トランシルヴァニアへの扉 - Erdely kapuja-

古きよきヨーロッパの面影を残す、トランシルヴァニアへの扉をそっと開いてみませんか?

::自己紹介::

谷崎 聖子

Author:谷崎 聖子
1978年宮﨑生まれ。
大阪外大、ハンガリー語学科卒業。
ブダペスト大学で民俗学を専攻。
ルーマニア、トランシルヴァニア地方のフォークロアに惹かれて、セーケイ地方に移住、結婚。
三人の子育て中。

伝統手芸研究家。
トランシルヴァニアの文化、手しごとを広める活動をしています。主な著書「トランシルヴァニアの伝統刺繍 イーラーショシュ」、「カロタセグのきらめく伝統刺繍」。

東欧雑貨ICIRI PICIRIFOLK ART Transylvaniaのオーナー。

詳しくは、森の彼方-トランシルヴァニアへの扉をご覧ください。

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トランシルヴァニアへの扉  - Erdely kapuja-のRSSフィード

ブログ翻訳

「トランシルヴァニアの農村の暮らしと手仕事~伝統刺繍イーラーショシュ体験~」

ふるさと宮崎にて国際交流の一貫として、講座を開催します。

トランシルヴァニアの農村の生活について、
主に伝統の手仕事について現地の写真みながら解説いたします。
またイーラーショシュのオーナメントをお作りいただけます。

皆さまのご参加をお待ち申し上げています。

kalotaszeg17.jpg

第1回 国際理解講座 ~身近に世界を感じてみよう~

ルーマニア編 「トランシルヴァニアの農村の暮らしと手仕事~伝統刺繍イーラーショシュ体験~」

◇日 時 平成28年7月2 日(土)14:00~15:30 ※13:45から受付を始めます。

◇場 所 カリーノ宮崎 9階(予定)
  詳しくは、宮崎県国際交流協会HPにて


comments(0)|trackback(0)|トランシルヴァニア食文化|2016-04-20_21:22|page top

6月の講習会のお知らせ

ルーマニア西部カロタセグ地方村々では、
古くから手仕事の文化が生活に根ざしてきました。
冬の農閑期がくると、女性たちは集まって糸を紡ぎ、刺繍をして長い夜をすごしました。

19世紀末にはヨーロッパ中を風靡した、
カットワーク、イーラーショシュのベッドカバーに枕カバー。
鮮やかな色と柄が織り成す民俗衣装。
現代では「清潔の部屋」と呼ばれる一室に大切に保管されています。
カロタセグ地方の伝統刺繍の世界を、現地で取材した写真とともにご紹介します。

IMG_8641.jpg


また、カロタセグを代表する刺繍、イーラーショシュも体験していただけます。
今回は、木の枝をくわえたクジャクとチューリップの花がオーバル型にデザインされた
ロングクロスをいっしょに作りましょう。

IMG_3413.jpg


「トランシルヴァニアの伝統手芸 イーラーショシュ体験」講習会

とき: 2016年6月18日(土)10:00~12:00

ところ: 朝日カルチャーセンター新宿校
 
詳しくはこちらまで。

head_logo.png


*おかげさまで満席になりました。
たくさんのお申し込みをどうもありがとうございます。
大阪NHKカルチャー梅田校にて
7/24(日)13:00~15:00に開催予定もございますので、次の募集をお待ちくださいませ。


*こちらの講座は定員を10人増やして、再募集しています。
詳しくはこちらまで。


*定員に近づきましたので、HP上のお申し込みは受け付けていないようですが、
まだわずかな人数を受け入れる可能性がございます。
お席の状況やキャンセル待ちについては
03-3344-1946までお問い合わせくださいませ。(4/18)
comments(8)|trackback(0)|その他|2016-03-18_17:22|page top

二月の小春日和

今年の冬はどうかしている。
12月まで雪がまったく降らず、
お正月休みが明けると一気に極寒の日々がやってきた。
まとまった雪が降ったのは、一度か二度。
そうして、2月だというのに
うららかな陽気に小鳥がさえずり、
木の芽は膨らんで、今にも緑がほころびそうだ。

tavaszias (3)

私たちの住む町は小さくて、
思い立ったらすぐに森へ出かけることができる。
松林のはずれの、町を一望できる崖がお気に入りの場所だ。

tavaszias (7)

崖の下は10M以上あるのに、柵はおろか「危険」の立て札も何もない。
日本ならば、立ち入り禁止になってもおかしくないだろう。
お転婆盛りの2歳半の娘からは、目を離すことができない。

この小高い丘は、昔は石器時代の居住区だったそうだ。
何気なく足元に広がる落ちくぼんだ穴を、
少し掘ってみると、土器のかけらなどが見つかる。
旦那の考古学熱が長男にも移り、娘も穴掘り遊びに夢中になっている。

tavaszias (6)

9月の終わりに生まれた次男は、ほとんど太陽の光を浴びていない。
この暖かな光をいっぱいに吸収すれば、
春の草花のように大きくなってくれそうだ。

tavaszias (8)

次男を置いて軽くなった体で、あたりを散策する。
雪解けの水のあとから生まれた、苔の鮮やかなこと。

tavaszias (9)

崖の淵の枝を見ると、
まるでウサギの尾のような、白く愛らしいつぼみが付いている。
ネコヤナギの枝は、春の象徴でもある。

tavaszias (1)

春の兆しは、知らないうちにあちこちに目覚めている。
コンクリートに囲まれて過ごした数か月。
私たちは、身も心もカチカチになってしまったのではないか。
美しい自然と新鮮な空気を吸って、息を吹き返したような気がする。

tavaszias (2)

12時の鐘の音もとうに鳴り、お腹が空いてきた。
ボールをけりながら、ゆっくりと元の道を歩いていく。

高い高い松の木々を見上げながら、思う。
今から100年前の人々が、子孫のためにと植林した、この美しい松林。
これから生まれてくる人たちのために、私たちは何を遺すことができるだろう。

tavaszias (4)
comments(4)|trackback(0)|自然、動物|2016-02-15_05:43|page top

セーケイ地方の謝肉祭


クリスマスに大晦日、正月を終えて
寒さはますます厳しくなる。
二月の半ば、
うんざりするような長い長い冬の終わりに、
その祭りはやってくる。

仮装をしたセーケイの花嫁と花婿。
馬にまたがり、鮮やかな花の花輪やリボン飾りがはためく。
晴れ晴れしいその姿は、むかしの結婚式を彷彿させる。
管楽器の賑やかな音色にあわせて、
私たちも行列に混ざって、歩き出す。

boloni farsang (6)


boloni farsang (5)

行列の終わりに、馬車に引かれていく男女。
アダムとイブと書かれた藁人形。
彼らはいわば祭りの犠牲となり、
その死によって私たちは冬と決別することができる。

boloni farsang

5時間以上かけて、村の通りという通りを歩きつくす。
そして最後に、広場で藁人形に火をつける。
めらめらと燃えさかる炎を囲んで、
踊り歓喜する人々。
ファルシャングの埋葬とも言われるように、
冬という邪を焼き払うことが醍醐味である。

boloni farsang (7)

かじかんだ足も凍えた体も、
祭りの熱狂を浴びて、体の芯が燃えるように熱くなる。
こうして春に向けて、一歩近づいていく。



1月の終わりに、悲しい報せを聞いた。
去年につづき、今年もこの行事が行われないという決定が下されたのだ。
何故だろうと問いてみると、
まず参加者がすくないということ。
そして、昨年末に首都ブカレストで起きた
ナイトバーの大火災を受けて、規制が厳しくなったということ。
消防署の許可なしに、祭りのあとのパーティが行うことができないためだという。

いつか祭りで村人から耳にしたのは、
参加者の家族が行列にお菓子や飲み物を振る舞い、
お金がかかるという不満だった。

金銭的な理由も、法的な規制の厳しさもあるだろうが、
一番悲しいのは、村の共同体の意味が希薄になっているということ。
人々の興味関心が外ではなく、内に向かっているのではないか。

5年前にファルシャングを見た後に、
「いつか参加したいか。」と尋ねたことが思い出される。
大きくうなずいた少年の表情を思い、
いつか近い将来にきっと開催されることを信じている。


冬の埋葬-2011年ファルシャング(謝肉祭)
トランシルヴァニアの謝肉祭(カーニバル)
comments(4)|trackback(0)|イベント|2016-02-06_06:47|page top

大みそかと虹色の紙

駆け足で過ぎていった年の暮れ。
大みそかの日の朝は晴れだった。
ぎりぎりまで悩んだ末に、3か月になったばかりの次男を抱いて
車に乗り込んだ。
私たちの乗った車は、雪の凍るカルパチア山脈を超えて、
はるかモルドヴァ地方をめざしていく。

大みそかにクマやヤギや、仮装をした人々が
大騒ぎをしながら練り歩く。
天を突くような激しい太鼓の音や、ホイッスルのリズム、
汗をかきかきクマの皮をかぶって踊り狂う人々。
それは、まさに年忘れというのにふさわしい。
ひっそりと静かな年の終わりに、何か刺激を受けたくて
ここまではるばるやってきたのだ。

氷点下の張り詰めた空気の中で、
大きな虹色の飾りが目にとまった。

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二頭の牛が鮮やかな飾りをまとう姿は、
はるか昔の結婚式の行列の習慣を再現してるようだ。

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後ろには大きなモミの木をひいている。
雷のように切った紙の飾りは、まるで七夕のよう。

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「似たような習慣がどこにでもあるものだね。」
旦那の言葉でふと気が付いた。
この紙はむしろ御幣に似ている。
とすれば、この木は門松なのかもしれない。

年神が天から降りてくるための依代。
彼らはそれを引いて、町中を周り、
人々に新年の幸運を振りまいてゆくのだ。

ひとりの人が息子を呼び寄せて、
何かを話している。
モミの木から枝を切って、
白と青、黄色の飾りのついたものを手渡した。

新しい年を、皆が健やかに
平穏に過ごすことができますように。
めでたい飾りを車にのせて、
私たちはまた山脈を引き返していった。
comments(2)|trackback(0)|イベント|2016-01-04_06:03|page top

燃える秋の色

一年のうちでどの季節が好きかと尋ねられると、
いつからか「秋」と答えるようになった。
ここで生活をはじめて、トランシルヴァニアの秋の色に惹かれたからか、
それとも、ただ単に歳をとったからなのか。

長く厳しい冬がやってくる前に、
ありったけの力をふりしぼり、見事な色を咲かせようとする。
春のような可憐さ、華やかさはないが、
円熟した力強い色の混ざり合いが好きだ。

町を過ぎると、まばゆいばかりの黄色いトンネルが広がっていた。
羊の放牧がみられる原っぱを通ると、そこはもう森の入り口。
ひんやりと澄んだ空気の中に、あたたかな色が浮かび上がる。

osz (3)

茶色い落ち葉の中には、
ちいさな紫の花がひっそりとささやくように咲いていた。
ほっそりと透きとおった体は、森の妖精そのもの。
こちらの人々は愛情をこめて、「秋ちゃん」と呼んでいるが、
本当の名前はイヌサフラン。
可憐な姿形をしているのに、実は毒をもっているらしい。

osz (2)

落ち葉を踏みながら丘をのぼってゆくと、
だんだん体が温まってくるようだ。
そこで私たちを待っていたのは、
燃えるようにはじける色、色、色・・・。
赤やオレンジ、茶色に、黄色、そして緑。
「秋の自然は、素晴らしいな。色で遊んでいる。」
と誰かが言ったのを思い出していた。

osz (5)

大地に腰を下ろして、
お包みでぐるぐる巻きにした末っ子に乳をやる。
子どもたちは落ち葉を集めた中に寝そべって
すっかり体を隠してしまったり、
木の枝でちゃんばら遊びをしたりしている。

osz (8)

11月の太陽は思っていたよりも暖かくて、
ちいさな息子を大地に寝かせてみた。
芝生の緑に、落ち葉の茶色。
これから大地は、冷たい雪に覆われてしまうのだ。

osz (9)

反対の側を振り向くと、大きな木に目を奪われた。
ひとつの木に、さまざまな季節が混在している。
いつか、友人がこう話した。
「10月って素晴らしいわ。
朝は春のようだし、昼間は夏のよう、夕方にはすっかり秋になる。」

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木の下には、落ち葉が影を落としている。
それも、木によって色も変わるのだ。
さあ大地に横たわって、
枯れ葉の色と音を楽しんでみよう。

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ほら、秋って素晴らしい。

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comments(4)|trackback(0)|自然、動物|2015-11-29_22:11|page top

秋の夜とかぼちゃのランプ

子どもは、知らず知らずのうちに親の手を離れていくものかもしれない。

長男は家で過ごすより学校の時間が長くなり、
帰ってきても近所の友達の呼びかけで外に出ることが多くなった。
暗くなってもなかなか帰ってこないので、
散歩がてら下の子ふたりを連れて表に出ることにした。

アパートの扉を開けてみると、
10月とは思えないほどの暖かな空気が体を包み込んだ。
夕暮れどきの道を歩いて、公園の方に向かって歩いていくと、
どこからともなく賑やかな子どもたちの笑い声が聞こえてくる。

7,8人くらいの子どものグループがアパートの下の芝生に輪になって腰かけて、
楽しそうに遊んでいた。
子供の頃に遊んだ、ハンカチ落としの遊びに似ているようだ。
一人の子どもが輪の外を回りながら、ふと誰かの方をたたき、
たたかれた子どもがその子を追いかけ捕まえる。
無邪気に笑い戯れる長男を見ていると、あたかも幼稚園時代に戻ったかのようだった。
同い年の11歳の子もいれば、中には幼稚園生くらいのちいさな子までいる。

まるで夏の夜の、それも町ではなく、
どこかの村で過ごす夏休みのような夜だった。
すでに日は沈み、もうすぐ夕闇が迫ってくるのだが、
その姿をいつまでも見ていたい気持ちでいた。
すると、隣で旦那がつぶやいた。
「かぼちゃを持ってきて、ここでランプを作ろうか。」

子どもたちに提案をしてみると、
案の定、飛び上がらんばかりに喜んだ。
アパートに走って、旦那が8キロくらいはある大きなかぼちゃと
ナイフ、マッチとロウソクを持ってくる。
かぼちゃの頭のところを切って、
「種を取るのを手伝ってくれる?」と聞くと、
みんなが嫌な顔ひとつせず手を突っこんで、種をかき出してくれる。

今度は、「誰か、顔を彫りたい人いる?」というと、
一斉に手をあげて、「私は目!」、「僕は鼻!」と主張する。
よく考えてみると、かぼちゃが予想以上に硬かったので
子供の手にナイフを渡すことをためらった。
旦那が器用に、三角形の目と鼻、
ギザギザに長くのびた口をナイフで切り抜くのを皆でじっと眺めていた。

いよいよ、なかにロウソクを入れる時がきた。
群青色の闇に包まれ、アパートの周りはすでに電灯が点っていた。
かぼちゃの顔に明かりが灯ると、
子供たちの間からどっと歓声がわき起こった。
町の明かりの中では、そんなに明るい光ではない。
それでも、目や鼻、口からこぼれ出るオレンジ色の明かりを眺めていると、
秋の夜にふさわしい情緒を感じられる。

しばらくの間、その明かりに吸い寄せられるように眺めてから、
私たちは解散した。
自分の子どもが幼いこと、無邪気なことに安心し、
そしてこれほど誇らしいと思ったことはなかった。

無理して肩肘はって、大人にならなくていい。
今のうちに、子どもでいることを存分に楽しんでほしい。
大人にならなければならない時は、すぐにやってくるのだから。




comments(4)|trackback(0)|ルーマニアの育児|2015-11-09_06:07|page top

秋分の産声

これだけ、ある時を待ちわびたことがあっただろうか。
赤ちゃんの生まれるはずだった日から、すでに一週間を過ぎていた。

体もそろそろ限界という時、やっと出産の兆しが現れた。
はじめは、腰のあたりからまるで水がにじむように
じんわりと広がっていく痛み。
それは、不思議と心地よいものだった。
それから、痛みの波は強くなったり弱くなったりしているうちに、
いつしか日が暮れてしまった。

娘を寝かしつけて、一緒に眠ってしまったらしい。
深夜に目を覚まして、いよいよ陣痛が本格的になってくるのが感じられた。
我が家からほど近い県立病院へと駆けつける。

日付は次の日へとかわり、
夜から明け方に近づくころ、息子が誕生した。
出産の壮絶な苦しみの中で、
息子が生まれる瞬間に泣き声がしないのに気が付いた。
その小さな体は紫色に染まり、
透明の太いゴム管のようなものが首に巻き付いているのを見た。
祈る思いで横目で見守る私の前に、
酸素マスクがかけられ、ようやく産声を聞くことができた。
9月23日、秋分の日の早朝だった。

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分娩室のすぐ脇のベッドに横たわり、
待てども待てども赤ちゃんを連れてきてもらえない。
しびれを切らして、何度ともなく尋ねたが、
「ベッドに空きがないから、しばらく待つように。」という返事が返ってくるばかりだった。
息子が誕生して、8時間後、
やっと私は再会することができた。

秋のはじまりに生まれてきた息子。
名前は、瑞生(みずき)。
生まれたままのような心で、
瑞々しく生きていくようにと願いを込めた。

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病院で出会った女性がこういった。
「4歳の娘がいて、兄弟がほしいとは思うのだけれど、
もう二回も流産をしてしまった。だから、子どもを授かる自信がないわ。」
もし命が誕生していたら、我が家と同じ三人の子どもがいるはずだっただろう。
彼女は日々、新生児と母親に関わりながら仕事をしている。

隣のベッドにいた女性は、
生後10日の赤ちゃんをまだその腕に抱くことができなかった。
生まれてすぐに喉に膿があることがわかり、
人工呼吸器のある部屋から出ることができないらしい。
昼も夜も、母乳を絞りつづけ、
か弱いわが子に飲ませようと部屋に運んでいる。

子どもが生まれてくること、
健康であることの有難さをこれほど強く感じたことはない入院生活だった。


女性は出産をするたびに、生まれ変われるものだと信じている。
10日間を経て、秋の美しい日の夕方にはじめて外に出た。
オレンジ色に染まる太陽のまぶしさ、自然の色彩の鮮やかさ、そして空気のやわらかさ。
私をとりまく環境の、普段は気がつかなかった美しさを
はじめてのもののように触れ、感じることができた。

mizuki (1)

遠いところから、誰かが誕生を心待ちにしてくれるということ。
三人の孫のことを想い、
猛暑の日々の中で必死に手を動かし、完成したお包み。
その鮮やかな色合いと針目のひとつひとつが、
おそらく生涯で最後となる、出産という大仕事をおえた私を祝福してくれた。

comments(12)|trackback(0)|ルーマニアの育児|2015-10-02_16:16|page top

夏のある一日

冬は寒さの厳しいここトランシルヴァニアにも、
猛暑の日々は訪れる。
連日30度を超える日々が続いても、
子供たちは遊びたい誘惑を抑えることができない。

コンクリートの立ち並ぶ町よりも、
自然に囲まれた村で過ごすのがずっと快適である。
この夏は、村の友人宅に何度もお世話になって避暑させてもらった。

子供たちは家庭用プールで水浴びをするのが日課だった。
11歳の少年ふたりと、2歳になったばかりの幼児がふたり。
こんなに年の離れた兄妹でも、
いっしょに遊べば年齢の差も気にならない。
にぎやかな笑い声、叫び声が庭にこだまする。

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しばらく水で遊んだ後は、日向ぼっこ。

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こうしている内に、お向かいの子どもたちも遊びに来た。
子供たちはさっさと着ているものを脱いで、裸になって泳ぎはじめる。
家庭用プールの水があふれんばかりに、沢山の子どもたちがはしゃぎだす。

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遊んだ後の楽しみは、井戸水で冷たく冷やしたスイカ。

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紫外線が強くなる正午から4時までの間は、ひたすら家の中にこもる。
ふつう家庭には扇風機もクーラーもないが、
朝の冷たい空気をいっぱいに取り入れたあとは、
窓をしっかりと閉じて過ごす。
昼ごはんに、子どもたちの昼寝の時間。
そうして目が覚めた頃には、日が傾き、
ふたたび快適な時間帯がやってくるのだ。

母親が仕事をしている脇で、子どもたちが瓦礫に腰かけている。

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大きなリンゴの木が影を作る裏庭。
工事現場の殺風景な中でも、子どもたちは遊ぶことを忘れない。
裸足で土を踏んであちらこちらへと走り回っている。
もう庭のリンゴも実が大きく膨らんできた。

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ほとんどお互いに興味を示さなかった1歳児の頃とは違い、
2歳になると同じ年頃の子どもに興味を示すようになる。
幼なじみの二人がやっと一緒に遊ぶようになった。
良いことも悪いことも、お互いから学ぶことが多い。

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夕方日が暮れる頃になると、
きまって通りからカラカラと鈴の音が聞こえてくる。
村の牛たちが原っぱから帰ってくる時間だ。
この時間に、村人たちは夕涼みを兼ねて門の外でこの行列を眺めていることが多い。

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一日中夏の日差しをあび、自然の中で育った新鮮な草を食んだ牛たち。
甘くて濃い、ルーマニアの村の牛乳は超一品である。

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気がつけば、小さな通りは牛でいっぱいになった。
そろそろ夏の一日が終わろうとしている。

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ふたたび静けさの戻った通りに、子どもたちが繰り出す。
あたかも夏の一日を惜しむかのように、
暗くなる最後の時まで遊びつくす。

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山の向こうに、夕日が沈んでゆく。
子どもたちの手をひいて、家にかえろう。

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Theme:海外の子育て
Genre:海外情報

comments(6)|trackback(0)|セーケイ地方の村|2015-08-15_13:54|page top

6月の麦畑

ブラショフからの帰り道、
あまりの見事な風景にあっと声をあげて、車を止めてもらった。
一面の麦畑の中に、目の覚めるほどの真っ赤なポピーの花が一瞬目に映ったからだ。

あぜ道に車を置いて、
その風景をひと目見ようと国道沿いを歩いていく。
道すがら、すでに娘は真っ赤な妖精のような花を一輪つんでいた。

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ここは、セーケイ地方とザクセン地方との境。
あの丘のふもとには、セーケイの青い教会が見事な小さな村がある。

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ここではどこにでも見られる、自然に生まれた花畑の見事さにかなうものはない。
カモミールが涼しげな白色と太陽のしずくのような黄色、
そして爽やかな香りをこちらに投げかけている。

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子どもたちが大きな葉っぱを見つけた。
2歳の娘の背中にのせると、まるで蓑のようだ。

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目の前に広がる、果てしない黄金色の海。
その向こうに、誰が植えたのでもなく自然に赤い花が群生している。
誰かに見てもらうのをただ待っているという訳でもなく。

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胸まである麦の穂に遮られて、先へ進めない。
できることなら、この黄金色の海を泳ぐようにしてどこまでも進みたい。

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夏に咲く野の花で、これほど鮮やかに目を惹きつける花はない。
シフォンのようなやわらかな花びらも、
貴婦人のスカートのようなその姿形も・・。

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その時そよ風が吹いて、音をたてて麦畑がそよいだ。
青々とした麦色の中で朱赤の妖精たちが舞っていた。

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初夏の一日を鮮やかに染め上げる麦畑の風景を目に焼き付けて、
この一本道をどこまでも歩いていこう。
永遠につづくかのような夏の日々も、やがて緑を枯れつくし、
いつか終わりがやってくる。

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comments(4)|trackback(0)|自然、動物|2015-08-06_21:49|page top

聖アンナ湖と炭酸水の湧く泉

ここセーケイ地方の人々が誇る場所がある。
それは、ハルギタ県とコヴァスナ県のちょうど境に位置する、森深い山の中。
聖アンナ湖である。

海が遠いこの地では水が珍しいから、と言えばそうかもしれない。
今でもクマや野生動物が多く生息するという森深いこの地は、どこか神秘的なものを感じさせる。
このような話も耳にした。
19世紀のハンガリーの作家も多く、
ハンガリーの異教徒時代の神聖な場所がここにあったと信じていたらしい。
Balvanyosという地名も、異教の神像を表すBalvanyを連想させるからであろう。

森の中へと右往左往と車がさまよいながら進み、Balvanyosについた。
長いドライブで娘が眠ってしまったので、私は留守番をすることにした。
旦那たちは、「硫黄の洞窟」と呼ばれる場所を見に行った。
若いころに一度行ったことがあるが、
硫黄が噴き出る小さな洞窟で腰までつかると治療作用があるということだった。

森の中を歩いていると、大きなフクロウに出会った。
しかし、それは動かない。
大きな翼を広く横たえたままのフクロウは、
もしかしたら硫黄のガスを吸ってしまったのかもしれない。

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まだ生きているかのように綺麗な翼を、そっと持ち上げてみる。
岩の上で、あたかも大空を羽ばたく夢を見て眠っているかのようだ。

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娘が目覚めたので、今度は下り道を歩いて炭酸水の浴場のある場所へ。
ちょっとしたハイキング気分で太陽の下を歩くと、
先ほどまで肌寒かったのが一転して汗ばむ陽気になる。

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人一人いない静かな場所に、いくつか水がたまっているだけ。
その一つ一つは色が違い、後から後から泡が噴出している。
白く濁っているのは、どんな成分が入っているのだろう。

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足をつけてみると、まるで氷のように冷たく、
ピリピリと皮膚がいたく感じる。
骨の髄までしみこむ冷たさをしばらく我慢してつけていると、
ようやく慣れてきたらしい。
足湯ならぬ、炭酸の足水。

stanna (9)

こちらは透明であるが、硫黄のにおいが強い。
鉄分のせいか、木製の桶が赤褐色に色づいている。

stanna (6)

もっとも広い桶には、黄色く濁った炭酸水が湧いている。
他のものに比べると、それほど冷たく無く感じられる。

stanna (7)

きれいに整備された浴場であるのにも関わらず、
何の標識も説明書きもなく、自然のままに放置してあるだけ。
夏の猛暑日ならば、この冷水がさぞ心地よく感じられるであろう。

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自然好きの息子がすぐに目を留めたのは、珍しい食虫植物。
赤いとげのある葉で素早く虫を捉える、ハエ取り草である。

stanna (10)

ふわふわと綿毛のような植物も見られる。

stanna (11)

ふと見回すと浴場は森の木々に囲まれていて、
あたかも森林浴をしているような気分である。

stanna (1)

今度は車で少し下って、聖アンナ湖へ向かう。
大昔は火山だったこの地帯に残る、カルデラが長い年月をかけて湖になったもの。
ヨーロッパでも有数の、透明度の高い湖で、
ほとんど生物が存在しないといわれていたが、
最近は観光客の増加により多少は透明度が落ちたかもしれない。

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見回す限り、緑の深い山に囲まれている。
夏は水浴びで賑わうのが、今はまだ水温が冷たいため、
湖畔でピクニックをする人々が見られるだけ。

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あちらの方からねずみ色の雲が押し寄せてきた。
もうすぐ雨が降りそうなので、先ほどまでシートを広げてくつろいでいた人々も
足早に片づけていなくなってしまった。

山の上の駐車場に戻ると、遠くへ人々が列をなして歩いていく姿が見られる。
モホーシュ(苔のある所)という自然保護地区へ出かけるらしい。
2時間に一度しかないツアーだから、慌てて人々の後を追いかけていくと、
参加させてくれるらしい。

この保護区周辺には、8頭の野生のクマが生息しているとのことで、
ガイドの青年がちょうど客を引き連れていく時に、子熊が入り口を入っていく様子を見たと写真を見せてくれた。
杉の木がまばらに生える他は、小さな茂みが大地を覆っているだけ。
見た目は低木なのだが、実は樹齢何百年の木もあるらしい。
小さな遊歩道を列になって通りながら、
まるで森の妖精にでも出会えそうな風景を目に焼き付けた。

stanna (13)

ここだけ特殊な植物が生息するというのは、土が関係しているらしい。
泥炭地、つまり低気温地域の沼地であるために、木々は成長が遅く、
苔や食虫植物など特殊な植物しか育たない。

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大粒の雨が空から落ちてきた。
このまま雨がひどくなったら、引き返そうかどうか顔を見合わせていたとき、
いくつかの小さな湖にたどり着いた。
黒々とよどんだ湖は水深が深く強い酸性である。
それにもかかわらず、周辺に生息する野生動物はこの水を飲みに来るという。

通称「海の目」という名の湖で、表面は小さいが、深くなるにつれて面積が広くなり、
まるで砂時計のような形をしている。
やがて表面を物が覆い隠してしまうため、ここ20年の間にも湖の数が減ってしまったという。

stanna (14)

大降りにならないようにと願っているうちに、
雨雲はいつしか通り過ぎ、その自然保護区の見学を終わるころには空が明るくなってきた。
夕暮れ時に山を下りると、
原っぱから帰ったばかりの牛の群れを見送りながら家路についた。
comments(0)|trackback(0)|自然、動物|2015-07-24_18:54|page top

手作り季刊誌「te.」vol.54 Summer2015

灼熱の太陽が降り注ぐ中、
トランシルヴァニアの我が家に分厚い日本からの封書が届きました。

封を開けてみると、雑誌が数冊入っています。
涼しげなブルーの糸巻の絵がふわりふわりと舞う雑誌は、
関西の手織りと糸の店ておりやさんから発行される季刊誌「te.」 。
こちらに、この春の「イーラーショシュとビーズ刺繍」展の様子、
また私の活動に関する取材が紹介されました。

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te・ひと・作品のコーナーにて、
東欧・トランシルヴァニア 伝統の手仕事の扉を開けて というタイトルで、
4ページにわたる写真や取材がご覧いただけます。

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他にも、大槻能楽堂の能装束の特集も見ごたえありです。

「te.」は、こちらでお求め頂けます(定価380円)。

プロフィール紹介
本の購入

comments(0)|trackback(0)|その他|2015-07-20_20:58|page top