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トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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セーク村のターンツハーズ(ダンスパーティ)

ベルタランの日、 午後はカトリック教会のミサへ参加することに決めていた。 
すでに教会の鐘が高らかに鳴り響いていた。 
遅れないように小高い丘を駆け上がっていると、 
珍しくセーケイの縞模様のスカートが目に入った。 
「セーケイ地方のものね。どこから?」と尋ねると、
 「カルツファルヴァのものよ。セントドモコシュの隣よ。」 
ハルギタ県のものだ。 
セーク村にどうしてセーケイの衣装を着た女性がいるのだろう。
 興味を惹かれて、尋ねてみると、 
「私は半分はセーク出身よ。」という曖昧な返事を得て、教会の前で別れた。
 これがマリとの出会いだった。 

教会のミサを終えて、家に帰ると、
 旦那を誘って、知り合いになったおばあさんを訪ねに行った。 
そこでも、先ほどのセーケイの服の女性と出くわした。 
「おばさん。」と彼女はジュジおばあさんを呼んでいた。
 そこで、マリはセーク出身だが、 
セーケイ地方で結婚し、村で教師をしていることを知った。 
私たちが村に家を持つことを知った彼女は、 
「あなたたちをがっかりさせたくないのだけれど、 
この村で子どもを育てないほうがいいわ。」と思いもよらない忠告をしてくれたのだった。 
セークの民は勤勉で、清潔好きであるけれども、 
金持ち至上主義で、常に相手の値踏みをするのだという。 
逆にセーケイ地方では、人々はぶっきらぼうで、 
よそ者をすぐには受け入れないが、困ったことがあれば親身になってくれる。
 それは彼女自身の体験による言葉なのだ。

 「夜に、村でターンツハーズ(ダンスパーティ)があるんですって。 
よかったら、いっしょに行きましょう。」 
思いもよらない誘いに、喜んで承諾した。 
夜9時に我が家に誘いに来てくれるとのことだった。 
30分ほど過ぎたので、都合が悪くなったのだと合点して、ひとりで家を出た。
 もう少しで、会場のペンションに着くところで後ろから車が止まった。 
セーケイの縞のスカートをはいた、マリだった。 
村でも著名人のミシェルというオランダ人男性が、主催するターンツハーズ。
セークの女性と結婚して、村に移住したという。 
村の伝統生活を取り戻そうと、さまざまなイベントを企画している。
会場には、ハンガリーの観光客の他にも、たくさんの村人たちが来ていた。
納屋のドアが開放してあり、中は赤赤と灯りが灯っている。
ヴァイオリンやビオラの音色がこぼれてくる。
ダンスから漂ってくる何とも言えない熱気がこちらにも伝わってくる。
昔から、チプケ(トゲ)通りではここがターンツハーズの会場だったという。

ジュジおばあさんとも出会い、角のベンチに腰を下ろした。
「あなたはどこから来たの?」
何度ともなく聞かれる質問に、
「セーケイ地方に住んでいるけれど、セークに家を買います。」と答える。
すると、「どこに?いくらで買った?」と返事がくる。
村に家をもつ、それだけで村人たちの受け入れ方が違う。
「半分はセーク人よ。」と冗談交じりでいうのだが、そんな気分になる。


szek bertalan (15) 

楽団の演奏がはじまると、ぱっと空気が華やかになる。
ふと、マリが席をたち、「私も行くわ。」と、
ペアの男性とともに踊りに加わった。
セークでは80年代まで、ターンツハーズが定期的に行われていた。
やがて、だんだんと機会が減ってなくなった。
当時は誰も、交流の機会がなくなってしまうと思わなかったという。
彼女が村で学生だったときは、誰もが民俗衣装を着ていた。
そして、冬の手仕事フォノー(糸紡ぎの家)もあり、
嫁入り道具も自分の手ですべて作った。
私より10歳年上のマリは、「村の美しい文化生活を経験できた」最後の世代だったという。


szek bertalan (18) 

お隣のおじいさんに誘われて、
「私も行くわ。」と87歳のジュジおばあさんも席を立った。
緩やかなステップがつづき、やがて、突然速いテンポに変わる。
骨身に染みついたリズムは、決して忘れることはないのだ。


szek bertalan (16)


やがて、音楽が高調するにしたがって、
ダンスも熱気を帯びてくる。
人生の最も美しい瞬間を凝縮して見たような、不思議な時間だった。
お年寄りの話にだけ聞いていたおとぎ話の世界が、
時代を遡って目の前にひらけた、夢のような一夜。

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ジュジおばあさんも帰り、人がまばらになってきた後も、
マリとふたりで外で話しをした。
「私の母親は踊りよりも、歌が上手で・・・。
カッロ―シュ・ゾルターンも通って収集したの。CDにもなっている。」
そのCDはちょうど、夏に村で何かを聞きたいと思い、
博物館で購入して、この夏何度となく聴いていた。
「CDの表紙になっているの。あなたね!」
仲睦まじそうな親子、母親に寄り添う、少女がマリだった。

村で一番の優等生だったマリは、その後、
クルージ・ナポカの大学で物理とルーマニア語を専攻し、
セーケイ地方の男性と結婚し、
セーケイ地方へ移住して、現在も村の中学校で教師をしている。
「私はセーク村人であることが嫌で、村を出た。
でも町に行って、衣装を捨てても、
私はセーク人であることに変わりなかった。」

「村の否定的な部分を沢山わかっているし、好きでないけれど、
私はセーク出身者であることに変わりないし、やはり村が恋しくなるの。」

「私が教師になって村に帰ってきたとき、
母はどれだけ給料がもらえるのか知って、がっかりしたようだったわ。
ここでは知的職業につく人はほとんどいなくて、
男性は建設業、女性は掃除婦と決まっているから。
皮肉なことに、村人たちのほうがよっぽどお金持ちなのよ。」


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気が付くと12時が近かった。
魔法がとける寸前のシンデレラのような気持ちで、
夢が覚めたように席をたち、家路に向かった。


その日のセークのターンツハーズより







*マリさんは、この10月に阪急うめだのイベントで来阪されます。
10/18~22日の5日間、
セークの刺しゅうのデモンストレーションを行う予定です。
comments(2)|trackback(0)|セーク村|2018-09-19_17:09|page top

ベルタランの日

8月24日、ベルタランの日。 
セークの民にとっては、決して忘れることのできない日である。

今から301年前のこと、
1717年にタタール人が侵攻してきて、村の教会を破壊し、
村人を殺戮し、多くの捕虜を連れ去っていったといわれている。
この大惨事で、村の人口は大幅に減少し、
子どもを合わせて100人足らずになったと記録に残っている。
塩の鉱山で繁栄を築いたセークは、その昔は町と呼ばれていた。
この悲劇によって、セーケイ人やよその地方から移住するものもあり、
再び村として1から立て直すことになった。

この日は、朝昼晩三回の礼拝が開かれる。
さらに、喪を表して断肉をする。
ちいさい子どもから年配の村人まで美しい衣装を纏って、教会を目指す。

  szek bertalan (6) 
セークの衣装は、このタタール人襲来が起こってからは、
喪を表す黒と、血を表す赤とすることになった。
女性たちは皆、黒い衣装を身につける。

szek bertalan (8) 
男性は、白いシャツに
かつて塩山の警備兵だった頃の名残である青いベスト。
トレードマークの麦わら帽子をかぶる。

bertalan1.jpg 
18世紀当時の記録が、
美しい石造りの教会のあちらこちらに残っている。
刺しゅうや家具にも見られる、チューリップ。

szek bertalan (7) 
1703年の石碑。
この14年後にタタール人の襲来が起こった。
11時からの礼拝では、セークの村の歴史を牧師が読み上げる。
名前の起こりから、村が町となった経緯、
そしてタタール人襲来、今に至るまで。
1717年の悲劇で教会の中でも大勢の村人が被害を受け、
捕虜として連れて行かれ、母親の手によって逃亡した少年や、
両親と引き裂かれた子どもの証言が
生々しく、胸にのしかかってくる。

bertalan.jpg 

ご先祖に感謝を込めて、少女が祈りを捧げている。

szek bertalan (21)

小高い丘にそびえる教会から、厳かな心持で家に向かって帰る。
婚約者だろうか、仲睦まじく家路に向かうふたり。
若い女性の赤いリボンが揺らぐのを眺めていた。


szek bertalan (12) 
comments(2)|trackback(0)|トランシルヴァニア食文化|2018-09-12_19:10|page top

10月講習会のお知らせ

10月16日より約2ヶ月間、日本へ一時帰国いたします。

その間、東京、関西各地で講習会やイベント、展示会など開催する予定です。

今回は、トランシルヴァニアのハンガリー人の伝統刺繍を3種類実習します。



rama.jpg 


セーク村に伝わるアウトライン刺しゅうは、

現地では「枠刺繍」とも呼ばれています。

布に直接描いた図案を大きな木枠に張り付けて、

上から下、下から上へと針を通します。

古くから飾りベッドのための枕カバーを彩るために、刺繍されてきました。



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まるで大木のように伸びたチューリップを中央に置いた、

アールデコのようなモチーフ。

両脇をつぼみが彩る図案を、マチ付きのバッグに仕立てます。



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裏にはハンガリー、ルーマニア製プリント布を組み合わせ、

持ち手には、アルコールランプの芯を使用します。



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カロタセグに伝わる刺繍イーラーショシュ。

ヨーロッパでも唯一とされる独特のステッチで

曲線の多い植物模様を刺繍していきます。


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100年前のアンティーク図案から、

枕カバーの端を彩る連続模様をサンプラーのように並べました。

上から下へと段階を踏むごとにだんだんと難易度が増していきます。



P1060044.jpg



ホワイトリネンに黒い刺繍が映える、ショルダーバッグは、

アンティーク刺繍のような味わいです。

裏にはハンガリー、ルーマニア製織り布を組み合わせ、

持ち手には、アルコールランプの芯を使用します。


 P1060051_20180827163924bb4.jpg 


トランシルヴァニア地方の特徴とも言える、編みクロスステッチ。

かつては各地で見られていましたが、

特にアーラパタク村の編みクロスステッチは1900年のパリ万博で金賞を博しました。

普通のクロスステッチより、1目分伸ばして刺繍をするので、

まるで編み物のような独特の風合いに仕上がります。



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メシュテルケと呼ばれる、端のモチーフを選んで中央に施し、

現地で使用されるクロスステッチ用刺繍糸を使って刺繍します。

ちいさな鳥が向かい合う図案は、祝いの場にふさわしいものとされています。



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裏にはルーマニア産の織り生地を使い、

トランシルヴァニアの革職人によるオリジナルの本革持ち手がさらに重厚感を与えます。


 keresztszem1.jpg 


*10/18(木曜) 10:00-12:30 (例年より30分長くなります。) 
新宿朝日カルチャーにて開催されます。
今回は、カロタセグのイーラーショシュか
セークのアウトライン刺しゅうのどちらかをお選びいただけます。

材料費
①イーラーショシュ(約3500円) 
②セークのアウトライン刺しゅう(バッグ)(3000円)

8月28日からWEB限定割引が先着7名様に適用されますので、
どうぞお急ぎください。

朝日カルチャーセンター


*10/17(水曜)の終日

文化服装学園オープンカレッジにて開催されます。

こちらは講義が75分、実習が75分の形式で、午前午後と分かれています。

午前はトランシルヴァニアのハンガリー人少数民族の伝統衣装や刺繍についての講義のあと、

イーラーショシュの基本の技術を学ぶ実習をします

午後はトランシルヴァニアの編みクロスステッチについての講義のあと、

編みクロスステッチの基本の技術を学ぶ実習をします。

こちら募集が始まり次第、ご連絡します。

文化学園オープンカレッジ

*10/23(火曜)10:00~12:00、15:30~17:30
NHKカルチャー京都教室にて開催されます。
午前はイーラーショシュ、午後は編みクロスステッチの実習となります。
トランシルヴァニアの伝統刺繍 ~編みクロスステッチ~

*10/25(木曜) 10:00~12:00、13:00~15:00
NHKカルチャー西宮ガーデンズ教室にて開催されます。
午前はイーラーショシュ、午後はアウトライン刺しゅうの実習となります。
トランシルヴァニアの伝統刺繍~アウトライン刺繍(ポーチ)~

*10/27~29(土~月)
箕面市けんちくの種にて開催されます。
イーラーショシュ、アウトライン刺しゅう、編みクロスステッチの実習となります。
けんちくの種

comments(0)|trackback(0)|トランシルヴァニア食文化|2018-08-27_18:32|page top

レケチン村を訪ねて

チャーンゴーの村をいくつか訪ねた中でも、 もっとも印象深かったのはレケチン村だった。
ハンガリーの写真家ゲルグーは「ここからが本当の旅だよ。」と目を輝かせて言った。 
ショモシュカ村から森の中を通って、 
何キロか歩いてたどり着いた山奥の村。
森の脇の古い一軒の小屋で、 村で最後の産婆さんという女性が機織りをしていた。 
そのおばあさんは、目にも鮮やかな色合いの縞模様の布を贈ってくれた。 

ダンスキャンプでレケチン出身というチャーンゴーの女性と出会った。 
話しているうちにゲルグーを昔からよく知り、泊まっていくと話した。 
キャンプも終わりに近づいた日、メリツァはこういった。 
「明日は遠足で、ちょうど村のそばの森に行くから、 その後、村の私の家に案内してあげる。」 
願ってもない申し出に、心が躍った。

 18年前に徒歩でいった森の道は何処にあるのだろう。 
山あいの小道を通り、車で村に入った。 
村はずれで車を止めると、 メリツァは
「ちょっと待っていて。トウモロコシを取ってくる。」と 縞模様のかばんをひとつ持つと
緑の茂った畑へ小走りで向かった。 
彼女の手伝いにと、私も後を追って2、3Mはあるトウモロコシ林の中に入っていく。
彼女が手渡すトウモロコシを入れて、かばんはどんどん重さを増した。 
黄色い実をつけたトウモロコシは、チャーンゴーの言葉でプイと呼ばれる。 
ルーマニア語でニワトリの意味だ。 黄色い色がヒヨコを連想させるから呼ばれるのだという。

村につくと、子供たちはぐっすり眠っていた。
道路沿いに車をとめて、そこからは徒歩になる。
旦那と私は子供をそれぞれ腕に抱いて、砂利の坂道を登っていった。
途中、水汲み場があって、
おばあさんが普段着の民俗衣装を着てバケツで水を汲んでいた。
あっと声が出るような、美しい光景だったが
二人とも両手がふさがり、カメラを出すことさえできなかった。

メリツァが、「ここが私の家よ。」と坂の中腹に建てた家に入っていった。
緑が茂った美しい庭で妹さんが働いている。
通されたのは、清潔の部屋だった。
色とりどりの織物で彩られたベッドに子どもたちをそっと置く。
美しいベッドで眠ることができて、なんて幸せなことだろう。

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部屋の隅には、飾りベッドの代わりに
きれいに折りたたんだ織りものが積み重ねてある。
モルドヴァ地方では、このように嫁入り道具を作りためるのだ。
この家では、残念なことにメリツァも妹さんも独身のようだ。

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部屋の角には、マリア様の像が置いてある。
敬虔なカトリック教徒のチャーンゴーらしい住まいである。
部屋の角は「聖なる角」と呼ばれていて、
日本では神棚や仏壇のように信仰の対象となる品々を置くことがある。
セーケイ地方では角にちいさな箪笥を置いて、中に貴重なお酒を入れる光景も見られる。

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別の部屋も美しく飾り付けてあった。
チャーンゴーは華やかな色を好むので、
縞模様の色の洪水に目がくらみそうだ。
ロングクロスを半分に折って飾る習慣は、ルーマニア人の影響である。

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収穫したばかりのトウモロコシを茹でる間に、
美しい手仕事を次々と見せてもらった。
冬じゅう、織り機で織ったベッドカバーやかばん、帯などを
チャーンゴーのイベントなどで販売をしている。
さらに畑仕事や家畜の世話、自家製のワインやパーリンカなども作っている。

私たちが学生の頃は、あらゆる民俗学者がモルドヴァのチャーンゴー人の元へこぞって通っていた。
ハンガリー政府の援助をえて、研究が盛んな時代だった。
それと共に、各地の村にハンガリー語教育の施設や教師が送られ、
チャーンゴーの子供たちにはさまざまな奨学金や遠足などの機会が設けられた。
メリツァも、チャーンゴー協会に雇われて村で子供たちに手織りを教えている。

ビーズで編んだ美しいボンネット。
本の中でしか見ることのできない貴重な品だ。
これまでは外国人がたくさんの貴重な手仕事を持ち去ってしまったが、
メリツァは村に博物館を作り、地元に残したいという。
こういう意識をもつチャーンゴーの女性たちが、
ここ20年ほどの間に生まれたということは大きな収穫である。

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台所で、茹で上がったトウモロコシを頂いていると、
近所のおばあさんがやってきた。
「さあ、あなたも食べていきなさい。」
村では当然のようにご近所も食卓を囲む。

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近所に古い家があって、おばあさんがひとり暮らしていると聞き、訪ねた。
ちいさな部屋は大人が4、5人しか座れないほどだが、
部屋の半分近くを占めるのは大きな竈だった。
土を塗り固めて作った巨大な空色の柱が天井へとつづいている。

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帰り道、湧水のところで
旦那が念願のおばあさんに会うことができた。
村で何度も尋ねていた「白いブラウス」をついに見ることができたからだった。
刺繍のないただのブラウスは、日常着である。
本でしか見たことのなかった衣装は、
外国人のためでもなく、教会に出かけるためでもなく、
普段からおばあさんが身につけているものだ。

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メリツァとの出会い、
レケチン村の訪問によって、
モルドヴァ地方、そしてチャーンゴー人が近くなった。
いつか、子供たちにこのような村があったことを覚えていて欲しい。

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comments(2)|trackback(0)|その他の地方の村|2018-08-27_14:41|page top

モルドヴァのサマーキャンプ

長旅を経て、ちいさな村ラーブニクに着くと、
通称「ハンガリーの家」と呼ばれるチャーンゴー団体が運営する宿舎で夕食が待っていた。
大皿にはたっぷりとあたたかな食事がのっている。
私たちは遅くに申し込んだため、宿舎ではなく、
チャーンゴーの家庭にお世話になる。

朝食を食べて、10時になるとプログラムがはじまる。
子どもたちは、徒歩10分ほどにあるルーマニアの小学校へ向かう。
先生たちと一緒に、ダンスと歌のレッスン。
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日本人の父親を持つヴィリくん、チャーンゴーのパウリナと手をつないで
遠足感覚で学校へ通う子どもたち。
どうやら次男が最年少のようだ。

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その間に、大人向けのフォークダンスか楽器の授業が開かれる。
モルドヴァのダンスは、輪になって踊るものが多い。
カルパチアから西は、カップルダンスが主なのだが、東へ向かうとダンスも変わる。
音楽も、抒情的なトランシルヴァニアのそれに対して、
モルドヴァは陽気でスピーディである。
笛、ヴァイオリン、コプザと呼ばれる中世起源のギターのような楽器の中から選べる。

やがて、チャーンゴーのおばあさんに民謡を学ぶ時間がきてから、昼ごはん。
午後になると、毎日違う村からチャーンゴーのグループが
歌やダンスのショーをしてくれる。

子どもたちは、その間、手仕事の時間。

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学校の前には、3台の機織りが置かれていて、
チャーンゴーのおばさんたちが機織りを見せてくれる。

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美しい帯や巻きスカート、タリスニャと呼ばれる肩掛けかばんは、
手織りで作られている。

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クレージェ出身のチャーンゴーのおばさんが、刺繍を教えてくれた。
シェルベットと呼ばれる、婚約の印のハンカチは、見事な刺繍が添えられる。
男性はそれを帯の間に挟み、教会に出かけるので、
花嫁の刺繍の技は村中の目にさらされることになる。

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残念ながら、現在は手織り布は使われず、
市販の粗い目の布に、化繊布で刺繍がされるので、
図案が大きく引き伸ばされ、発色も人工的になってしまう。
刺繍をしていると、おばさんがチャーンゴーの民謡を口ずさみ、
笛の音色も重なって、何とも贅沢な時間になった。
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朝から晩までモルドヴァの音楽に囲まれる、一週間。
木曜日は、バスで森へと遠足に出かけた。
昔では考えられなかったことだが、森の中にペンションとプールが建てられている。
子どもたちは大はしゃぎでプールに飛び込み、
大人たちはビールを片手におしゃべり、休憩をする。
近くの村から、チャーンゴーの女性たちがやってきた。

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チャーンゴーのダンスを見ている内にふと気づいたことがある。
美しいブラウスの袖が斜めに重なり、後姿がなんと美しいのだろう。
その袖を見せるために、このように腕を交差させるダンスが生まれたのかもしれないし、
ダンスの見栄えをよくするために、刺繍の豪華な袖が生まれたのかもしれない。

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夕食が終わると、楽団を呼んで、明け方までターンツハーズ(ダンスパーティ)が開かれた。
18年過ぎて、出会ったチャーンゴーのイメージは大きく変わっていた。
チャーンゴーの女性たちの陽気なパワーに圧倒されるとともに、
彼らの中でチャーンゴーのアイデンティティーに自信が芽生えているのを強く感じた。
「私は伝統の保持者よ。」と自信を持って、
手仕事、歌や踊りにいそしみ、私たち外部のものに教えてくれるのだ。
そして優秀なものはチャーンゴー団体に抜擢され、
社員として働いたり、ハンガリーや外国で開かれるイベントへも招待される。

不思議な再会も後を断たなかった。
主催者ののひとり、ロズィが声をかけてくれ、
いつかクレージェの村で日本について話をしたことを思い出させてくれた。
「ずっと弟といっしょにそれを覚えていて、
ひらがな、カタカナといってふざけていたわ。」
私すら忘れかけていた過去の出来事がよみがえった。

何日か後には、クルージの大学の民俗学部で一緒だったチャーンゴーの少年ダニエルが、
大人のおじさんになって目の前に現れた。
「日本人らしい顔の子どもたちを見かけたから、もしかしてと思ったんだ。」
今は故郷の村でハンガリー語の教師をしているという。

ちいさな次男をいつも気にかけてくれたパウリナ。
故郷の村に家族を残して、夏のキャンプで働いている。
「君は私のペアなのよ。」といつも一緒にダンスをしてくれた。


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参加者や主催者が不思議な絆で結ばれた1週間。
最終日の夜には、お披露目会、ターンツハーズで幕を閉じた。
「来年もまた会いましょう。」
握手や抱擁を交わして、私たちはモルドヴァの地を離れていった。




comments(4)|trackback(0)|その他の地方の村|2018-08-19_16:37|page top

モルドヴァのチャーンゴー人との再会

カルパチア山脈を超えて、東へ。
今から100年より昔は、トランシルヴァニアの民にとってモルドヴァ地方は外国だった。
険しい山を乗り越えて、東の土地へ移住したハンガリー人がいた。
今のバカウ県の村々へ定住し、「チャーンゴー」と呼ばれた。
csangalはハンガリー語で流浪するという意味がある。

チャーンゴーがいつモルドヴァ地方へ流れていったのかは、他説がある。
敬虔なカトリック教徒の彼らは、宗教改革でプロテスタントに改宗されることを恐れ逃げたのか、
中世に長く戦火が激しかったため、兵役を逃れたセーケイ人がチャーンゴーになったという説もあるし、
もしかしたらそれ以上前にすでにモルドヴァ地方にチャーンゴーがいたという人もいる。

チャーンゴーと呼ばれるハンガリー語を母語とする民族が、
何百年も母国から離れて、時にハンガリー語を弾圧されながらも、
存在するということだけは事実である。
そして、90年代以降は、ハンガリー政府からの援助を受けて、
チャーンゴーが母国で知られることになり、ハンガリー語教育も受けられるようになった。
ただし、今でも教会のミサはルーマニア語、
学校教育もルーマニア語が強要されている。

私がモルドヴァの土地を踏んだのは、今から18年前のことである。
当時大学生だった私は、不思議な縁で
ハンガリー人写真家チョマ・ゲルゲイ氏と文通をするようになり、
初めてチャーンゴー人のことを知った。
チョマ氏は、社会主義時代の統制が厳しい時代から
モルドヴァのチャーンゴー人を取材し続け、時に牢獄に入れられ、
名前を変えたりしながらも、熱心に仕事を続けていた。
チャーンゴーのために、その生涯を捧げるほどの熱意を持っていた。

「神様の背の向こうへ連れて行ってあげるよ。」
まだハンガリー語の能力が乏しかった私に対して、
子どもに昔話を聞かせるようにチャーンゴーの話や民謡を聞かせてくれた。
2000年の春に初めてモルドヴァ旅行へ同行させてもらった。

ちょうどイースター休みだった。
ハンガリーから約20時間かけて、
電車を乗り継いで、クレージェにたどり着いた。
「日本人の顔をしたチャーンゴーがいる。」というので、訪ねると
遠く東からの客に喜んでくれて、
チャーンゴーの詩人ドゥマ・アンドラ―シュ氏は詩を作ってくれた。
ヨーロッパの中で、中央アジアに起源をもつハンガリー語を話す人々は、
一般にアジアに対してロマンを抱いている人が多い。
このルーマニア色の強い土地で、ハンガリー語を辛うじて話す人々は、
さらに遠くの同胞を欲しているのだろう。
チョマ氏のご婦人は日本語の研究者なので、
日本語とハンガリー語の共通点を興味をもって聞いていた。

クレージェからショモシュカへ丘を上がって行き、
ちょうど聖金曜日のミサへ参加してから、
夜更けにロウソクを手に、村はずれの十字架を巡礼した。

森を越えて、レケチン村へと向かった。
村はずれの最後の産婆さんの家で、機織りをする様子を見せてもらったのが印象に残っている。
おばさんは、美しい手織りの布を贈ってくれた。

不思議な縁で、1年間の留学期間で
私はモルドヴァを4度も訪問していた。
3度はチョマ氏に同行したのだが、
1度はクルージの大学の民俗学部からフィールドワークの一環として滞在した。
学生たちと村を歩いていて、
村人からルーマニア語で、
「ここはハンガリーではない!私たちはルーマニア人だ。」という意味の言葉を
投げかけられたこともあった。
ハンガリーとルーマニアの間で、自分たちの居場所が分からないチャンゴ―たち、
そうしたチャーンゴーというものに全く縛られず、
仕事を求めてヨーロッパを流浪するチャーンゴーたち、
祖先から受け継いだ言葉をひっそりと大切に守り続けるチャンゴーたち。

舅は、社会主義時代にチャーンゴーを研究する一人だった。
長い年月、モルドヴァの民謡を収集して、本を出版した。
1990年にローマ法王がブダペストでチャーンゴーたちと会見した時に、
その厚い本が贈られたという。
旦那は家族のように親しかったチャンゴー女性、ルーリンツ婦人ルツァおばあさんの話をよく聞かせてくれたが、チャーンゴーの村へ行こうとはしなかった。

時は流れて、2018年の夏。
今度は家族とともに、チャーンゴーの土地を再び踏んだ。

















comments(0)|trackback(0)|その他の地方の村|2018-08-17_14:55|page top

塩の水と塩の花

セークの夏の風物詩といえば、「塩の花」と呼ばれる花だろう。
7月から8月にかけて花ひらく、うす紫色の繊細な花である。
塩水を含む土壌にしか咲かないので、そう呼ばれるらしい。

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ハンガリー、ルーマニアにしかない種類ではあるが、
イソマツ科の花は世界中に見られる。
そのままでドライフラワーにもなるそうで、
村人たちは花束にして持って帰る。

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このやさしい、うす紫色の原っぱこそ、ここでは夏の色なのだ。
そよ風に吹かれて、広々とした原っぱを歩いているだけで、心が洗われるようだ。

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青空に、緑の丘、そしてうす紫の花。
村の周りは、夏の色で満ち満ちている。

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この塩の花が咲く原っぱのすぐそばに、村の有名な名所がある。
塩の天然浴場である。
セークの村の周辺にはいくつもの塩山があった。
その名残がこうした、塩の湧水や浴場に残っているのである。
話に聞いていたよりも、ずっと整備された村の浴場は、そばに更衣室までできている。

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海よりもずっと塩の濃度が濃いため、自然と体が浮かぶ。
新しい方の大きなプールは水が冷たく、古い方は温泉までとはいかないが温かい。
端の方は、虫がたくさん浮かんでいるが、それに目をつぶれば何ともない。

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親しくなった村の子供たちが、水たまりに足をつけていた。
「この泥は、肌にいいらしくて、
ペットボトルいっぱい持って帰る人もいるくらいだよ。」
なるほど、肌につけて洗い流すと、すべすべしている。
思い切ってぬかるみに足をつけ、体に塗りたくってみた。
かねてからセークの女性の肌が美しいと思っていたのが、その秘密がわかった気がした。

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村にはまだ鉱山の後があると聞いて、村の脇の丘を目指した。
ゆるやかな丘には、羊の群れも見られた。
丘を越えた向こうには、たくさんの池があるのだという。

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丘のてっぺんに、池があった。
雨水だが、底は深く、石だらけなので、あまり泳ぐのには適していない。

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もうすぐ日が暮れる。
丘に四方を包まれた村が、夕暮れ前の光に浮かんでいた。
上地区とチプケ(トゲ)地区、フォッロー(熱い)地区に分かれている。
豊かな自然に恵まれた村、セーク。
ため息をもって、改めて我が家のある村を眺めていた。

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comments(2)|trackback(0)|セーク村|2018-08-13_00:00|page top

セークの夏休み

7月の半ば、抜けるような青空を背に、 
太陽の光をいっぱいに集めたように黄色く輝くヒマワリ畑を目印にして、
私たちは1週間の夏休みを過ごすためにセークを目指した。
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セーケイ地方から車で約5時間ほどかかって、
村に着いたのは夕暮れ時だった。
さっそく芝生で5つ葉のクローバーを集めるのに夢中になったり、
目の前にある公園で村の子どもたちと知り合いになったりして、
セークでの日々がはじまった。

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澄んだ目をした少年が、さっと家に帰って、
たくさんの花の混ざった束を手にプレゼントをしてくれる。
朝目が覚めると、家主のおじさんがちぎりたてのキュウリを袋一杯おいてくれたのを
見つけて、まるでサンタクロースのプレゼントのように喜んだ。
名も知らない近所のおじいさんが、夏の青りんごを手に抱えきれないほど持ってきてくれた。

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水道もないので、水は通りの向こうから共同井戸で汲んで運ぶ。
ガスがないので、薪で料理をする。
洗濯機もないので、洋服はぜんぶ手洗いをする。
そんな不便さも感じさせないほど、村の生活は充実していた。

慣れない生活で、心の支えとなったのはエルジおばさん夫妻の存在だった。
いつでも温かく迎えてくれ、こちらが気を遣わないように自然に手を差し伸べてくれる。
「家で料理していきなさい。」とほとんどおばさんに教わりながら、
スープを作って我が家に運んだ。

おばさんは夏も冬も、手仕事で忙しい。
機織りのための糸を大きな筒に巻く。

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夏でも涼しい納屋はおばさんのアトリエ。
いつも機織りをする音が、トントンと心地よく響いてくる。

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おばさんの仕事の邪魔にならないようにと腰を下ろして、仕事の風景を眺める。
日銭を稼ぎに町へでるおばさんたちも多いのだが、
たとえ割には合わなくても、エルジおばさんは村に残る道を選んだ。
村の空気が、昔からつづけた手仕事が好きでたまらないのだ。

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マルトンおじさんは朝早くから暑い中、毎日畑仕事をする。
その合間に、おばさんの手伝いも欠かせない。
慣れた手つきで糸を巻くのに感心していると、
「うちの兄妹は男ばかりで、妹が生まれたのは15年たってからだったから、
よく母親の手伝いをしていたんだ。兄妹の世話をしたり、母親の手仕事の手伝いもしていたよ。」

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カラカラという音とともに、小さく切った葦の筒に赤と白の糸が巻かれていく。
機織りは織ることもさることながら、
下準備に大変手間暇がかかる。
あの美しい布は、おじいさんとおばあさんの仕事の結晶でもある。

szekinyar (4) 
セークの村は、60年代半ばにはじめて電気が引かれ、
アスファルトができたのもそう昔ではない。
閉ざされていた村が外へ開かれるとともに、
人びとの生活も価値観も大きく変わってしまった。
それでも、変わらない何かを頑なに信じる人がいる。
私たちはそういう人々に引力を感じて、ここに導かれたに違いない。

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家主のひとり、エルジおばさんはお針子さん。
結婚式のためのベストを作る様子を、見せてくれた。

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日曜日は、礼拝が2度ある。
ちょうど帰りのおばさんたちを呼び止めた。
セークの民は、落ち着いた色を好む。
白と黒の厳かな衣装が美しい。

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大きな村だが、新しい住人がきたのを村人たちも耳にしているようだ。
これからどんな出会いがあるか楽しみだ。

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comments(2)|trackback(0)|セーク村|2018-08-10_01:41|page top

運命の家

カロタセグの次に目指したのは、セーク。
ここでどうしても今見ておきたいものがあったからだ。
二日間の取材を終えて、村はずれにやってきた時だった。
ふと一軒の家が旦那の目にとまった。
村の遊具広場のちょうど前に、売り家と書いてある。

きっと、ハンガリーからの観光客が買うに違うない。
そう思わせる、美しい家だった。
中だけでも見てみようと旦那が誘い、
ご近所に尋ねてみると、
「ほら、あそこからやって来るのが持ち主よ。」
と好都合にも向こうからちょうどやってくるところだった。

黒い喪服姿のおばあさんは、
もうひとりの持ち主であるお姉さんに電話を呼び出して、
昨年まで母親が住んでいたという家に通してくれた。
ブドウの房が下がる、美しいベランダ。


セーク (1) 

吸い込まれるように中に入ると、
夏の空のように蒼い壁が出迎えてくれた。


セーク (9)


ロージおばさんとジュジおばさん。
ちいさな二人のおばあさんたちがおしゃべりをしているのを見ていると、
おとぎ話の森の小人の家に迷い込んできたようだ。

 
セーク (3) 

「他にも家具や絵皿などがあったのだけれど、
昨年の夏にセンテンドレの博物館員がきて、持って行ってしまったわ。」とおばさん。
手がつけられる前の内装は、どんなにか美しかったのだろう。
蒼い壁には絵付け皿が並び、
セーク独特のガラス絵が掛けられている。
赤がなんとも鮮やかに目に飛び込んでくる。


セーク (8) 

冬の生活には欠かせない、薪ストーブ。


セーク (7) 

セーク特有の黒い絵付けがほどこされた窓。
幸いにも、家に取り付けられてあるため、持っていかれなかったのだろう。
「盲目の窓」と呼ばれ、昔から大切な食料品をしまっておく
いわば冷蔵庫の代わりだったらしい。
長椅子は開くと、たくさんの衣装が入っていた。
目星いものはすべておばあさんたちが持っていったようで、
日常用のブラウスや布ばかりだ。


セーク (6) 

家の外には「夏のキッチン」と呼ばれる、小さな部屋がある。
薪で部屋を暖めないように、夏にはここで料理をする。
まだ生活の匂いが漂っている。


セーク (4) 

何度か旦那が「どう思う?」と小声で尋ねてきた。
非のつけ所が見つからなかった。
ひとつ気になるのは、木造ではなく、土を固めて作っただけの壁が
どれだけ冬の寒さに耐えられるかというところだろうか。
観光シーズンが始まれば、人の目にもつくだろう。
1も2もなく、ロージおばさんの家でサインをしていた。
そして、カロタセグの家のために持ってきた前金を渡していた。


セーク (2) 

ピンクのバラが花咲く家から、おばさんたちが「売り家」と書かれた紙を取り去った。
まるで狐につままれたかのような不思議な気持ちで、
セークの村からセーケイ地方へと向かっていた。



comments(4)|trackback(0)|セーク村|2018-07-23_15:09|page top

カティおばあちゃんの思い出の家

カロタセグのバラ、
カティおばあちゃんが亡くなって半年が過ぎた。

生前、おばあちゃんに一軒の家を見せてもらったことがある。
ちいさな村の大通りからさらに小道に入った、
丘を背にして、大きなクルミの木ののかげに隠れるようにして立つ古い家だ。
おばあちゃんは、杖をつきゆっくりと歩きながら言った。
「ここは、わたしのおばさんから相続したのよ。」


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築100年を超える家は、おばあちゃんの生まれた家だった。
倒れかかったちいさな戸を押して、家の中に入る。


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薄暗く埃をかぶった中に見えるのは、機織り機。


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驚くことに、その織り機には作りかけの手織り布が張ってあった。
昔の住人がそのまま、住んでいた跡をしっかりと残していたのだった。


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丘には穴があいていて、地下室になっている。
「そこから上に上ることができるの。」
私たちは、草の茂った丘の斜面をどうにかして上り、
その上にも土地が広く続いていること、
そして村を見下ろす美しい景色を驚きをもって眺めていた。
「ここが、村で一番美しい家にちがいない。」

おばあちゃんは、10年以上売りに出しているということ、
私たちが買ってくれたら嬉しいと告げた。
しかし、その値段を聞くと手が届かないと思い、諦めた。

この3月に、カティおばあちゃんのお嫁さんを訪ねたとき、
あの家を売りたいと持ちかけられた。
値段はおばあちゃんが生前告げた金額より大分安かった。
「おばあちゃんは、土地の値段がよくわかっていなかったのよ。
あなたたちの手に渡れば、おばあちゃんも喜ぶに違いないわ。」
わたしの手を握って、そういうおばさんの目を見て、心が震えた。

あの古い家と納屋をどうしたらいいかと、旦那と相談した。
古い家を買うというのは、責任がある。
これまでの朽ちたままにしておいたら、もう家は使い物にならないだろう。
納屋を改築して住まいにして、古い家は直せるだけ直して、
そのままに残しておこう。そう結論を出した。

おばあちゃんが亡くなって半年の間は、登記が無料だというので、
それまでに売りたいとのことだった。
6月のはじめ、私たちは前金をもってカロタセグの村を訪れた。
カロタセグに住む友人に一度家を見てもらおう、
旦那と相談して、電話をかけた。
その翌日には前金を渡して、登記をしに役所へいく予定になっていた。

友人たちが家族と一緒に、遠くから車で駆けつけてくれた。
草の生い茂った庭を歩き、
朽ちた門をひらいて、中へと入る。
その頃には、半分は自分の家のような気分がしていた。
「ほら、ここに織り機があって、
村一番の美しい手仕事を作るおばあさんが住んでいたのよ。」

バーバおばあさんという名で村人に親しまれていたおばあさんは、
子どもがなく、カティおばあちゃんを我が子のように愛していた。
カティおばあちゃんは、バーバおばあさんの作った手仕事も受け継ぎ、
ナーダシュ地方で最も美しい飾りベットは、
その人の手によるものだったのだ。
亡くなる前にも手を動かして、ちいさなレースを編んでいた。
カティおばあちゃんは、おばさんの家へ足繁く通ったにちがいない。
彼女の思い出の詰まった家だったからこそ、
どうしても自分の手で守りたかったのだ。

家を丁寧に見て回ったあと、友人はこういった。
「正直に言うけれど、この家は上半分はもう使い物にならないよ。
これを修復して直そうとしたら、相当の金額になるだろう。」
自宅を修復した友人によると、
家族が加勢したにもかかわらず家や土地の倍ほどの金額がかかったという。
それでも、この家ほど傷んでいなかった。

40を超えた今、家建設という大きな事業に首を突っ込むことはできないと思った。
見通しのきかない莫大な経費、そして労力。
現実の壁にぶつかり、長い夢から覚めたように
その日の夜、この家を買うことはできないと告げたのだった。

カティおばあちゃんは、この家を本当は売り渡したくなかったのだと思う。
小さい頃の思い出の家が他人の手に渡り、
見る影もなく変わっていくのを見たくなかったのだ。
あの古い家の中で機織りを織り、
白い布に美しい刺繍を施して暮らしていたバーバおばさんの面影は、
確かにしっかりと私の記憶の中に刻み込まれていた。


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comments(2)|trackback(0)|カロタセグ地方の村|2018-06-22_00:00|page top

初夏の花畑

一日をもてあまし、夕方ころ散歩へと旦那を誘った。 
濃い青空に入道雲、そして灼熱の太陽。 
梅雨のないトランシルヴァニアでは、 夏がやってくるのが早い。
 5月終わりは、もう初夏といってもいい。 
 そして、この頃が最も美しく大地がかがやく季節である。 
トーンの異なる緑の中に、 色とりどりの無数の野の花が混ざり合って、
なんとも形容できない微妙な色彩を作るのだ。 
トランシルヴァニアは、まさに緑の王国である。
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家から徒歩10分でたどり着く、大自然。
町外れの丘をくだり、さらに丘を登ると、
そこは馬が放牧してあり、野生の野の花が咲き乱れ、
文字通り手つかずの自然が広がっている。


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遠くから見ると赤茶色に見えたのは、野生のタイム。
紫がかったピンク色のちいさな花々は、目を楽しませるばかりではない。
甘くさわやかな香りが、そこにいるだけで極上の気持ちにさせてくれる。


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野生のタイムは、乾燥させてハーブティーにする。
緑のない長い冬の間に、夏を忍ばせてくれる。
まさに、トランシルヴァニアの初夏の味だ。

旦那と子どもたちが花摘みをしてくれる間に、
家から持ち寄った刺繍をする。
遠くを見渡す眺めと、極上の花畑と、さわやかな空気。
心落ちつく、幸せな時間。


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長男と遊び疲れた次男は、原っぱに寝そべっている。
指に草を巻いてもらい、心地よさそう。


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花摘みを終え、しばらく姿を消していた旦那が、
手にいっぱいのちいさな野いちごを見せた。
すると、今度は野いちご積みのはじまり。


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野いちごは日当たりのいい丘の斜面を好む。
子供の指の先くらいのちいさなイチゴだが、
口にふくむと甘酸っぱい味と香りでいっぱいになる。
ちいさな赤い顔を大地に向けているので、
草むらの中で探すのは、容易ではない。
なおさら宝探しのようで、夢中にさせてくれるのだ。


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まだ見つけられない次男の口に放ってやると、
すぐに「まだ、ちょうだい。」という。
お腹いっぱいになるのは難しいが、
甘くさわやかな味わいは、くせになる。

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気がつくと、日が暮れかかっていた。
日差しが弱まる夏の夕方は、ぐっと気温が下がって心地よい。
草の匂いと日没前の光に包まれて、これからはじまる長い夏を想った。


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comments(6)|trackback(0)|自然、動物|2018-06-17_14:42|page top

旅の終わりに

帰りのバスがないと聞いてから、あれこれ考えていたが、
結局は運命にゆだねることにした。
幸いにも、ちょうど信仰告白式の日なので
もしかしたら、帰りのお客がいるかもしれない。

6時過ぎ、大通りに向かって坂を上り、
エルジおばさんが見送りがてら、
車が通り過ぎるたびに手招きをするしぐさをした。
10分、20分が過ぎた。
そろそろ、立ちっぱなしのおばさんに申し訳なくなってきた。
「何を言っているの。私に時間がないと思うの。」
いつもの口癖で「怒るわよ。」とおばさんが言う。

車が何台も過ぎたが、一向に止まってくれる気配がない。
今の若い人たちは村の中を歩かないから、
誰が誰なのかわからない、とおばさんが言っていた。
服装だけでなく、その精神も同じように変わってしまったのだ。

最悪の場合は、おばさんの家でもう一泊させてもらおう。
諦めかけた頃、一台の車がスピードを緩めてきた。
「町へいくのよ。乗せてくれませんか?」とおばさん。
「どこの町へ?」と運転手が尋ねるので、
すかさず町の名前を言った。
「お乗りなさい。」とその声の持ち主が手を振った。

お世話になったエルジおばさんに、キスをして別れた。
そういう気持ちのゆとりがあったのも、
どうやら運転手は聖職者らしいことがわかったからだ。

娘とふたりで車に乗り込むと、
助手席と後ろにも同乗者がいた。
「どこまで行くんですか?」と薄茶色の長い衣装をまとった運転席の男性が聞いた。
年の頃は40~50くらいだろうか、半分くらい白髪に染まっている。
セーケイ地方の町の名前を言い、
そこで10年暮らしていること、
日本の大学でハンガリー語を学び、
トランシルヴァニアに導かれてきたことを話した。

すると、その人は声をひそめ、いたずらっぽい目を向けてこう言った。
「あなたは、奇跡の虫だ。」
聖職者という神秘のヴェールを纏った人かと思えば、
思いもよらない言葉に、吹き出してしまった。

どこかで見た姿だと思いながら、質問をした。
「あなたは、牧師さんですか?」
「いいや、クルージのフランシスコ会の修道僧だよ。ティビ・ブラザーだ。」
と手を差し伸べて握手をした。
そういえば3年ほど前に、フランシスコ会の教会へ行ったことがあった。
かつて日本語を教えていた生徒が宗教の道に進み、
夜通しの静かなコンサートをしていたのが、このフランシスコ会の教会だったことに気がついた。

「私はナジセントミクロ―シュの出身だ。
バルトークの生まれ故郷だよ。」
「最近に出会った、2人目の外国人だよ。
ひとりはブルガリア人で、南部のバナート地方に村があって、
ブルガリアから追われてきたカトリック教徒たちが暮らしている。
彼らは、金で縁取られた素晴らしい衣装を受け継いでいて、
家の中にはそれは美しい祭壇があって・・・。」
話すこと全てに興味ひかれ、
聞き逃さないように耳をそばだてていた。
むかし学生時代の頃に出会ったルーマニアの大学生のような、
知性と機知の混ざりあった、独特の口調だ。
「いつかクルージに寄った時は、私を訪ねなさい。」

手には娘の分と合わせた乗車賃を握りしめていた。
ルーマニアのヒッチハイクの原則で、運転手にお礼をすることになっている。
相手に失礼のないように、
「こういう時、どのようにすればいいのかわからないのですが・・。
どうか教会への寄付にしてください。」とお金を差し出したのだが、
「電車代に取っておきなさい。」と返ってきた。

礼を言って車を降りると、
娘とふたり、喜び勇んで線路にまたがる歩道橋を駆け上がっていった。
少し前までは、先行きのわからない不安でいっぱいだったのが、
今こうしてレールの上に敷かれた帰り道を辿っているのが奇跡のようだ。
旅とは未知の世界への扉を開くこと、
その醍醐味は未知の人々と出会うことにあるのだ。
旅はこれだから、止められない。
また娘と二人旅をする日がやってくるような気がしてならない。















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