
おばあさんは生前、亡き息子やご主人さんを訪ねていたのだ。

おばあさんの孫娘イボヤの後をついていく。
「ここが父方の祖父母の墓で、
あれがおばあちゃんのお墓よ。
可哀そうに、もう寒い寒いということもないわね。」
鮮やかな緑と赤いカーネーションが目に飛び込んできた。
色のない寂しい風景の中で、ここにだけ生命が燃えているようだ。
ちいさなブーケをその色の渦のなかにそっと置いた。


bogar1_20180225143222af8.jpg バラと

バラと鳥に囲まれた最後の住まいは、
カティおばあちゃんの刺繍で作りあげた世界そのもの。
年末、ちょうどクリスマスの前におばちゃんは亡くなった。
学生たちと取り交わした約束事があり、
全てをすてて、ここまで来ることができなかった。
生きている間にもう一度会えなかったこと、
葬儀に立ち会うことができなかったことなど、
後悔ばかりが胸をついて出てくる。

  bogar2.jpg 

おばちゃんの最後をみとったのは、
嫁と孫娘のふたりに他ならなかった。
最後に会った10月には、弱っていた体が回復したかに思われた。
おばあちゃんは、起き上り、助けてもらって立ち上がったこともあった。
しかし、おばあちゃんの心が生を拒絶したのだと思う。
12月になり、いつか孫たちにこう語った。
私たちがやってきたら、いつでも温かく迎え入れてくれと。
それが、そのままおばちゃんの遺言となった。

村で滞在している間、
これまで交流のなかったバビおばあさん、
イボヤのふたりに夕食をごちそうになったり、
豚の解体でできた自家製のソーセージをもってきてもらったり、
世話を焼いてくれた。
「村にきたら、いつでも訪ねてね。」

ふたりの親切は、そのままカティおばあちゃんの優しさなのだった。
自分の家で泊めることができないから、
エルジおばあさんを紹介してくれ、その縁が今につづいている。
そして、自分の死後のことまで考え、
私たちの世話をしてくれている。
もはやカティおばあちゃんはいないのに、
その果てしない愛情に始終包まれていた。

カティおばあちゃんは、
相手が異国の人間だろうか、
誰であろうが構わず、人に愛を注ぐことができる人だった。
私は何をすることができるだろうか、
おばあちゃんの愛情に触れるたびに自身に問いつづけている。




















comments(2)|trackback(0)|カロタセグ地方の村|2018-02-24_22:55|page top

イースターのカロタセグ、手芸の旅ツアー

4月のトランシルヴァニア。
冷たい大地がやわらかな若草色に染まると、
人々は新たな季節を迎えるために身支度をはじめる。
色とりどりの衣装に身をつつんで、
厳かな足取りで教会へと向かう。
イースターの日曜日。

IMG_3720_20170115161356d28.jpg 
カロタセグ地方に残る、清潔の部屋。
村人たちは、先祖から受け継いだ
極上の手仕事を大切に守りながら、
聖なる空間を生み出しています。

IMG_2391.jpg 

おばあさんたちが紡ぐ伝統刺繍。
いくつかの村には未だに昔ながらのやり方で、
美しい手仕事を生み出す黄金の手があります。

kalotaszeg10_2017011516135707a.jpg 
イースターのカロタセグを訪ねる旅、今年も開催いたします。
3/29(木)~4/4(水)までの期間となります。
(うち現地滞在は3/30(金)早朝~4/3(火)午後の5泊5日)
異国の地で、春を迎える祭典に参加しませんか?
ご希望の方はこちらまでご連絡ください。
(8名様の定員に達した時に、募集を終了させていただきます。)

*今年は募集定員に達しなかったため、
見送らせていただきます。また次の募集をお待ちください。

comments(6)|trackback(0)|カロタセグ地方の村|2017-12-31_21:54|page top

カロタセグのバラが枯れた夜


20日の夜、古き良き時代を知るカロタセグの花が枯れた。

小さな村で生を受け、

その村で育ち、子孫を残して大地へと返っていった。

 

ほぼ一世紀にわたる長い生涯も、

夢のように短かったと私に告げた。

カロタセグの宝を詰め込んだ美しい部屋を守りつづけ、

きらめくビーズで刺繍した花をつぎつぎと生み出した。

少女のような心をもち、

美しいものを愛してやまなかった。

 katineni (3) 


カロタセグへの扉を開けてくれたのも、彼女だった。

カロタセグは刺繍だけではない。

ビーズやプリント布や、さまざまな新しいものの中にも

確かに美しさが宿っていることを教えてくれた。


katineni.jpg 


惜しむことなく、あらゆるものを与え、

愛情を注いでくれた。

クリスマスを待たずに旅立った、おばあちゃん。

もしかしたら、天使に姿を変えて私たちのもとへ降りてきたのかもしれない。

 

空っぽの心に、生のきらめきを放つビーズのボクレータが語りかける。

たくさんの楽しい思い出が、私を慰めてくれる。

一日も早く、冬の冷たい大地に花を捧げたい。


katineni (4) 


comments(2)|trackback(0)|カロタセグ地方の村|2017-12-28_15:13|page top

イースターのカロタセグ、手芸を訪ねる旅

2017年の春。その年は4月の終わりで、いつもより遅いイースター。

芽吹いたばかりの木々がすでに春の訪れを感じさせてくれた。

はじめての試みでお客さんを連れて、カロタセグへ手芸を学ぶ旅へと出かけた。


カロタセグの旅 (27)


はじめに目指すのは、上地方。

カロタセグの中でも最も古いままの姿で手仕事が残るところ。

半世紀以上も時がとまったかのような清潔の部屋では、

幾層にも積み上げられたベッドカバーに天井まで届くほど積み上げられた枕カバー、

家族の歴史を物語るセピア色の写真がいっぱいに飾られていた。

ご主人が箪笥の奥底から出してくれたものに、あっと驚きの声がもれる。

「ドゥランドレー。」


カロタセグの旅


花嫁のヴェールは、薄いネット地に色とりどりのウール糸で

たっぷりと刺繍がほどこされたもので、100年前の本でしか見ることができないと思っていた。

ハンガリーの紋章にチューリップ、バラで彩られたその衣装は、

女性の晴れ舞台にふさわしいものである。

何度となく足を運んだのに、ぽろりと古く価値あるものが出てくる所がカロタセグなのだ。


初日は、ドロンワーク刺繍を、

2日目はイーラーショシュ、

3日目にはビーズ刺繍、

4日日目にはセーク村のアウトライン刺繍を学ぶという手芸合宿。

それぞれの村に住む、エキスパートの村人たちを先生に依頼した。


白い糸で目を数えながらモチーフを作り、

さらに糸を引いて透かし模様をつくるドロンワーク刺繍。

ヨーロッパ全域に見られるテクニックだが、

カロタセグ地方では主にベッドカバーの裾に、美しい幾何学の花が刺繍されている。

ドロンワーク刺繍を研究する二人の若い女性に刺繍を習っていると、

それとなく「今夜の宿はどこ?」と尋ねられた。

私が行き先を告げると、「果たして、車で行けるのかしら?」と驚いた様子だった。

森の中に位置し、有名な作家が娘たちのために建てさせた別荘だった。

それも、コ-シュ・カーロイという20世紀ハンガリーを代表する建築家の作だったので、

私もかねて訪れてみたいと望んでいた。

詳しく聞いてみると、そこは原っぱの中を道のない道を進んで行かなければならないという。

確認の電話をしてみると、車でも可能だという返事だったので、出発することにした。


国道を曲がって、途中まではアスファルトの道がのどかな丘を切り分けて進んでいた。

やがて、アスファルトが途切れて、タイヤの跡が二筋ならんだだけの、

予想通り、道のない道が丘の先へと続いていた。

旦那の車の後に続いて、アップダウンの坂道が車を縦に横にと震わせる。

半分楽しみながらも、半分楽しめない自分がハンドルを握っている。

薄暗くなりかけた頃、道が森のはずれに差しかかり、

春の木々のトンネルを抜けて、おとぎ話さながらの美しい屋敷にたどり着いた。


カロタセグの旅 (25)


翌日の朝は、美しく晴れわたっていた。

春の美しい自然を見に行こうと、予定を変更してハイキングに出かけた。

芽生えたばかりの若葉がきらきらと輝き、

可憐な野生の花が色鮮やかに足元を彩っていた。

「あ、ヤドリキ。」誰かがいった。

日本では高価に取引されるヤドリキは、トランシルヴァニアの森では

当たり前のようにあちこちに見られる。

高い木の上に引っかかった大きなシャボン玉のような、緑の玉。

旦那が木に登って、いくつかを引きちぎった。


カロタセグの旅 (24)


先ほどから耳をそばだてていた旦那が「猟犬の声がする。」といった。

自然の厳しいトランシルヴァニアでは、

ヒツジの放牧にも猟犬が欠かせない。

そして、その忠実な家来は、敵を攻撃するように仕込まれている。

茂みに隠れて、じっとヒツジの群れが過ぎるのを待った。

スリリングな春の遠足も、今となってはいい思い出である。


カロタセグの旅 (26)


土曜日は、イーラーショシュを訪ねて下地方へと向かった。

アンナおばさんの家でイーラーショシュの手ほどきを受けたあと、

おばさんが管理する村の教会へと向かった。

前日が聖金曜日だったため、黒いタペストリーがそのままに、

喪に服した厳かな雰囲気を伝えている。

秘密の箱から、たくさんのタペストリーを出して見せてくれたあと、

アンナおばさんがオルガンを弾いてくれた。

こじんまりとした美しい教会の中に響き渡る、

温かく力強い音に目も耳も引き込まれていった。


カロタセグの旅 (21)


最大の見所は、復活祭の日曜日。

最も華やかな衣装をまとって礼拝に出かける村人たちを見ることだった。

残念なことに小雨に見舞われてしまったが、

びっしりと刺繍やビーズで埋め尽くされた若い女性たちの存在そのものが、

春を告げるかのようだった。


カロタセグの旅 (2)


カロタセグの旅 (4)


昼前に待ちかねたエルジおばさんが、門の外まで出迎えてくれた。

孫娘のような、たくさんの若い女の子たちに囲まれて、

嬉しそうなエルジおばさん。

刺繍とは違って、進みの早いビーズ刺繍に集中する参加者たち。

村で一番美しいカティおばあちゃんの部屋を見せたくて、

訪ねると、さみしがりのおばあさんが思わず涙を流す場面もあった。


カロタセグの旅 (6)


カロタセグといえば、音楽や舞踊も有名である。

ちょうど日曜の夜に、村でヒツジの祭りが催された。

冬の間、羊飼いが預かっていたヒツジの群れが村人たちに返される。

村人たちは羊を託した礼として、チーズを分けてもらう。

イースターは、クリスマスと並ぶキリスト教の行事であるとともに、

さまざまな民族の春の祭典でもある。

幸いにも、今年はメーラ村のヒツジ祭りと重なった。


「それは面白い習慣で、朝から晩までお祭りがあるのよ。」と受け入れ先のジュンジがいった。

冬の間、羊飼いが預かっていたヒツジの群れが村人たちに返される。

村人たちは羊を託した礼として、チーズを分けてもらう。

それを祝う儀式と、朝から晩まで大騒ぎをするというお祭りが催される。

夕方に祭り会場へ向かうと、ヤギのパプリカ煮込みの振る舞いやパーリンカ(アルコール度数50度以上ある蒸留酒)を片手に多くの人で賑わっていた。

しばらくして、ご主人のアルピおじさんを伴って、

カロタセグの衣装に着替えた日本人女性の一軍がやってくると、会場は大きく沸いた。


カロタセグの旅 (13)


カロタセグの旅 (14)


ダンスが始まったのは、電灯が灯ってから。

納屋の中は仮設のステージと化し、

楽団の演奏とともに、若者たちが順々に自分の舞を見せていく。

かつて冬の夜は、カロタセグの若い男女は足が棒になるまで踊ったという。

納屋の隅では、おじいさんおばあさんたちが、おしゃべりをしながら見物をしている。

「「髪結いのラジオ」と言ったものだよ。」とアルピおじさんは笑う。

髪を結った(既婚の)年寄りのおばあさんたちが若者を見ながら、

かつての若い頃を思い出し、噂話に花を咲かせていた様子をそう喩えたらしい。

 女性たちは輪になって目にもとまらぬ勢いで回りながら、かん高く掛け声をあげる。

やがて男女がペアになり、ぐるぐると舞いはじめると、小さな納屋は熱気でいっぱいになる。

ダンスが一息つくと、今度は歌がはじまった。

ヴァイオリンの情感あふれる音色に合わせて、男たちが酔いしれるように大声を張り上げる。

そこに、女性が入る隙間はなく、年配男の独壇場なのである。

ひとつの民謡が終わると、次に誰かが要望をいれて、

メドレーのように途切れなくとめどなく歌う。

ハンガリー民族の、熱くて、最も核の部分をのぞき見たような心地になった。


月曜日には、ハンガリー人独特の習慣がある。

それは、男性が女性のところへ行って、水をかけるというもので、

キリスト教以前の信仰の名残だと言われている。

女性はお礼に、男性に卵を渡して、焼き菓子や飲み物でおもてなしをする。

カロタセグ地方では、バラやチューリップなどの花を絵付した

イースターエッグを渡すところもある。

正装をした可愛い少年がやってきて、みんなに香水を振り掛けた後、

カロタセグのダンスを披露してくれた。


カロタセグの旅 (9)


カロタセグの旅 (10)


最後の目的地、クルージを横切ってセーク村へと向かった。

カロタセグとはまた違った魅力のセークは、小さな町のようだ。

エルジおばさんの家へ着くと、枠を使ったアウトラインステッチを体験した。

村ではほとんどの女性が働きに出てしまったのに、

エルジおばさんは刺繍や手織りで生計を立てる数少ないひとり。

おじさんと一緒に、機織り用の糸を巻く作業や、縦糸を巻き取る作業も見せてくれた。


カロタセグの旅 (17)


カロタセグの旅 (18)


カロタセグやセークの魅力を再発見し、

素晴らしい参加者の方々と笑い、刺繍を通じて、

現地の人々とともに過ごした数日感。

皆さんの心に生涯刻まれる旅となればいいと思う。


カロタセグの旅 (22)





 

comments(2)|trackback(0)|カロタセグ地方の村|2017-12-05_20:46|page top

グリーンのケープコート

ウール素材の鮮やかなグリーンのケープコート。

裏がめくれると、青いウールが見えるフードつき。

胸には赤い合皮の花の飾りが愛らしい。

娘が生まれるずっと前から、買っておいたものだった。

だんだんと肌寒くなってきた9月の朝、娘にかけてやった。

「こんなコート、子供の時に着たかったなあ。」

何気なくそう言うと、娘はしっかりと目を見据えてこういった。

「ママがいつか死んで、赤ちゃんになって生まれてきて、

子供になったら、着させてあげるからね。」

その思いがけない言葉に、目を丸くさせた。


大人にとっても、理解の外にある死の世界。

それは、いつしか娘の頭の中で輪廻転生、

それも私が娘の子どもになって生まれてくるという、

身内の強い縁によって結ばれる世界が出来上がっているのだ。

 

4歳になった夏、

娘はしきりに死のことを意識するようになった。

その不安は、夜眠る前にやってきたらしい。

「おばあちゃんはかわいそう。

年寄りだから、もうすぐ死んじゃう。」

「大人になりたくない。ずっと、子供でいたい。

だって、すぐに年をとって死んじゃうから。」

 

そんなとき、悩みながらもこう説明した。

大切な人が死んでしまうのは確かに悲しいことだけれど、

もし人が死ななかったら、新たに赤ちゃんが生まれてこなくなってしまう。

私たちが生命のバトンを渡すという意味は、自ら子どもを生むことだけではなく、

自分の場を他者に譲ることにもあるのかもしれない。

 

蚤の市で買った、白いウールに黒い組紐模様とアップリケのほどこされたジャケット。

民俗衣装はふつう着ないで、ひたすらコレクションのためだけにタンスにしまっているのだが、

薄汚れたこのジャケットは、どこか舞台衣装のようで抵抗なく着られる。

ある日、椅子の背にかけてあるこのジャケットを見て旦那に言った。

「このお洋服、素敵。

ママが死んだら、私のものになるの。」

いかにも、ちゃっかりとした娘らしい言葉に、微笑まずにいられなかった。

 


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comments(2)|trackback(0)|その他|2017-10-24_00:00|page top

イーラーショシュを繋ぐ人たち

ふたりの子どもをお姑の家においてきたので、 長居はできない。 
ましてや、明日から新学期がはじまるのだから尚更だ。 
帰りを急ぐため、早起きをして村を出た。 
カロタセグを横断する道すがら、森のはずれにあまりに美しい風景が広がっていた。
急ぎたいと思いながらも、車を止めずにはいられなかった。

秋を告げる花、イヌサフラン。
草原を見渡すかぎりに、淡く紫色に透きとおる野生の花を見つけると、
不思議と胸がときめく。

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ハンガリー語で「秋」という名をもつこの花ほど、
季節を象徴するものはないのではないだろうか。
森のふもとでひっそりと暮らす妖精のようだ。


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かねてから訪ねようと思っていた人がいた。
小学校の先生をしていたおばあさんが、イーラーショシュの図案を描くという。
名前だけを頼りに、村を訪ね歩いていくと、
90歳という高齢だという話。
立つこともできないというので、突然訪問していいものだろうかと考えていたら、
「大丈夫だよ。」と村人。
木彫りの美しい門をくぐり、階段を登って扉を開けると、
ライトの明かりの下で刺繍の布を広げるおばあさんの姿があった。

「今ちょうど、教会に寄贈するタペストリーの刺繍をやり直しているところよ。」
と見せてくれたのは、100年以上も昔に作られたクロスステッチ刺繍だった。
「私はここから動くことができないから、
ここで図案も描くし、刺繍もするの。」
ベッドの周辺がおばあさんの全てを物語る空間。
「そこのテレビの横にある用紙を出してちょうだい。」
言われるがままに、小さな隙間に隠し置かれた大きな画用紙を取り出すと、
おばあさんのクリスチャンマザーであった女性の生涯を写す写真や
ドロンワーク、イーラーショシュの小さな作品がスクラップしてあった。


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「ここにいるのが、コーニャ婦人テレーズよ。」
後にカロタセグ上地方の牧師夫人となった婦人は、
その生涯をカロタセグの刺繍に捧げた。
20,30年代にかけて、ジャルマティ夫人の跡を継ぎ、
各地で展示会を開き、イーラーショシュやドロンワークの美しさを世に広めた。
コーニャ婦人その人も、図案をデザインし、
当時の流行の影響を受けたものへと改良していった。
彼女の目指す刺繍とは、
子供服や婦人靴など当時の都市生活へ応用できる手仕事であって、
村の生活とはかけ離れたものだった。


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生涯子孫に恵まれなかった婦人が、
愛情を注いだのがアーギおばあさんだったのだ。
90歳になってもなお、少女のように目を輝かせながら言う。
「見なさい、このコーニャ婦人の美しい髪を。
死ぬまで、その長い髪を切らなかったのよ。」
コーニャ婦人は、永遠の憧れであり、
婦人のデザインした膨大な数の図案を大切に守り続けている。
「いつか、博物館がほしいと声をかけたことがあったのだけれど、
譲らなかったわ。
この図案は村にあってこそ、生かされるもの。」
コーニャ婦人の生きた30年代のカロタセグの空気が、
今もアーギおばあさんの手で布に刻まれ、そして刺繍によって生命が吹き込まれる。


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アーギおばさんは足を失ったものの、
いきいきとした脳でたくさんの言葉を語ってくれる。
「その昔、戦争のあった頃、
私の亡き父と、母と、私たち兄弟はクルージの工場の跡地で暮らしていたわ。
ロシアの兵隊がきて、町を占領した日に、
たくさんのピロシキを焼いたのを、生まれて初めて食べたの。
ある夜、表で戦いがあって、父といっしょに隠れていたのだけれど、
一晩で父の髪が真っ白になったのを見たのよ。
可哀想に、恐怖のあまり髪が白髪に変わってしまった。
次の日、捕虜として捕らえられて、ロシアに連れて行かれてしまった。
それ以来、父の消息は分からないの。」

一世紀に近い年月を生きたおばあさん。
次にどんなことを物語ってくれるだろうか。





comments(2)|trackback(0)|カロタセグ地方の村|2017-10-21_16:49|page top

針金細工のボクレータを学びに

セーケイ地方から北西へと車を走らせること、6時間。

カロタセグ地方の土を踏むのは、この春に訪れて以来のことだった。

夏と秋のはざま、9月の二週目が過ぎようとしていた。

それは、人々が長い夏を終えて、

平常の仕事ペースに戻ろうとゆるゆると重い腰を上げる頃。

新学期がはじまる、ちょうど前の週末だった。

 

長い夏の大半を日本で過ごしたため、休息とたまった仕事に費やしたこの8月。

すぐに次の旅へと気持ちを移すことができなかった。

しかし、どのように悔いても時間だけは元に戻らない。

 

秋のはじめは、まるで大波のように暑さと肌寒さが

代わるがわるに押し寄せてくる。

夜が更ける頃、ナーダシュ地方のエルジおばさんの家に到着すると、

石造りの家の中も外と変わらず身震いをする冷え込みだった。

張りのある大きな声と、がっちりした大きな体に肩を抱かれて、

長い旅の終わりを感じていた。

一人だけ連れてきた末っ子の瑞生は、

座りっぱなしの体をようやく伸ばして、おそるおそる家の中を探索しはじめた。

おばあさんは、この冬を越すための、荷馬車いっぱいの薪を買い込んだところだという。

そして、ここカロタセグでは薪用の丸太も年々値上がりが激しく、

大変な出費だとのことだった。

自家製のプルーンジャム入のロールパンはふわふわで、

やさしい味が旅の疲れもほぐしてくれるようだ。


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長旅の疲れと温かい布団のお蔭で、ゆっくりと休んだ。

退院して二週間になるカティおばあさんを見舞ってから、

次なる目的地へと車を走らせた。

 

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今回は、ビーズの針金細工を習得するのがもうひとつの目的。

カロタセグのナーダシュ川流域の村では、

大都市クルージ・ナポカに近いため、流行の素材が手に入りやすかった。

そのため、色とりどりのビーズを散りばめた装身具を作り、

とりわけ華やかな衣装に身を固めるようになった。

針にビーズを通して刺繍をするビーズ刺繍の他に、

昔は針金にビーズを通してモチーフを作る、針金細工の帽子飾りを作っていた。


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面白いことに、同じカロタセグでも地方によって美意識が大いに異なる。

ナーダシュ流域ではきらめくビーズをふんだんに使うことにこの上なく誇りを持っており、

上下地方では、昔ながらの刺繍に磨きをかけ、統一感のある配色をもつ

自身の衣装こそが本物だと主張する。

はじめは、私も刺繍こそが美しく、ビーズは玩具のようなものと思っていた。

民俗学的にも、刺繍の本は山ほどあるが、ビーズを扱ったものは一つもない。

そんな先入観を大きく変えてくれたのは、カティおばあちゃんの手がけるボクレータであり、

古くにチェコから仕入れたビーズを使ったさまざまな装身具だった。

とりわけ磁器のように白の濃い目の細やかなビーズが、年代を経て塵や埃を吸い、

さながら影のように黒ずんだ表情が美しい。

 

山手にある村、イナクテルケ。

周辺の村の中でも、最も衣装が華やかだと言われている。

数年前に知り合ったカティおばさんを探すことにした。

一人息子が牧師をしているというおばさんは、穏やかでどこか知性を感じさせる話し方をする方。

針金細工を教えてほしいというと、快く受け入れてくれた。

「そう私の小さい頃にはね、丸いビーズが揺れる長いモチーフを3本作って、

バラをその間に埋めた飾りをつけていたのよ。踊ると針金飾りが揺れるので、

「レズグー(揺れる)」と呼んでいたわ。」

思い出し思い出ししながら、針金にビーズをくぐらせてねじる。


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手仕事を片手に、村のおばあさんたちとおしゃべりするのも楽しい。

相手の顔を見ずしも、手仕事という共通点から、さらに相手との距離が近づく気がする。

「子供たちよ、昔この家の横で夏になるとフォークダンスのキャンプが開かれて、

ハンガリーからたくさんの人がきたわ。

その先生の一人娘がね、まだあの頃は8歳くらいだったかしら。

うちの家畜たちが好きで、よく見に来ていたの。そして、ある時こういったわ。

『おばさん、牛はどうなったの?』ちょうど主人がなくなったあとで、

私は女手ひとつで養っていく自信がなかったから、すべて売ってしまったところだった。

忘れもしない、その子は私の目をまっすぐ見ながらこういったわ。

『可哀想なおばさん。貧しくなってしまったわね。』

その子のいう通りだった。今、店で買う牛乳やサワークリームは、

自家製のものとは似ても似つかない代物。もう、あんな味は手に入らないのよ。」

現在は、村には一頭の牛もいないという。


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「さあ、今度はあなたがやってみて。」とバトンタッチ。

時にビーズをほどくこともあったが、小さなバラのモチーフが出来上がった。

細くしなやかな工芸用の針金は、現地では手に入らないという。

「わたしもひとつ注文したいわ。孫に昔ながらの針金ボクレータを作りたいの。」

とカティおばさん。

物づくりの上で大切なものは素材。

素材がないために、姿を消してしまった美しい品々はたくさんある。

もしかしたら、もう一度古い針金細工ボクレータが復活するかもしれない。

淡い期待に胸を弾ませながら、夕暮れどきの道をエルジおばさんの待つ家へと車を急がせた。




comments(2)|trackback(0)|カロタセグ地方の村|2017-10-10_20:22|page top

おばあちゃんの最後の針仕事

こんな日が遠からず来るような気がしていたのだが、
この夏の終わりに不意に訪れた。
87歳になるカティおばあちゃんが、
自宅の庭で倒れたという報せだった。
すぐに隣人が気がつき、病院に運ばれたものの、
左腕左足の神経が切れて動かないという。

「わたしは、飼い主のいない犬のよう」と言っていたように、
あれこれ仕事を見つけては体を動かすのが好きだった。
それでいて、空色のおばあちゃんの部屋は、
キッチンと食卓と、寝室と居間と客間とアトリエを兼ねる最高の空間だった。
そのおばあちゃんが、黄金の手と動く足を失ってしまったのだ。

カロタセグ地方を訪れたのは、9月のはじめ。
最後の手仕事を受け取るのが、目的の一つだった。
退院したあと、これまでの家から
同じ村の通りに住む孫娘の家に引き取られたという。
エルジおばさんは、「おばあちゃんは、大分弱ってしまったわ。」と話した。

いつか訪れたことのある孫娘の家には、
長男と遊んだこともある同じ年のひ孫も暮らしている。
エルジおばさんの後について、薄暗い地下の部屋に入った。
部屋の窓際にあるベッドの横たわるおばあさんに、後ろから近づいていった。
私を見るやいなや、声高に泣きじゃくる姿はまるで別人のようだった。
嫁と孫が興奮しないようにと諌めて、
やっと普段の声を取り戻したようだ。
ある日を境に、人生は思っても見ない方向に転じてしまう。
その悲劇を、おばあさんそのものから感じていた。
「人生は、なんてはかないもの。
わたしはもう87。あっという間だわ。」
骨ばったおばあちゃんの手をただ握りしめることしかできなかった。

おばあさんの手がけたビーズ刺繍のボクレータは、
エルジおばさんから受け取っていた。
小さなビニール袋に入った、ビーズのネックレスやすずらんの飾りを
どこからか嫁が取り出して渡してくれた。
「これが、おばあちゃんの最後の手仕事よ。」
おばあちゃんと確執があった嫁のイボヤおばさんも、涙ぐんだ。

始めはそれほど関心のなかった、ビーズの美しさ。
手仕事や衣装、手作りの素晴らしさ、カロタセグの美意識・・、
おばあちゃんは私にさまざまなことを教えてくれた。
カロタセグの本ができて、一番喜んでくれたのもおばあちゃんだった。
「私にとって、この本は千金に値するもの。今夜は眠らずにずっと眺めているわ。」
少女のように瞳を輝かせながら、カロタセグの衣装でいっぱいの本を胸に抱いていた。

「また、訪ねてきます。」
朝と夜におばあさんに会い、同じ言葉で別れた。
いつもは美しく結っていた白銀の髪が、短く刈り取られていたのだ。
そのことに気がついたのは、部屋を出る寸前だった。

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comments(2)|trackback(0)|カロタセグ地方の村|2017-09-19_13:47|page top